第717夜「ジャグリング」
 閉園した遊園地の空の開けた階段状の広場で1人でジャグリングの練習をしている。IKEAの白いマグカップを10個ほど空中に投げては両手ですべて回収するという芸で、たいていすべては回収できず、破片が散らばることとなる。街灯の影がちらちらしていているせいで成功率が上がらない。マグカップを放っては受け止める、放っては受け止める、を繰り返しながら、影にならないところを探して歩いて場所を移動すると、《月光とピエロ》 「Ⅳ.ピエロの嘆き」が流れてくる(月はみそらに 身はここに)。ここが良いだろうという角度を探しあてて、ふと、周りを見渡すと、数百万個の親指の先ほどの小さなマグカップが桜の花のように散らばっている(身過ぎ世過ぎの 泣き笑い)。
※その頃のピエレット:贔屓のバンドの十八番を耳コピした楽譜を脇に抱えて、ライブハウスで頭を振る。彼女自身の誕生日を昇華する場所を選べばこのようになる。
# by warabannshi | 2017-04-18 01:46 | 夢日記 | Comments(0)
第716夜「楽園追放」
 部活を終えて高校の教室に戻ると、談笑していた何人かのクラスメイトがいっせいにこちらを向く。どの視線にも、膨らんだ風船に針を近づけていくような好奇心がある。窓際の私の机を見ると、その上には夢の記録が書き溜めてある方眼ノートが置いてある。もちろん露出癖ゆえではない。誰かが私の鞄から引っ張り出したのだろう。逡巡を表情にださないようにして、私は自分の領域たる机に歩みより、そして方眼ノートを手に取り、思い切り引き裂く。理由は2つある。1つは、これからのからかいの芽を摘むパフォーマンスの必要性を感じたため。もう1つは、その方眼ノートは使い始めたばかりで、数ページしかメモが書かれていなかったためだ。縦と横に、それぞれ1回ずつ引き裂かれたノートを、しかし私は教室の後ろのごみ箱に捨てるわけにもいかないので、私はそれをトイレに流しに行く。燃やすことができれば最高なのだ。《プッチーニ》のロドルフォの原稿のように。しかし、あいにくここは高校の教室で、問題の種を潰すために新たな問題の種を蒔くわけにはいかない。トイレに流すためにはさらに細かく紙片をちぎらなければならないが、それをこの場でするのは女々しい印象を与えかねないので、私は教室を出る。
 その方眼ノートに書かれていた夢の記録の内容は、断片的には以下の通り。
・近未来、地球環境の変化により、ヒトが衣服なしで高温低温、乾燥などさまざまな環境に耐えられるようにする必要性を受けてなされる生体実験の一環。「人間が再び衣服を捨てることとなったら、それは楽園追放と呼ばれうるのか」。事実、被験者の体毛は濃くなり、四足歩行に向いた体つきとなる。
・湯に溶かすと卵スープのようになる粉末食を食べる被験者の少女。粉体は、加工される前は彼女の母親であった。彼女がそれを知るのは訓練の仕上げである。少女の父親の手記「9万円と引き換えに牛のように売られていった」
・天体望遠鏡。
# by warabannshi | 2017-03-02 09:03 | 夢日記 | Comments(0)
第715夜「poor English」
 さまざまな国籍のさまざまな分野の研究者たちが80人ほど、ベイエリアで立食パーティをしている。知り合いはおらず、交わされるのは英語と仏語、あとはそれぞれの母国語なので、私はスマイル担当を自認して、にこにこしながら料理を美味しく食べている。不意に、巨大な灰色な紙袋が海風にさらわれて空高く舞い上がる。南米系の男性が「韓国の友人にもらったお土産だったのに!」と嘆いている。糸の切れた凧のように、巨大な紙袋は芥子粒のように小さく、海上へと飛んでいく。「じっさいのところ、無くなったものは形を変えてあなたにもどってきますよ、そういう諺があります」。私はでっちあげの諺で落ち込んでいる彼を慰める。不意の出来事は、それが幸であれ不幸であれ、会話の糸口になるものだと思う。
