探索整理01 『レヴィ=ストロース講義』「第一講」輪読会 復習

悲しき南回帰線 (上) (講談社学術文庫 (711))

レヴィ=ストロース / 講談社


〔01:レヴィ=ストロースの尽きない自問〕
 フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースの『悲しき南回帰線』はこうやって始まる。
 旅といい、探検家といい、わたしの性には合わない。とはいえ、わたしは現にこれから、いくたびかの調査旅行について語ろうとしているのだ。わたしが最後にブラジルを去ったのは、すでに十五年の昔になる。そしてその間、毎年のようにこの本にとりかかろうとしては、そのつど、なにか気恥ずかしい気持ちと嫌悪感が先立つのだった。なんだって、愚にもつかぬ些細なことや、意味もない出来事をくだくだと語る必要があるのかと!
『悲しき南回帰線』講談社学術文庫 p.13

 去年の六月に『悲しき南回帰線』のこの自問を読んで、すっかりこの本が好きになった。自分はいまこんなことをしていていいのか? こんなことをすることに意味はあるのか? と問わずにはいにれないことを、それでも書いている本は、たいていの場合、非常に面白いからだ。そして実際、『悲しき南回帰線』は非常に面白い。

 「旅といい、探検家といい、わたしの性には合わない。」(中公クラシックスの訳はもっと率直で、「私は旅や探検家が嫌いだ」)と言う彼は、それでも「未開社会」に興味を持ち続け、「未開人」の文化・習俗を調べずにはいられずに、旅をし、探検家になる。

 『二十世紀思想家辞典』によると、レヴィ=ストロースは、「その生涯においてできるかぎり現地調査(フィールドワーク)をしないですませようとしたし、その水準にしても、プロの民俗学者の観点からすればきわめて低い水準にとどまるものでしかなかった」らしく、「その土地の言語を学ぼうとしなかったし、また原住民たちの文化になじむことが参与観察法の基礎だというのに、充分な期間彼らのもとに滞在しもしなかった」。それでも彼は、数週間も道に迷ったりすることもなければ、飢えや疲労、あるいは風土病の心配もないパリを離れて、中央ブラジルへと赴く。

 レヴィ=ストロースは、文化人類学者という職業が成立してしまっていることにさえ、疑問を抱いている。自分たちの仕事の意味に一抹の疑問も抱かない同業者に、彼は辛辣だ。
 {旅行から帰ってきた探検家、学者たちの}こうした講演会で聞かされること、こうした本に書かれることは決まりきっている。運んでいったケースの中身、小柄な一等運転士の悪ふざけ、珍奇な話にまじって、半世紀もまえからどんな入門書にものっている、古色蒼然とした調査報告の断片など。しんも尋常とは思えないほどの厚顔さによって、とはいえ、客側の単純さと無知にうまくのっかってではあるが、それらを調査の証拠として、はては今までになかった発見だとして、臆面もなく提出してはばかるところがない。
『悲しき南回帰線』 p.15

 それでも彼は人類学者であり、サン・パウロ大学の教授としてカドゥヴェオ族などの四つの部族の調査を行い、その成果を考察する。なぜか? なぜ自分はこんなことをしているのか? そういう自問になんとか答えようとし、衝動と自分の生活と折り合いをつけようとする試みが、『悲しき南回帰線』では行われている。

 「なんだって、愚にもつかぬ些細なことや、意味もない出来事をくだくだと語る必要があるのかと!」と彼は彼の後ろめたさを叫ぶ。そして、「語るべきでないことを語らざるを得ない」というジレンマと、私たちを向き合わせる。


レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー)

クロード レヴィ=ストロース / 平凡社


〔02.レヴィ=ストロースの“人文主義”〕
 けれど、今回の読書会で扱った、1986年に行われた「西洋文明至上主義の終焉」の講演では、この後ろめたさによって駆動される自問自答は、ほとんど前面化していない。

