長屋みたいな旅館が寄りあつまった小さな温泉街の、一つしかないバス停で、三遊亭楽太郎を待っている。彼に、なにかの合宿で高座をやってもらうために。ゼミの後輩(年上)Fと、このバス停で、彼を乗せたバスを一時間くらい待ちつづけているはずなのだが、バスは一向に来る気配がない。
何かを待ち呆けているあいだは、とにかく寒い。あたりには雪がまだ積もっている。バス停は小学校の隣に屋根付きのものとしてあるが、当然、小学校はずいぶん前に廃校になっている。屋根も、青空が見えるくらいに薄くて穴が開いている。
「こんなに遅れているということは、バスジャックですかね?」とうち。
「いや、アニメの見過ぎでしょう」とF。
アニメを見過ぎているのは、一時間ほど遅れているバスの運転手なのか。三遊亭楽太郎なのか。それともバスの遅れを「バスジャック」と予測したうちなのか。
いつの間にか、バスはやってくる。
白いダウンジャケットを着た三遊亭楽太郎が、馬鹿でかいリュックサックを背負ってバスから降りてくる。
リュックサックの右の肩掛け部分が、ひねられて、裏部分のパッドが表になっている。
自分を待っていたうちら二人を見つけて、あ、どうも、よろしくお願いします。と小声で呟くように言う三遊亭楽太郎は、落語家というより女形みたいだと思う。
「ほら、ちゃんと荷物ぐらい持たなきゃ!」とFに脇腹を小突かれる。
そういうものか? 荷物を持たなきゃいけないくらいに三遊亭楽太郎は偉いのか?
それとも、無理いって、ものすごい安いご祝儀(地域振興券)で来てもらったとか?
「リュック、お持ちしましょうか?」
「助かります。重いですよ」
そう言って渡された黒いリュックサックは異常に重い。
リュックサックを背負ったまま歩けなくなっているうちをバス停に置いて、Fと三遊亭楽太郎はなにかの合宿が行われている宿に向かう。その宿の名前は「すずめばち荘」。三百年間ほど、スズメバチたちが、宿屋の壁にある巨大な巣を、さらに巨大なものに造りかえつづけている、伝統の宿屋。