# by warabannshi | 2017-01-02 10:05 | 夢日記 | Comments(0)
第714夜「人語の教科書」
 寝息がうるさいなと思って目が覚めると猫になっている。呼吸をしてみると、か細い猫の鳴き声になる。この掠れた音が耳についたのか、それとも何かに魘されていたのか判然としない。前々から気になっていたこと、つまりヒト以外の動物は人語をどれだけ話すことができるのか/話すことができないとしたら何がポルネックとなっているのかを試すことにする。「あえいうえおあお」と母音を発音しようとすると、すべて「あーあー」となる。母音が分かれないどころか、そもそも切れない。人語を話せないのは口腔の問題かと思っていたが、胸郭と横隔膜にも問題があるように思える。続いて子音。「あかさたな」と発音しようとすると、これは予想していた通り、舌がもつれてあにゃあにゃした音になる。母音と子音の発音では難易度の質が違う。猫がヒトのように母音を発音する難しさは、ヒトが母音の発音を色分けするように難しく(例えば、「あいうえお、を5色に分けて発音せよ」)、子音を発音する難しさは、ヒトが子音の発音を紙質で分けるように難しい(例えば、「あかさたな、をケント紙、キンマリ、藁半紙、コピー紙、半紙の順で発音せよ」)。
# by warabannshi | 2017-01-01 08:25 | 夢日記 | Comments(0)
第713夜「驟雨」
 一度も行ったことのない大学の闇雲に広いキャンパスで、強い風に吹きさらされている。歩いても歩いても目的のQ号館が見つからない。そもそも何を目的にしているのかわからないが、何かに遅刻していることだけは明らかである。体を斜めにして、情けない気分で一番近くの建物まで歩き、名前を確かめては、落胆し、次に近い建物へと進む。キャンパスに人の気配はなく、キャンパスマップの看板もない。どこかで休みたいが、どの建物にも入れない。物理的には入れるのかもしれないが、時間的に入れない。しかしどれほど頑張っても遅刻は遅刻なので、非常につらい。
 頭の上をコリドーが結ぶ2つの建物のあいだを歩いていると、強風に細かな水滴が混じり始める。向こうを見ると、レースのカーテンのような雨の塊が向こうから迫ってくる。しまったと思う間もなく、万雷の拍手のような音に包まれて全身がずぶ濡れになる。とても帰りたい。せっかくの驟雨なのでさりげなく泣きたくもある。鞄がえげつないほどの防水仕様であることだけが心の支えである。
 なおも茫然と歩きつづけると、数分もしないうちに雨足は弱まり、そして止む。風は相変わらず強く、その強い風がキャンパスの濡れた煉瓦道をめくり上げるようにして乾かしていく。
# by warabannshi | 2017-01-01 06:22 | 夢日記 | Comments(0)
第712夜「模様がえ」
 建て替える前の自宅の2階で、存在しない兄、旧友Nと事務机を横に並べて、それぞれの作業に没頭している。接着剤とシンナーの匂いがかすかに漂っているが、プラモデルの類は部屋のなかになく、3人の誰かがそれをこっそり作っているようでもない。良く晴れていて、窓からの景色はいたって平和である。
 「あいかわらず辛気臭いことやってんなあ」と言いながら、『AKIRA』のジョーカーによく似た、存在しない兄の悪友が2階に上がってくる。放っておいてほしいが、兄の友人を無下に無視するわけにもいかない。彼の名前を思いだそうとしているあいだに、ジョーカーもどきは旧友Nに暑苦しいちょっかいを出し始める。
