探索準備02 『ニーチェと悪循環』読書会(p.315~):?(1)回目 予習

ニーチェと悪循環 (ちくま学芸文庫)

ピエール・クロソウスキー / 筑摩書房


[01.「超人」と先入見]
 「ますます経済的な傾向を強める人間存在と人類の消費に対し、ますます密接に絡み合う実行(生産)と利益の機械仕掛けに対し、逆の運動をおこさなければならないと証明することの必要性。その逆の運動とは、人類の過剰分の豪奢を排除することであると、わたしは言いたい。人類のなかからは、平均的人間とはちがった形成と保存の条件を持った、より力の強い種が、より高次の類型が、光に浮かびあがってこなければならないのだ。この人間の類型についてのわたしの概念、わたしの比喩は、周知のように『超人』という用語である。」
『ニーチェと悪循環』p.135

 「超人」をもたらす、〈悪循環〉。つまり、人類史のすべてを廃棄する-超え出るような出来事にほかならない、至高の思考としての〈永劫回帰〉。人類史を超え出てしまった「超人」は、だから、「平均的人間とはちがった形成と保存の条件を持った、より力の強い種が、より高次の類型」になりうる。

 このように、ニーチェは過去の世界(多くは、古代ギリシャの古典や芸術作品)を理解するにあたって、理解する者の生きる時代の精神を投入することを、どうしたって批判する。それは『悲劇の誕生』から継続してなされてきていることだ。自らの、先入見という、パースペクティブ。そのパースペクティブに認識が自縄自縛されてしまうことへの嫌悪の荒ぶり。それは具体的には、「ますます経済的な傾向を強める人間存在と人類の消費に対し、ますます密接に絡み合う実行(生産)と利益の機械仕掛け」への抵抗として現れる。

 重要なのは、この抵抗が、単純な資本主義批判としてではなく、現在の先入見への非難として行われていることだ。ニーチェは機械論に批判的なわけではない。生気論にだって批判的だ。
われわれは用心しよう――われわれは宇宙が生命体だなどと考えないようにしよう!どちらへそれは伸びていくというのか? 何からそれは自己の養分を取るというのか? どのようにしてそれは成長し、繁殖することができるのか? われわれは有機体とはどんなものか、だいたい承知している、――しかしわれわれは、万有を有機体だと呼んでいるあの連中のやるように、われわれがただ地殻の上でのみ認めるきわめて派生的な、末期的な、稀有な、偶然のものを、本質的な、普遍的な、永遠のものに、解釈しかえていいものだろうか? 私はそんなやりかたに嘔吐を催す。
『悦ばしき知識』「第三書」一〇九番

 ニーチェは、私たちが世界に対面するときに私たちに安心感を与えるあらゆる先入見を非難する。
 しかし、その“先入見への非難”そのものが一つの先入見なのではないか? この疑問はまったく正しい。例えばニーチェから半世紀後に産まれたガダマーはこの問いにもとづて、過去の世界の理解から現在の先入見を消去しようとするすべての試みを批判する。ガダマーは、先入見は必ずしも不当で誤っているものではないと主張する。むしろ、すべての先入見を方法論的に排除してしまおうとする解釈理論は、実際の先入見と慣例を介して進行する伝統の連続性を隠蔽するだけであると。

 だが“先入見への非難”という一つの先入見は、そのなかにいる者にとって安心をもたらすものでは決してない。彼は、「自分がいまあるものとは違ったものとしてすでに先在し、これからも違ったものとして存在するだろうということを知るのである」。

むしろそれは健康な理性の領域ではなくニーチェ自身の「病気」と密接に関連しているのだとニーチェ-クロソウスキーは語る。これは非常に面白い部分なのだけれど、いまはいい。

 「超人」は、〈悪循環〉によってもたらされる。〈悪循環〉は決してそれが訪れたところの者をおなじ姿に維持させようとはしない。だから、「超人」には強さがもとめられる。魂の強さが。「〈悪循環〉の魂は意図を持たない純粋な強度である」とニーチェ-クロソウスキーは語る。「超人」は、いかなる美徳の命令にも従う必要がないほどに強い。だから、「貴重で、珍奇で、必ずや有毒であるはずの植物たち」であり、「その植物たちは、あらゆる美徳の命令に対する情動の氾濫のようにして、大きな花を咲かせるはずだ。」とニーチェは断言する。(p.328)

 しかし、超人を発達させるのは、誰なのか?
by warabannshi | 2009-03-05 12:01 | メモ | Comments(3)
Commented by 新潟の映画バカ at 2009-03-08 16:24 x
『ロルナの祈り』
以前のダルデンヌ作品と音楽の関係。唐突に男が殺害されたという展開。男の遺産を、親族が地面に棄てる画。更生しようともがき苦しむ廃人を演じた役者の上手さ。
十分満足できる作品でした。
ただ、やっぱり、全作品中であの撮影形式がはまっているのは『息子のまなざし』だと思います。


亀山先生は3月で定年でしょうか?
Commented by warabannshi at 2009-03-12 19:38
 『ロルナの祈り』見てきましたよ。いやはや。
 自転車に乗って駆け去っていく、そしてそれ以降、姿を見せなくなるクローディに感情移入してしまって、それからエンドロールが流れるまでずっと体の表面をなにかが滑っていくような奇妙な感触がつづいていました。クローディ、なんということだ。

 亀山純生先生はまだ定年じゃないよ。章先生のほうは08年度で定年だったけれど。
Commented by 新潟の映画バカ at 2009-08-07 22:32 x
是非とも、ダルデンヌの作品を初期から観てください!そうすると、あの、ロルナの祈りのラストの音楽は強烈な衝撃ともなって聞こえるから。それを、体験していただきたい。
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