第434夜「どん底」
 丸の内の旧帝国銀行の庁舎を改造したような、とても厳しい石造りの数階建ての建物には、いまは映画館やオペラ劇場、図書館、修道院などが各フロアにおさまっている。私は毛皮がずいぶん煤けた茶色の猫と、廊下を急ぎ足で歩いている。絨毯が擦り切れていて、大理石の床の固さが靴底をとおして顎にまで達するほどである。
「昔、ベートーヴェンは、実在の人物だと考えられていなかった」
 茶猫が言う。
「というのも、ロココ調の少女が二人、日傘をさして庭で談笑している絵画のタイトルに『ベートーヴェン』と書かれていたからさ。伝えられている話だとベートーヴェンは痘痕顔のちっちゃいおっさんだったし、少女趣味みたいのもなかった。じゃあ、この二人は誰? って話になり、それよりもベートーヴェンっていたの? って話になったんだ」
「その絵、ルノアールでしょ? 私、観たことあるよ」
「はあ、何だって?」
 茶猫は話好きなくせに老化で耳が遠くなっているから困る。
 歩いても歩いても、呼び出された部屋にはたどり着かない。天心甘栗の屋台が出ている。冬だな、と思いながら、店員の顔を見ると、故祖父Tである。こんなところで何やってるの、と聞きそうになったが、祖父はずいぶん疲れて真剣な顔で甘栗の入った砂利をかき回していたので、帰りにこの店に寄ることにする。それに、固い床を歩き続けているせいで、歯が非常に弱っているのである。
「映画館だ。もうすぐだよ」
 茶猫のいうとおり、ジブリの新作を上映している。その横には大きな木箱がたくさん積み重ねられた倉庫があり、私たちはその隙間を縫うようにして倉庫のなかに入る。
 倉庫はがらんとした空間で、天井の破れ目からさしこむ陽光が空気中のほこりのブラウン運動をくっきりと浮かみあがらせている。
「待っていましたよ」
 木箱を踏み台にして、どう見ても首を吊るためのローブを準備していたKさんが言う。倉庫には、Kさん以外、誰もいない。 
「まず***から」とKさんは猫を呼びつける。
 私はずっと大理石の床を歩き続けていたので、左の糸きり歯がぐらぐらになっている。指でいじっているうちに本格的に肉がちぎりれそうになってので、思い切って引き抜く。そのとき、いつの間にか下左の前歯も欠けていることに気づいた。
「それでは帰ってもよろしい」
 猫は無言のまま、挨拶もせずにふらふらと木箱のほうに歩き出し、木箱にぶつかったり、椅子にはさまれたりを繰り返しながら倉庫から出て行く。
「さて、太田君」Kさんは私に向き直る。
「娘から聞きましたよ。あの体たらくはなんですか」
 あの体たらくの覚えがありすぎてよくわからないが、たぶんユンケルを飲んで酒を飲み、記憶を飛ばしたことだろうと思い、「自分でも酷いと反省しています」と答える。
「金本君たちの必死を、どん底でどんちゃん騒ぎを続けるあなた方がからかう謂れはないはずです」
「まっとくその通りだと思います」
 しかし、金本君、という名前に思い当たりがない。私の下前歯が欠けていることと関係があるのだろうか。
by warabannshi | 2010-12-06 07:43 | 夢日記 | Comments(0)
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