 しかし、常々私がNの美点と思っている傍若無人のそっけなさで、Nは机の上の荷物をまとめ、ジョーカーもどきのちょっかいをふりきり、階下に下りていく。私が感心していると、今度はジョーカーもどきの関心が私の方に向く。私は半笑いを浮かべ、Nの忘れ物を彼に渡しに行く旨を告げて、階下に下りる。もちろん、Nは忘れ物などしていない。強いて言えば、出ていくときに私に一緒に行こうなどの一声をかける気遣いを見せてほしかったが、そういう彼の気遣いのなさは彼の美徳を構成する重要な性質でもある。
 しばらく外をぶらぶらして(Nが向かいの家に玄関からしれっと入っていくところを見届けたり、蝶々を掴まえようとしてホースで盛んに散水しているパパン姉妹の水がかからないように避けたり、石畳のバスストップで無駄にバスを2台見送ったりなどして)、自宅に戻ると、ちょうど存在しない兄とジョーカーもどきが連れだって階段を下りるところと出くわす。
「上、模様替えしたから」
 存在しない兄はそう言い残して去る。どういうことだろうと思って階段を上がると、踊り場で婚約者Fが水鉄砲を片手に待ち構えている。「そういうのはいいから」。なるほど、3つの机の位置が壁一列ではなく、部屋の3つの隅にうまく配置してある。前の配置よりもずっと集中しやすいように見受けられる。「しかし、誰がやってくれたのだろう?」。存在しない兄たちがこんな面倒くさいことを行うはずがない。
# by warabannshi | 2016-11-21 07:10 | 夢日記 | Comments(0)
第711夜「造形」
 知人Cが、Webで奨学金を募っている。次の文章にどのように対応するかが、書類選考である。
「98万円も出して買った足つぼマッサージ機が、手に入った瞬間に謎の“要らない”。結果、78万円でディスカウントしたが、差額の20万円に納得がいかない」。
 無事に書類選考を通過し、私は面接を受けるために、彼のオフィスがある海棲哺乳類研究所に向かう。きちんとネクタイをしめ直して、エレベーターを降りようとすると、自動車椅子に乗った黒人女性が扉の向こうにいる。会釈をして、先に降りる。そして、すれ違った瞬間、彼女がカナダ出身であり、恋人を亡くしたばかりであることを突然知る。
「失礼ですが、この研究所には“転送”のために? …あと、日本語でも大丈夫ですか?」
「その通りです。英語が望ましいですが、日本語でも可です」
 面接が始まったのだ。
「“転送”はクジラやイルカなどになさるおつもりですか? それとも人工の義体に?」
「義体の造形次第と考えています」
「あなたが完全義体への、懇意にされていたその方の“転送”を望むなら、義体は欠損体にする必要がありますよ」
「どういうことでしょう?」
「つまり、眼や耳など感覚器の数、四肢や指など、どれかが欠損した造形にする必要があるということです。たとえ、機能上はヘカトンケイルでも、造形上はどちらかの腕を故意に造らないでおくことを強くお勧めします」
「なぜですか?」
「一つは、理想通りの“転送”はできないからです。“転送”終了時から、彼はあなたの想像力の延長上に存在するイメージではなく、独立した演算領域を持つユニットになります。そのずれの解消のためです。もう一つは、我々が人工知能に抱く恐れを軽減するためです。欠損体にする理由はここにあります。畸形であれば、シャムの双生児のような過剰体でも良いというわけではありません」
「あなたは、人工知能が自らの義体を造形しようとするとき、その造形を過剰体にすると思いますか?」
「その人工知能が、何のために物質的な義体を求めるかによると思います。そもそもヒト型にする意義がどれくらいあるのか。いわゆる悪意をもって、自らの義体を設計するのであれば、我々はそのとき、悪が欠損なのか過剰なのかを知ることになるでしょう」
# by warabannshi | 2016-05-22 03:01 | 夢日記 | Comments(0)
総合地球環境学研究所(2011)『総合地球環境学構築に向けて―地球研10年誌』
[目次]

