『ねぎ姉さん』、という四コマ漫画群を知っているだろうか? あるいは読んだことがあるだろうか?
知っているのならば、あるいは読んだことがあるのなら、話はとても早い。あの『ねぎ姉さん』がついに1000話を突破した。このことが、めでたい出来事なのか、醜悪なのか、判別がつかない。とにかく、あの『ねぎ姉さん』が、1000話を突破したのだ。レトリックではなく、頭が痛くなる。
三年ほど前、2006年4月7日。深夜から明け方にかけて、農工大のある友人の部屋で、彼を含めた二人の友人たちと過ごした。一人の友人が題名の知らないギャルゲーのテキストをひたすら音読しつづけ、私を含めた残り二人は、その朗読をBGMにして、一つのディスプレイで『ねぎ姉さん』を読み耽るという黒ミサめいた時間の過ごし方をした記録が、携帯電話のムービーフォルダに残っている。だから、日時はデッチあげたものではない。
きちょうめんに、私たちはディスプレイ上の数字を一つずつクリックして、頭のおかしい四コマ漫画を一つずつ読み進めた。お酒を飲んでいたわけではなかった。なぜそんな閑人の暇事をしたのかわからない。よほど暇だったのだろう。当時、『ねぎ姉さん』は346話までしかなかったけれど、それらを通読するのに四時間ぐらいかかった。「まったくもって無駄な時間をすごしてしまった」とそのとき一緒に読んでいた友人は言った。私はもう自分の名前が思い出せないくらいに疲労していた。
346話ぶんを読み終わるのに、四時間。
ということは、1000話ぶんの四コマ漫画を通読するのには十二時間かかると、概算は教える。
1000話ぶんの四コマ漫画、例えば、『サザエさん』、『となりの山田くん』、あるいは『コボちゃん』を通読するのと、1000話ぶんの『ねぎ姉さん』を通読するのは、その体験の質が明確に異なる。前者は日常を補強し、後者はそれを破壊する。……けれど、こんなまとめ方にはまったく意味がない。「まったくもって無駄な時間をすごしてしまった」と、なんのてらいもなく言うことができるのは、後者である。これだけで充分だ。