第275夜 「鞠会式(まりえしき)」
 遠くの山に遊園地を臨む日本式寺院で、私は「鞠会式(まりえしき)」に参加している。
 すっきりと晴れていて、窓から入る風は肌寒いほどに涼しい。ここは高山帯なのかもしれない。
 ものすごい岩山のほぼ山頂には、富士急ハイランドの特異なジェットコースターのコースまで見ることができる。信じられないほど長い、垂直落下までするジェットコースター。それを見ていると、そこはかとなく森厳な気持ちになってくる。しかし、寺院まで来て、なぜ遊園地を眺めているのだろうか。
 二十畳ほどの、柔道場のような畳敷きの空間で、私たちはジャージ姿のまま、なにか適当なことをしている。「鞠会式」には、男の友人たち六名ほどと参加しているのだ。全員、「鞠会式」に参加するのは初めてで、それどころかいわゆる作務をしたこともない。私は数年前に一度、羽黒のほうで修験道修行をしたことがあるので、作務について多少の心得があり、落ちついているが、いらないことを言って失敗してもイヤなので修行のことは黙っている。
 寺院のどこかで鈴(りん)が鳴らされる。
 それに応じて、小坊主が三人、どこからか現れる。それぞれは弓と矢を数セットずつ持っている。
「壁に向かって射てください」
 そう言って、私たちのそれぞれに一セットの弓と矢を渡す。
「道場の壁に向かって、射るんですよね?」
 高校の友人・菊池が聞くが、小坊主たちは無言。
 まったくわけがわからないが、これが仏事というものなのだ。ということを私は経験的に知っている。
 弓と矢の重心がどこにかかっているかを指先で慎重にはかり、とりわけ矢は入念に重心の位置を探り当て、その重心をはずさないように、射る。
 放たれた矢はきっちりと道場の壁に突き刺さる。
 矢の先端が尖っているわけではないが、重心さえ探り当てていれば、こういうこともおこりうるのだ。と、壁に突き刺さった矢を抜きながら思う。こうやって「鞠会式」のたびに、この壁は矢で射られているのだろうか? そのわりに壁は、ぼこぼこになってはいない。
 矢を抜いて、道場のはじっこに寄ると、いままで無言だった小坊主の一人が、近くに寄ってきて、言う。
「すばらしい“気の割れ方”でした」
 どうやら褒めてくれているらしい。
 矢を全員射たあとは、全員で、この道場の雑巾がけをしなければならない。順番が逆なのではないか? ふつうは雑巾掛けしてから矢を射るだろう? そんな気もする。しかし、このランダムさも「鞠絵式の」、仏事の特徴なのかもしれない。
 私がそんなことを考えているうちに、仲間は次々に雑巾がけを終えていく。
 気の早い一人は、畳みに六人分の布団を敷き始める。
 これでは雑巾がけができないではないか。
「いいんじゃない、充分に、畳はきれいになったよ」
「いや、作務はそういうものではないんじゃないか? やることに意義があるというか」
 これは後者の意見が正しい。せっかく敷いてくれた布団だが、まるめて隅に寄せておくことにする。
 布団を丸めると、布団のなかからA4版の同人誌のようなパンフレットが落ちる。
「1907年講演 〈1976年の昭和天皇の御前で、君は一杯のブラックコーヒーである〉」
 そう表紙には書いてある。墨字で。これはジャック・ラカンの幻の講演録に違いない、と確信する。なぜなら、講演タイトルがシュールだから。セミネールを始める前の(七歳の!)ラカンなら、これぐらいシュールなタイトルもあり得そうに思う。
 道場の隅っこには、いつのまにかひとつの棺桶があり、その棺桶はじつはラカンの旅行用トランクケースであることも察せられる。おそらく、メディテーションのときには、吸血鬼のように、この棺桶に入るのだろう。棺桶の壁面にはいくつもの小さな引き出しがついていて、試みにそのうちの一つを開けてみる。
「そこは靴墨とかをいれておくところだよ」
 菊池が教えてくれる。いまは、引き出しのなかは空っぽだ。
「この棺桶、すごいカレー粉の臭いがしない?」
 たしかにターメリック(鬱金)の香りがする。ラカンもカレー好きなのかもしれないと思うと、親近感を覚える。
by warabannshi | 2009-08-14 07:47 | 夢日記
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