十三時過ぎの、すばらしくよく晴れた日の、高校の教室。
その晴れ方はディズニーランドのCMのようなわざとらしい、レプリカな晴れ方で、まるでアメリカのティーンエイジャーものの映画みたいな雰囲気が教室には満ちている。『エレファント』で銃の乱射が始まる直前の、日常シーンみたいな感じ。
教職課程[理科]を履修している人たちと、なにかの自由課題をやっている。
「ワンピースの**巻の最後のコマは、ルフィがゾロの刀を奪ってヨロイ男に突進していくコマだよね」
隣の、眼鏡をかけた工学部の男子が、奇妙なイントネーションで聞いてくる。
お前その質問はいまやっている課題とは何の関係もないだろう。なれなれしいなこいつ。
と思いながら、「そうだと思う」と答える。
うちのそっけなさがうまく伝達できたのか、隣人はおとなしくなる。
けれど、また質問してくる。
「ラカンの読書会の予習はした?」
「したよ」
「あの二十個の質問、意味わからなくなかった?」
「答えられる範囲で答えた。
わからないものは、放置した」
「へえ、偉いね」
また隣人に対する苛立ちが高じてくる。
それにしても、ラカンのテキストの最後に出されていた、二十個の質問は、そもそも質問なのかすら疑われるものが多かった。
【質問2と、質問6のあいだのすべての素数に向けて、ジャンプせよ】とか。
そして、回答はすべて、十文字以内でできるはずなのだ。
禅の公案みたいだ。
「惑星の表面温度って、惑星の表面積を微分すれば求められるんだっけ?」
こんどは自由課題に関係ありそうなことなので、
「惑星の円周なら、そのやり方で求められるけれど、表面温度はむりでしょ」
やや友好的な口調で応じる。
「でも、ディシプリンが関係しているんじゃないの?」
「ディシプリン? なにそれ、うちは知らないよ」
「つまりさ、虹のでき方は、大気圧と密接な関係があるじゃない。それだけじゃなく、水蒸気の温度や、磁場の影響とか……。そういう幾つもの不確定要素のすべてが、ある虹がなりたがっているひとつの虹を基準にしたときのディシプリンになるってこと」
ぜんぜんわからない。
「ディシプリン」については、こいつに聞くんじゃなく、あとでググろうと思う。