第1章 創設までの経緯:地球環境科学から地球環境学へ〈~2001年〉
第1節 地球環境科学の中核的研究機関
「21世紀地球環境懇話会」提言/学術審査会「地球環境科学の推進について」建議/地球環境科学の中核的研究機関に関する調査研究会/地球環境科学の研究組織体制のあり方に関する調査協力会議
第2節 新研究所の準備調査と創設調査
地球環境科学研究所(仮称)の準備調査/名称は「総合地球環境学研究所」に/研究者コミュニティへの働きかけ/準備調査委員会最終報告書と用地決定/総合地球環境学研究所(仮称)の創設調査/研究プロジェクトの検討/総合地球環境学研究所の創設へ

第2章 草創期:五目チャーハンと文理融合〈2001年度~2003年度〉
第3節 設立と初年度の活動
京都大学構内で活動開始/組織と運営のあり方/内外の期待/研究活動の枠組み/本格化する研究活動
第4節 第2年度から本研究(FR)スタート
旧春日小学校跡地に移転/本研究(FR)はじまる/五目チャーハンをつくるフライパン/研究プロジェクトの増加と転変

第3章 法人化後:アイデンティティの模索(2004年度~2009年度〉
第5節 旧春日小学校時代後半(2004年度~2005年度)
法人化された地球研/運営体制と人事規則の再整備/研究プロジェクトの仕組みと課題/機構における研究機関の連携/春日時代の終焉―体制の整備から内容の充実へ
第6節 上賀茂時代の幕開け(2006年度~2009年度)
新・地球研/国際シンポジウムの組織化/初代プロジェクトの終了/アイデンティティ確立へのステップ/研究領域プログラムの整備/ヒューマニクスとしての総合地球環境学/法人第Ⅰ期の終了

第4章 法人第Ⅱ期へ:未来可能性と統合知(2010年度~〉
第7節 基幹研究ハブとイニシアティブの構想
法人第Ⅰ期の反省/第Ⅱ期中期計画期間の策定/設計科学を導入する/CRの検証/いよいよ第Ⅱ期はじまる
第8節 地球研の展望
地球研はだれのものか/コミュニケーションの場/成果発信の方向性/総合地球環境学構築への道

補遺 地球研断章―日高敏隆初代所長エッセイ抄
地球環境学とは何か/国連IPCCの報告書/京都議定書/春の蝉/自然とどう折り合うか/地球研いよいよ上賀茂へ/紅葉はなぜ美しい?/草と「雑草」/文系・理系/総合とは何か/未来可能性について―地球研6年の研究でわかったこと
# by warabannshi | 2016-04-16 22:19 | メモ | Comments(0)
第710夜「シリアルキラー」
 プラットホームで電車を待っていると、向こう側のホームで士郎正宗の漫画から抜け出してきたような物騒な重火器と装備品に身を包んだ兵士が、ホームに並んでいる一般人を、近い順に、わざわざ小型銃で撃っていく。シリアルキラーである。流れ弾に当たらないように、そっと鉄骨の柱の陰に移動する。所詮は対岸の火事である。おさまるまで待とうと考えていると、後頭部に固いものが押し付けられ、轟音とともに景色が暗転する。そして走馬灯が始まる。

走馬灯①:プロテイン粉末を抹茶と一緒に牛乳に溶かして毎朝飲んでいる筋肉質の友人が、ついに玄米をその飲み物の中に入れようとしていて、さすがに溶けないからやめろと言う。「もちろん粒のままでは入れないさ。ちゃんとすりこぎで擂る」「すりこぎで擂ったって駄目だと思うな」。
走馬灯②:映画館であまりに泣いて、とうとうすべての水分を出し尽くしてしまい、服だけになってしまったという映画監督の最期。彼の涙の理由は定かではない。
走馬灯③:首長竜の全身骨格が飾られている博物館で、プラネタリウムの特別上映を見るために、死んだ祖父K行列に並んでいる。しかし、この行列の先は本当にプラネタリウムに続いているのか?まったく進まないが、そもそもこの行列もまた飾りではないのか?
# by warabannshi | 2016-04-06 08:08 | 夢日記 | Comments(0)
【引用英訳】佐藤仁(2011)『「持たざる国」の資源論 持続可能な国土をめぐるもう一つの知』東京大学出版
国際環境倫理学会での発表を経て、日本型環境倫理とは「持たざる国」の環境倫理なのではないかと思えてきた。また、先の震災は、日本の〈資源〉が何であるかを改めて考えさせる機会となった。
Since the announcement of the ISEE2015, I have begun to think that Japanese environmental ethics are environmental ethics of a "have-not” nation. In addition, the earthquake of 2011 was an opportunity to re-consider what the resources of Japan actually are.

