探索記録38「ホフマンスタールは、R・シュトラウスは、『アラベッラ』で何をしたかったのか?」
 いま初台の新国立劇場でやっているオペラ『アラベッラ』について、新宿・ローレルで塩谷さんから伺った話の備忘メモ。前のと同じく、どこからどこまでが塩谷さんの発言で、どこからどこまでが太田のリプライか不明。




 ホフマンスタールの原作に、リヒャルト・シュトラウスが曲をつけたオペラ『アラベッラ』は、なんというか、八〇年代の大島弓子の作品のなかにありそうな、少女漫画的な作品。ラブコメというには重いけど、勘違いとカムフラージュとどたばたありの楽しい作品。とはいえ、太田はじつはまだ『アラベッラ』を観たことはない。パンフレットの「あらすじ」を読んで、そう感じただけである。どんな話か? こんな話である。

 1860年のウィーン。退役騎兵大尉のヴァルトナー伯爵夫妻は、金もないのに年頃の2人の娘を連れて豪勢なホテル住まいをしている。都会での派手な生活に加え、わずかな蓄えも博打狂いの伯爵がすってしまい底をつくが、家族は美貌の姉娘アラベッラに金持の結婚相手を見つけることに一縷の望みを繋いでいる。

第1幕 ヴァルトナー伯爵一家が滞在するホテルの一室
 ヴァルトナー伯爵が博打に行った隙に、伯爵夫人は怪しげな女占い師を部屋に引き入れて、ウィーンでの将来を占ってもらっている。女占い師はトランプ占いで、伯爵が賭けで破産することや箱入り娘のアラベッラに結婚相手が出来ること、しかしそれを妹に邪魔されるだろう……などと、胡散臭い予言を次々並べ立てる。占いの結果に一喜一憂する夫人達を尻目に、借金取りが請求書を持ってやって来る。世間体のために男装させられて「弟」ということになっているズデンカは、手なれたもので次々あしらって追い返す。夫人と女占い師が別室に消えると、アラベッラを愛する若い軍人のマッテオがやってくる。ズデンカは親友のマッテオを喜ばせるためにアラベッラの手紙を代筆していたのだが、彼は熱っぽい手紙の文面と違う普段のアラベッラのつれない態度に絶望して自殺をほのめかす。
 入れ替わりにアラベッラが登場。ズデンカはマッテオを愛しているが、彼を救うためにアラベッラとの仲を成就させようとする。しかしアラベッラは、家族を破産から救うためには相手が金持ちでなければ結婚出来ないと言う。ふと彼女は、今朝道で見かけた立派な身なりの異邦の旅人を思い出す。アラベラが恋へのあこがれを切々と歌うと、ズデンカも歌い美しい二重唱になる。
 ヴァルトナー伯爵と夫人が帰って来る。いよいよ無一文となった伯爵は、破産から逃れるために、かつて軍人時代に仲が良かったマンドリーカという富豪にアラベラを嫁がせる話をする。ちょうどその時、召使がマンドリーカの名刺を持って現れる。喜ぶヴァルトナーだったが、招き入れたマンドリーカは、彼の知ってる男ではなかった。先代のマンドリーカは亡くなり、その甥が後を継いでいたのである。
 がっかりするヴァルトナーに、マンドリーカは彼が来た理由を語る。ヴァルトナーが叔父の気を引くために送ったアラベラの写真を見て、一目ぼれして求婚するためにやって来たというのだ。ヴァルトナーはちゃっかりマンドリーカから金をせしめると、ご機嫌になりアラベッラに紹介することを請合う。
 ズデンカが入ってくるが、臨時収入を得て浮かれきったヴァルトナーは賭博に出かけてしまう。ズデンカが呆れていると、マッテオが再び忍んできて彼女の心をかき乱す。
 最後にアラベッラが登場し、あの旅人を思いつつメランコリックなアリアを歌うと、ズデンカとともにいさんで外出する。

第2幕 舞踏会の会場
 ウィーンで夜毎開かれている御者舞踏会(フィアカーバル)のダンスホールに続く広間。
 アラベッラはあこがれていたあの旅人、マンドリーカが自分に求婚するために現れたことに驚くが、わざと素っ気無い態度を取る。しかし、マンドリーカの素朴な心情にほだされ、彼の求婚を受ける。愛の二重唱。
 人気歌手フィアカーミリが現れ、アラベッラを賛美する陽気な歌を歌う。
 アラベッラは独身に別れを告げるために、彼女に求婚していたエレメール、ドミニク、ラモーラルの3人と踊る。しかしマッテオはどうしてもアラベラを忘れられない。ズデンカはやむを得ず、自分が姉の身代わりになって彼を慰める決意をし、マッテオにアラベッラとの逢瀬を手引きする。それを偶然耳にしたマンドリーカは、あわてて2人を捕まえようとするが逃げられてしまう。半信半疑のマンドリーカの元に、アラベッラの手紙が届けられる。マドリーカはアラベッラの裏切りを確信して自暴自棄になり、フィアカーミリとともに恋人をなじる荒々しい歌を歌い踊り、大騒ぎになってしまう。

