第568夜「大晦日」
 大晦日、新富町まで名前の知らない祖母を迎えに行くようにと言いつかる。町を歩いていると、そこいら中で年越しのための鍋の準備がされている。スターバックスの鉄製の机にもガスコンロと白菜の山が置かれている。路地を曲がるたびに酒のにおいが漂っている。早くも飲んでいる御仁がいるのか、割下をつくるためなのかは知らない。
 とくに急いでいるわけでもないけれど、新富町に行くには川の急斜面をななめに渡るのが一番近道である。枯葉混じりの浅い雪をさくさくと踏んで、途中、ランドセルを背負って「マルセリーノ」をリコーダーで吹いている女子二人を追い抜いて、かろうじてそれとわかる飛び石をたよりに、斜面を下っていく。
 靴底を気にしながら半分ほど下りきったとき、私は立ち止まる。いつの間にか、木戸ができている。木戸は新しいものではなく、むしろ幾年もの風雪のなかで銀鼠色になったもので、いままで気が付かなかったはずがない。私は、不意に何とも知れない恐怖を感じる。木戸を回りこめばいいのだが、無理にでも、その木戸の隙間をすり抜けようと思い、右脚を入れる。すると、ぽきりと木戸の上部の欄間のような細工が折れる。
「無茶するからだよ」
 どこからかとび職姿の中年男がやってくる。植木屋なのか、高枝切ばさみを手にしている。
「まあまあ、彼は夢見心地だったようだし。木戸は直せばよいし」
 真っ白いベストを着た肥満した老人もやってくる。主人のようである。私は自身の不躾を恥じる。
「すみません。弁償いたします」
「弁償じゃ済まないよ。無患子の木肌がこれだけの色合いになるまでいったい何十年かかるか、お前さんは知っているのかい」ととび職。
「ところで、『笑半紙』は持ってきてくれたかい?」
 恰幅のよい主人は、とび職を無視して、突然なことを私に言う。
「いえ、年の瀬のいそがしい時期で印刷所が閉まってしまっていて…。年が明けましたら、三冊まとめてお届けにあがります」
 とっさに嘘をつく。嘘をつきながら、狐に摘ままれているのではと怪しむ。
 主人は落胆したように大袈裟な嘆息をして、
「それから君には木戸の償いとして、馬になってもらうことにしよう。さあおいで。××さんも」
 主人は振り返りもせずに歩き出す。とび職もその後をついていく。私は逃げてしまいたかったが、木戸の損壊と木戸に感じた恐怖の清算が済んでいないので、二人の後を歩いていく。
「長い付き合いになりそうだな。俺の名前は××だ」
 とび職は握手を求めてくる。応じると、わざととしか思えない握力なので、こちらも負けじと握り返す。
「バチカン、ですか?」
「違う違う、××だよ」
「尺八ですか?」
「お前、わざと間違っているだろう」
 そんなことはない。空の上の風の通って行く音がうるさくてよく聞こえないのだ。とび職の声よりも、風の音の方がよほどはっきりと聞こえる。
 いつの間にか屋敷のなかの廊下を歩いている。大きな黒い犬が、座敷を走りまわっている。幾部屋も連なっている座敷の襖はすべて開け放たれているが、妙に籠ってもいて、畳の上で人の動く様な気配がする。
 私はこの屋敷で飼われている馬の世話でもするのだろうか。自分が用事を言いつかっている身であることに今更ながら気づき、こんなところまでついてきてしまった自分のおめでたさを強く悔いる。私は廊下を先頭にたって歩く主人の前に回り込んでいう。
「申し訳ありませんが、日を改めさせていただけますでしょうか。後日、本を持って必ず伺いますので」
 顔をあげて、私は驚く。布袋のような顔が、まるで駄々っ子のように顔をくしゃくしゃに歪んでいる。
「栗鼠も犬もいらない。俺は馬といく」
 叫ぶように老人が言うと、とび職が嬉しそうに言う。
「ついに種名で呼んでしまいましたね!」
 老人がぎょっとしたように私の方を見る。私は何か言いかけるが、舌がもつれて何も言葉にならない。
by warabannshi | 2012-05-13 11:24 | 夢日記 | Comments(0)
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