わらしべ 其の一
 そろそろ笑半紙の宣伝をやらねばならぬ。ということで、唐突に始まりました。
 新コーナー、笑半紙的思弁。略して、「わらしべ」。
 twitterでつぶやいた内容を、少し加工してお届けしています。

 初回は、大学でロボット工学を専攻していた友人Sと、新宿歌舞伎町のギリシア料理デカメロンで、ウゾを飲みながら話した、お化けの話について。

 お化けは一般的に見えるはずの何かが見える、聞こえないはずの音が聞こえるから「怖い」と考えられている。だいたいテレビの心霊ビデオ特集(小学生のときに毎月一回くらいのペースでやっていた気がするけれど、いまもやっているのだろうか)で紹介されるのは、病院の監視カメラが撮ったぼやっとした人影や、人の数と手の数が釣り合わない集合写真とか、助けを求める女性の声が逆回ししたテープから聞こえたりとか、そういうので、“霊感の強い人”がそこに幽霊とか怨霊とかの説明を加えていく、という流れになっている。

 でも実際に、風呂場のドアが独りでに開いたり、鈴の音のようなのが頭の横を通過するといった“怪異現象”に遭遇すると、それは奇妙ではあれど恐怖からは遠い。「呆気にとられる」といえばいいのか……。よしんばそれが幽霊だったとしても、まあ幽霊なんだからそういうこと(ドアをすり抜けようとしたときにうっかり物理的に干渉してしまうなど??)もあるのかもしれないとやんわりとした疑問にとどまる、というか……。

 その一方で、何かを見ても、聞いてもいないにも関わらず、不意に「非常に嫌な感じ」が通り抜けることもあり、“お化け”を思い浮かべるのはそういうときで、それは確かに恐怖や忌避や畏怖のような総毛立つ感覚と結びついている。「霊感」や「生まれ変わり」や「幽霊」というような言葉がおそらくこれからも消えてなくならないのは、視覚や聴覚ではなく、触覚の場所で起こる、この、感覚がそれなりに共有されているからなのだろう。

 ところで、“お化け”の「怖さ」はどこに宿るのだろうか。もう少しいうと、“お化け”は、“発信源が識別不能な影や物音”として現れるものだけれど(たぶん)、それは人のなかのどこで、どのように、「怖さ」と結びつくのか。
 それを考えるとき、ロボットと人間を比べることが、ちょっとしたヒントになる。
 人間の場合(そしてロボットの場合も同様に)、処理される知覚情報のほとんどが、視覚と聴覚から入力される。そのために、「恐怖」が宿る場所も、おそらくは無自覚に、その二つの入力と結び付けられる。なぜ結び付けられるのか。ここで重要なのは、視覚も聴覚も(とりわけ聴覚は)、外界からのフィードバックによって補正されることで、処理結果としての識別が意味を持つという点だ。つまり、視覚・聴覚からの入力情報の識別は、他の処理網(味覚や触覚など)から入った情報を介して「外界の何を見たか/何を聞いたか」が定まる。とくに聴覚に関しては、その入力の一瞬後に、他の処理網によって発信源が確認されないと、落ち着かない感じになる(「声はすれども姿は見えず…」)。
 例えば、視覚の場合、先天的に全盲だった人が、手術によって、大人になって初めて視覚という情報を取り入れ始めたとき、視覚で得られた“それ”と、いままで自分が感知してきた世界との対応関係がわからずに苦労した、という記事を読んだことがある。手を伸ばして触れたり、もう少しで指先が届かなかったり、意外なほど近くて袖でコーヒーカップをひっくり返したり…というフィードバックを重ねることで、「いま外界の何を見ているのか」を識別することに慣れつつあるという。聴覚の場合はさらにこのフィードバックが識別において重要になる。例は割愛。

 いずれにせよ、「外界の何を見たか/何を聞いたか」がわからないとき、それはあくまでも識別不能であるだけで、とりわけ危険なわけではない。見えないはずのもの、聞こえないはずの音、それらは入力源を想定の範囲で特定できない宙吊りの何かだが、危険なわけではない。「落ち着かなさ」は感じても、それが「怖さ」になめにはジャンプがある。一方、触覚は生体にダイレクトに危険を知らせる。pHや温度、濃度勾配で走性を持つゾウリムシにおいても。触覚(と味覚)の特徴は、入力源が感覚器にかなり近距離に接して初めて感じられるところで、そうであるがゆえに触覚や味覚で感知された“危険”はもうフィードバックを待って識別する暇を与えない(飛び退ったり、吐き出したりしなければならない)。純然たる恐怖は、表皮と筋肉に宿る。それでは、なぜ、私たちは目と耳に、それでも恐怖を感じることがあるのか。そちらの方が、怖くもある。
by warabannshi | 2012-04-08 00:41 | メモ | Comments(0)
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