第3幕 ヴァルトナー伯爵が滞在するホテルのロビー
 ひと気の途絶えた深夜のロビー。ややあって忍んでいたアラベッラの部屋(ほんとうはズデンカの部屋)から出てきたマッテオは階段を降りて来るが、ちょうど舞踏会から帰ってきた本物のアラベッラと出くわし驚く。ついさっきまで愛し合ったズデンカをアラベッラと思い込んでいるマッテオは、アラベッラのそっけない態度が信じられず口論になる。
 揉めている二人のところに、舞踏会の連中を引き連れたマンドリーカが現れ、2人のただならぬ様子を邪推する。ヴァルトナーはマンドリーカの無礼に憤慨して、彼に決闘を申し込む。
 その時ズデンカが女性の姿で出てきて、自分のしでかした全てを告白し、「ドナウ川に身投げする」と叫ぶ。妹を優しく抱きしめるアラベッラ。一堂はズデンカの献身的な愛に打たれ、マッテオも初めて見る少女の姿のズデンカに心惹かれる。
 アラベッラは喉が渇いたといい、マンドリーカの従者にコップ一杯の水を頼むと部屋に引っ込む。
 激しい自己嫌悪に駆られるマンドリーカを残して人々が去ると、やがてアラベッラが階段をゆっくり降りてきて、マンドリーカにコップを差し出す。これはマンドリーカの故郷に伝わる、求婚を受け入れる際の風習である。マンドリーカは幸福に酔いしれ、水を飲むとコップを叩き割り、愛を誓う。「ずっといまのままでいてくれますか」とマンドリーカ。「どうして変わることができましょう」とアラベッラ。恋人たちが抱き合ううちに、幕となる。


 以上はwikipedia「アラベラ(オペラ)」にちょっと太田が手を加えたもの。
 ちょっと複雑だが、ストレートで甘い話である。初演は1933年7月1日。ナチスが台頭しているときに上演されていた作品であるとは思えない。風紀を乱すとかなんとかいう理由で禁止されそうだ。だいたい世紀末ウィーンを代表する作家、ホフマンスタールの原作だ。文句のつけようはそこら中にある。
 でも、ほんとうにこれは「甘い話」なんだろうか?
 ラストシーンの、「ずっといまのままでいてくれますか」と言うマンドリーカに、「どうして変わることができましょう」とアラベッラが応えるところ。よくあるシーンだけれど、この場合、アラベッラはいままでわりと上手く世渡りできてきたのは、いままで男装していたズデンカの陰の献身ゆえであったことがわかってショックで呆然としている状態である。そんな自失のアルベッラに、マンドリーカは「ずっといまのままでいてくれますか?」と言う。これはどう考えたっておかしい。マンドリーカは鈍ちんなのだろうか。それに答えるアラベッラもおかしい。「どうして変わることができましょう」。敗北宣言である。そして二人は抱き合って、幕。
 この場合、検討すべきは、むしろ『アルベッラ』を「ストレートで甘い話」として観る見方のほうだ。
 これはホフマンスタールが効かせた「毒」なのではないか?
 あるいは「毒」を仕込んだのはリヒャルト・ストラウスかもしれない。このラストの台本はR・ストラウスの独断だからだ。ホフマンスタールは、この劇の第一幕しか監修していない。心臓発作で亡くなってしまったからだ。フーゴ・フォン・ホーフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal, 1874年2月1日 - 1929年7月15日)。オーストリア=ハンガリー帝国とともに生きた人だった。

