第553夜「桜事変」
 やや出遅れた感があるけれど、井の頭公園でやっている「桜事変」に出かける。夜桜見物の宴である。焼き鳥の煙をもうもうと出しているいせやをちょいと覗くと、友人Sが、彼の友人の話を聞いている。Sは何だか深刻そうな顔をしてうなづいている。卓子の上に、ビール瓶と、まだ湯気をたてている串焼き盛り合わせの皿がある。
 これは邪魔してはいけないと思い、私は一人、池のほうに歩いて行く。坂を下っていくと、燐光が無数にまたたいている。白い花びらが、夜気に滲むように光っている。桜の葉にも、幹にも光がある。魚醤や、蒟蒻を茹でている匂いがする。色々出店があるのだろう。私はだんだん嬉しくなってくる。太鼓腹を出した見知らぬ警備員が、手をあげてこちらに挨拶してみせる。こちらも挨拶を欠かさない。
「あっちからすごいカレーの匂いがしますよ」
「水族館のほうですか?」
「弁財天のお巫女さんたちとの合同企画らしいです」
 水族館のほうに行くと、たしかにカレーの匂いは濃くなっていく。そして、正月に甘酒でも配るような設えの小屋があり、そこで二人のお巫女さんが茶碗に盛ったカレーを配っている。
「甘口ですか、やはり」
 小麦粉がたっぷり入った、冷えきって白い膜がかかったような給食のような代物ですか、とはさすがに聞けない。
「ご安心ください、中辛です」
 薄暗いからよくわからないが、黒々とした印度風のカレーはルオーのそれに酷似している。一口、ほおばってみると、とても美味しい。そして、自分が空腹であることに気づく。私はカレーを食べながら、「桜事変」と黒地に濃い桃色で染め抜かれた幟が幾本も立ち並んでいるのを見る。風が吹いて来ると、幟が一度にばたばたと重たそうな音をたてる。私と彼女たちの外に、一人も人がいない。それををたしかめて、
「今夜は、水族館は、地下何階までやっているのですか?」
 それとない口調で聞いてみる。
「地下二階、ですね」
 一人が答える。
「お願いします」
 井の頭水族館の地下は、下れば下るほどフリークスな水棲生物がいる。何階まであるのか知らないが、地下二階でも十分に楽しめる。目隠しをし、巫女さんに手を引かれて、地下室の階段まで導かれる。水草の匂いが強くなっていく。流れてくる湿気を鼻腔に感じると、いまが何時なのかわからなくなってくる。
「新入りが入ったんですよ」
「へえ」
「オットセイなんですけれど、幕張のほうで水槽から脱走したそうで。いまは専用の“はらわたが煮えくりかえり”ルームに閉じ込めて、ある程度、気が落ち着くのを待っています」
 目隠しを解かれたので、強化ガラスののぞき窓から、なかを見てみると、なるほど、漆を塗ったようにつやつやとした巨体が、しきりにマットで補強された壁を殴りつけたり、尻尾ではたきつけたりしている。大きな穴の底で、憤懣をまき散らしているその若い水生動物は、崩れ落ちることを知らないようである。
 失敬な覗き屋に気づくと、仕込まれた芸のとおり、片手を目の下にかかげ、舌を出して侮辱してみせる。
by warabannshi | 2012-03-08 06:14 | 夢日記 | Comments(0)
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