「〈持たざる国〉を標榜してきた日本では、狭い国土と過密人口ゆえに、資源のあり方を問い直す長い伝統がありました。戦後の貧しい時代に、それは〈資源論〉として豊かに花開きました。しかし、その後の高度経済成長を経て豊かになった日本では、公害や環境問題という視角が盛んになった陰で、もっと根本的な次元における人間と自然の関係を問う〈資源論〉は忘れ去られました。資源は人間の経済と自然との相互作用を考える要となる概念です。決して実現しなかった〈不発のアイデア〉としての資源論とは何だったのか。」
In Japan, a self-professed "have-not” nation, due to the small territory and high density of population, has long existed a tradition of re-evaluating natural resources. In the poor era after the war it blossomed as “resources theory “. After however Japan became rich through subsequent rapid economic growth, it was forgotten to view in more fundamental dimensions the relation of humankind and nature, because questions of pollution and environmental problems has come to overshadow other things. Resource is a key concept in considering the interaction between nature and human economy. What was the resource theory as a “never realized idea”?

「日本の資源論に興味をもった理由は三つある。第一に、資源論が輸入学問ではなく、国土の保全と社会経済ニーズとの調和をいかに達成するかという、内発的な問題意識からたたき上げられてきた実践志向の知であること。第二に、地理学者を中心にしながらも、政治家や官僚を含めて多様な分野と立場の人々を巻き込みながら形成されてきた学際領域のはしりであったこと。第三に、それにもかかわらず資源論は決して専門分野として確立されずに忘れ去られてしまったことである」(佐藤,v頁)
Why have I been interested in Japan’s resources theory there are three reasons for this. One: the resource theory is no academic import but practical knowledge routed in the intrinsic awareness of the unsolved question how to achieve harmony between conservation of land and socio-economic needs. Two: that theory constitute pioneering effort that while having geologist at its core involved also people from many deferent other fields such as politics and administration. Three, in spite of this resources theory has never been established as a field of expertise but instead become forgotten.


「資源の定義が一義的に決まらないのは、目的と手段の関係がはっきりと固定されていないからである。同時に、資源は物質面を扱う自然科学と、制度面を見る社会科学の両方にまたがるので、その適正な管理には両者の総合が不可欠になる。私は資源を、働きかけの対象となる可能性の束として捉えたい。〔…〕資源は人間社会からの働きかけを受けて初めて有効性を発揮する。しかし働きかけの対象が自然物である以上、可能性とは自然界の制約のなかで追及しなくてはいけない。」(16-17頁)
That what constitute resources is not unequivocally defined, is the result of the fact that the relationship between ends and means is not clearly fixed. Simultaneously, resources present an issue spanning both natural sciences that deal with material aspects and social sciences that deal with institutional aspects thus requiring a synthesis of both for proper management. I am going to define resources as a bundle of potential, subject to approach. […] Resources exhibit effectiveness only when receiving approach from human society. As the object of approach, however, is a natural object the choices of its use a subject to natural restrictions.

資源を“所有”ではなく“使用”において考える視点がここでのポイントといえる。
The point here is a perspective to think of resources in terms of “use” rather than “ownership”.
「林業や漁業といったセクターに視野を限ってしまうことの問題は何か。それはセクターの外に及んでしまう影響を考慮しなくなることで、生態系全体を見るバランスを欠いてしまうことである。」
What is the problem with focusing only on sectors such as forestry and fishery? That is losing out of sight the effect resulting outside these sectors and the question ecological balance.

「開発計画に携わる社会科学者や実務家は、開発の物質的基盤である自然環境の性質に十分な注意を払ってこなかったし、逆に、環境問題に向かう自然科学者は、人間の経済活動を専ら否定的に捉え、地域の人々への配慮に欠く環境保護政策を唱えることが多かった。しかし、実は両者は密接に関係している。どこで、どのくらいの量の資源が、どのような方法で、どのような速度で取り出されるかによって、最終的な便益の配分が変わってくるからである」(2頁)
Social scientists and practitioners involved in development plans have not paid enough attention to the natural environment that is the material basis for development. On the other hand, natural scientists trying to solve environmental problems have viewed economic activities exclusively in negative terms, often advocating environmental protection policies which completely lacking in consideration of local people’s concerns and needs. However, in fact social and natural science are closely related. It is because the distribution of the final benefits varies according to where, in what amount, how and at what speed natural resources are taken.

# by warabannshi | 2016-03-30 09:04 | メモ | Comments(0)



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