 そのホフマンスタールの代表作に『チャンドス卿の手紙』というのがある。失語症で書くことができなくなったあるチャンドス卿が、長い長い流麗な文体の手紙で、いかに自分が失語症になったかを語る、という話である。構成にそもそも矛盾がある。失語症なら手紙も書けないはずじゃないのか? 太田はこの構成の矛盾に「しょせんホフマンスタールはこの程度のパラドックスも見抜けないロマン作家だよ」と思いつつ、でもわりと好きだったのだが、じつはこれはある意味、ホフマンスタールの“計画”の縮図のような作品である。
 どういうことか? というか、ホフマンスタールの“計画”とは何か?
 忘れないうちに結論を書く。ホフマンスタールの“計画”とは「自らの葬儀の棺の釘を自らで打つこと」。「ロマン主義の墓碑銘を、ロマン主義で書くこと」である。
 よくホフマンスタールの生きた年代を考えてみてほしい。同時代作家に誰がいるだろうか。ロベルト・ムージル(Robert Musil, 1880年11月6日 - 1942年4月15日)、フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)がいる。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856年5月6日 - 1939年9月23日)も、ウィーンで快調にヒステリー研究をやっていた。グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)は毎日決まった散歩コースを歩いていたため、よくファンからサイン攻めにあっていたという。そんな時代だ。ロマン主義? もうすでに昔の話である。そしてホフマンスタールはそんなこと当然わかっていた。でも、ホフマンスタールはロマン主義の流麗な文体で、うっとりするようなお話を書き続けた。ほとんど確信犯的に。なぜ? なぜ時代遅れといってもいいようなロマン主義を貫いたのか? おまけに彼はギリシア古典劇(『エレクトラ』、『ナクソス島のアリアドネ』)や、中世宗教劇(『イェーダーマン』)など、かび臭い題材ばかり扱う。なぜ? 彼の名前に von が付いているから=根っからの貴族だったからか?
 無論、それもあるだろう。爛熟したブルジョワ社会の末期を生きる貴族だからこそ、やらなければならないことがあった。
 いままで自らの祖先たちがたどってきた時代の、埋葬である。
 死んだものは、葬らねばならない。
 しかし、それは外側から行われるのではなく、自らの手で行わなければならない。なぜか? 一つには、外から見ている観察者には、何が死んでいて、何がまだ生きているかがわからないから。生きている者を生き埋めにしたり、死んでいるものを放置して腐乱させたりしたら大変だ。もう一つは、葬儀の仕方を観察者がわきまえているとは限らないから。
 葬儀は、徹頭徹尾、儀式的=形式的なものである。儀式としてはじまり、儀式として維持され、儀式として終わる。葬式に宗教的教義は必要ない。儀式しかない。だからこそ、「どのように葬るか?」という問いがクリティカルなものとなる。葬り方を知っている者が、まず率先して葬儀を行わなければならない。それは誰か。貴族だ。儀式的な(無駄飯食らいの)日々を何代にもわたって送りつづけた、その底力を見せてみろ。
 ホフマンスタールはそれを劇作家として、詩人として、請け負った。十九世紀のロマン主義の葬儀を。あるいはもっと遡って、物語が物語としてピュアに機能できた時代の物語の葬儀を。ぶっちゃけてしまえば、第一次世界大戦(1914-1918)以前のヨーロッパ世界の、壮大な葬儀の喪主の一人として、彼はいる。
 ただし、喪主である彼もまた、「死人」だ。ホフマンスタールはオーストリア=ハンガリー帝国の貴族である。じつは素寒貧のくせに、プライドだけは高い。『アラベッラ』のヴァルトナー伯爵と同じだ。もう後は無い。だが、いままでの生活を変えることはできない。デカダンス。自らからただよう死臭・腐臭に、ホフマンスタールが気がつかなかったはずがない。だから彼はカムフラージュする。男装するズデンカのように。まだ生きていること、闊達であることを偽装する。自らの葬儀を粛々と進める、最後に自らの棺の蓋の釘を自らで打つその瞬間まで。
 ホフマンスタールは、しかし、それを悲劇的には決して行わない。おそらくワーグナーならとびっきりの悲劇にしただろう。得意のライトモティーフで。『トリスタンとイゾルデ』のように形而上学的な救済へと導いたかもしれない。しかし、ホフマンスタールはそうはしない。『アラベッラ』に媚薬は出てこない。出てくるのは、男装したズデンカだ。『アラベッラ』は感動的な死で決着がつかない。「ずっと、いまのままで=敗北したままでいてくれますか?」「どうして変わることができましょう」。『アラベッラ』は、裏・『トリスタンとイゾルデ』だ。あるいは非常に洗練された、新・『サロメ』。
 
 葬儀など行わなくても、時間は流れていく。文明は進む。死体は腐るだろう。そして白骨化する。塵になり、風に吹き飛ばされる。それは弔おうと弔わなかろうと変わらない。しかし、どうも不安だ。なぜだかわからないが。そんなふうに塵となるようにまかせてはならない。フロイトの論文「文化のなかの居心地の悪さ(Das Unbehagen in der Kultur)」(1929)は、そういう“話”だ。「死者たちを葬らないと、気分が悪くなりますよ、しまいには病気になりますよ」。フロイトの弟子、というか継承者のラカンもそう言っている。(ちなみにレヴィナスは「死者たちを葬らないと、祟りますよ」とタルムードを片手にふれてまわる坊さんであり、バタイユは寝ても醒めても葬式のことばかり考えている寺男だ)
 ホフマンスタールは、そしてリヒャルト・シュトラウスは、感謝する死者として、自らを自らの手で葬ってみせる。かつての死者たちの功績を賛美することで。そして自らを遺産とすることで。
by warabannshi | 2010-10-11 23:22 | メモ | Comments(0)
<< 第416夜「エナメル質」 第415夜「剃刀」 >>



夢日記、読書メモ、レジュメなどの保管場所。
by warabannshi
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
twitter
カテゴリ
全体
翻訳(英→日)
論文・レジュメ
塩谷賢発言集
夢日記
メモ
その他
検索
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2004年 11月
2004年 08月
2001年 12月
記事ランキング