 レヴィ=ストロースは人類学を、第三の人文主義(ユマニスム)と呼ぶ。

 第一の人文主義は、ギリシャなどの地中海世界に限定された古典的人文主義。これは研究対象がいくつかの文献に限られていただけではなく、その恩恵を受ける人も一部の特権的な階級に限られていた。第二の人文主義は、さらに中近東や極東もとりこんだ異国趣味的人文主義。これも結局のところ、中近東や極東のいろいろなオブジェの周りでエキゾチックさやもの珍しさが取り引きされるだけであり、それどころか、それらを「エキゾチックでもの珍しい」と思う価値観そのものは不動のままだ。だから、レヴィ=ストロースは、人類学を、第三の人文主義にしようとする。いや、しようとする、のではなく、彼はやはり、人類学を、第三の人文主義になりうるだろうかと、自問する。
 これまで三世紀にわたって人文主義は、西欧の人間の思考と行動の糧になり、発想の源泉となってきました。ところが今日、私たちは、世界大戦という地球規模の殺戮、地球上の多くの地域で、慢性化した貧困と飢餓、大気と水の汚染、自然資源の濫用と自然美の破壊などに対して、これまでの人文主義が無力であったことを確認しようとしています。
 人類学的人文主義は、私たちを悩ませているこうした問題に対して、他の人文主義がなしえた以上の答えを出せるのでしょうか。
『レヴィストロース講義』平凡社 P.54

 この問いかけに、レヴィ=ストロースはこう答える。
 人類学者は、私たちの生き方、私たちが信じているもろもろの価値観がすべてではないということ、私たちのものとは異なった生活様式、異なった価値体系によって幸福を実現した共同体がかつて存在し、また今も存在するということを明らかにしています。
 人類学はこうして私たちに、虚栄心を控え、異なった生き方に敬意を払うように示唆しています。そしてまた、私たちを驚かせ、動転させ、嫌悪さえおぼえさせる異なった習慣を知ることによって、自分自身を疑問に付すよう誘っているのです。
『レヴィストロース講義』平凡社 p.54-55

 この下線部と、『悲しき南回帰線』で吐露された疚しさを比べてみよう。彼の「気恥ずかしい気持ちと嫌悪感」は、彼が「自分自身を疑問に付すよう」な誘惑に常に乗ってしまうための痛痒ではなかっただろうか。自分はなぜ、こんなところで、こんなことをしているのだろうか? という切実な懐疑に囚われていることが、彼を違うところで、自分と違うことをしている人々のもとに赴かせる。

 このドライヴ感、この衝動は、きわめて個人的なものかもしれない。「なぜ、こんなところで、こんなことをしているのだろうか?」という問いをレヴィ=ストロースは自分にしか向けない(この問いかけに鈍感な他人に、彼が問いを強要することはない。せいぜい、冗談でからかうだけだ)。だから、この問いそのものは私たちに共有されえないものであり、この問いの答えそのものは、私たちの役に立つものではない。言い換えれば、私から見た「あなたと私の違い」は、あくまでも私にとっての「あなたと私の違い」であって、あなたから見た「あなたと私の違い」ではないから、私とは異なった生き方、異なった習慣から演繹された、「私がここに居て良い理由」が、私たち全員に、「“私たち”がここに居て良い理由」として同じ安心感を与えることはない。ましてや、その答えが、同じ質感のあるドライヴ感、ある衝動――「元気」を与えることはありえない。

 けれど、「なぜ、こんなところで、こんなことをしているのだろうか?」という問いかけが、その確定された答えを永遠に待たされつづけられるのなら、状況は変化する。自らにとって異なった生き方、異なった習慣を、自分自身で与えてやらねばならないとき、孤独な彼は、その自分自身を常に忘れさせつづけるからだ。そのとき、「僕の」「君の」「彼の、彼女の」という単位はすでに存在しない。この問いかけを、私に維持させるもの、ある言語、ある宗教、諸々の飲食物、ある性別、ある政治体制、……、それらの向こう側に感知される、「僕らの」「君たちの」「彼らの、彼女らの」が硬質な幾何学的風景として、強く、迫ってくるだけだ。そして、「僕らの」、「君たちの」、「彼らの、彼女らの」の後には、なんの言葉も続かない。確定された答えは、永遠に待たされつづけられているのだから。そこから先は、それぞれの場所で、それぞれの回答作業に委ねられる。「僕らの君たちの、彼らの、彼女らのもの」というこの所有詞は、まさしくもはや意味をもたず――なんらかの目標を表象することもない。複数形。

 影響力のある思想家はいる。しかし、ある学派を創りだす思想家は少数であり、ある時代を代表するような思想家はさらに少ない。そう人々は言う。レヴィ=ストロースが、構造主義と言われる、ここ半世紀にわたる精神活動の先導者となり得たのは、「自分自身を疑問に付す」誘惑と、問いかけの痛痒とのただ中に、自らを保ちつづけたからではないだろうか。下したあらゆる結論を、もう一度、ときほぐしてしまうこと。そして、「僕らの――」、「君たちの――」、「彼らの、彼女らの――」に還っていくこと。その振動の持続は、人文主義というよりむしろ、限られた人類史のなかのわずかな時間を生きる、ある種のストイシズムのように思える。
by warabannshi | 2009-03-03 20:23 | メモ | Comments(0)
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