「宮沢賢治の病跡学的研究―〈まことのことば〉をめぐって」(はじめに)
 宮沢賢治を病跡学的に研究しようとしたとき、賢治がどういう精神疾患にかかっていたのかを診断する、というアプローチは、福島章らをはじめとした先行研究がすでに多くある。そうなると、「宮沢賢治は精神病だった」というより、「賢治が精神病だとすれば、精神病とはいったい何か?」と問い直すことが、もっとも有益な研究方針だといえるだろう。先行研究が示す通り、宮沢賢治の“異常さ”は彼の創造性と強く関連している。しかし、「賢治は病気(躁うつ病、緊張病親和者、てんかん…)であったから、あのような素晴らしい作品ができた」という因果関係を指摘できないので、賢治作品を通じて“異常さ”の幅を広げることを本論の目的の一つとしたい。つまり、宮沢賢治が何らかの精神疾患を抱えていて、その“異常さ”を原因の一つとして諸作品を作ったのだとしたら、なぜ(ひとまず“正常”であるところの)私たちは、その作品で示される価値や感情に対する共感が可能なのか、という問いが、この研究方針には伏流している。


 宮沢賢治の作品にみられる“異常さ”に、なぜ“正常な”私たちは共感したり、あるいは熱情を焚きつけられたりするのか。賢治研究本は、ものすごい量が刊行されている。また彼の作品は戦時下において戦意高揚に用いられてもいる(cf.吉田司『宮沢賢治殺人事件』他)。
 賢治の作品の何が、私たちを高揚させうるのか。その思想だろうか? 例えば、宮沢賢治「農民芸術概論綱要」(1926)http://t.co/0kBZWqQwの、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という断言だろうか? それとも、「雨ニモマケズ」(1933)の祈念だろうか?
 千葉一幹『賢治を探せ』(2003)http://t.co/cg61bGmCは、賢治を思想家としてではなく、創作者として扱うべきという「仁義ある賢治論」を唱える。なぜなら先の「要綱」をはじめ、賢治の思想的宣言はほぼ国柱会の創始者・田中智学と作家・室伏高信に依っているからだ。例えば、田中智学『世界統一の天業』(1904)の「世界に平和の常なければ、一身の安寧幸福は根底より成り立たない。姑息の幸福は一種の禍である。禍の上に立って、その禍を自覚しないのは、眞に危険の大なるものである」という一節に、賢治の「綱要」の断言のルーツを見ることは難しくない。大澤信亮『神的批評』(2010) http://t.co/LtIJ5abgの評論「宮澤賢治の暴力」は、戦闘的な日蓮主義者である田中智学によって引き出された賢治の暴力性が、なぜ菜食主義や「よだかの星」のような絶対的非暴力に至ったのかを考察。賢治のもたらす〈高揚〉の一つの答えがある。
 齋藤孝『宮沢賢治という身体―生のスタイル論へ』 (1997)http://t.co/p1yLWwdaは、「世界に深く触れる想像力」を支える諸身体技法の鍛錬者として賢治を捉え、その作品を読む。“思想家”ではなく“創作者”として限定した読み。こちらの方向で〈高揚〉を探るとどうなるか? 例えば、先の賢治の宣言、「世界がぜんたい幸福にならないうちは…」を“作品”として読むとき、その「世界」とはいったい何なのか? 賢治は「みんな」という語もよく道徳的宣言において用いる(「ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」等)。それは、何か?

 賢治にとって「世界」や「みんな」とは何なのか、と問うより、そう言うときに、賢治は何を行っているのか? と問う方が、より具体的に、彼の思考のメカニズムに迫ることになる。「世界」「みんな」と言うとき、賢治は、そして、その語を理解したり共感したりする私たちは、いったい何をしているのか? 判断の留保だ。「かっこに入れる(einklammern)」こと。フッサールの言うところの「エポケー」(http://t.co/NFDY3h2q)と言ってもいい。それでは、なぜ「かっこに入れる(einklammern)」ことは判断を留保することなのか。引用だからだ。かっこに入った言葉(「世界」や「みんな」)は“誰かがそう言っているところのそれ”であり、“それ”を賢治や私たちは引用して=判断を留保して、使っている。多くの場合、自分が引用していることは忘れてられているが。
 それでは、引用元はどこなのか。「世界」や「みんな」についての引用元、そんなものはあるのだろうか。もちろん、ない。だが、引用元がないにもかかわらず、私たちは引用元を“作ろうとする”。賢治の場合、その“作られた引用元”は、法華経であり、自然科学だった。
 私たちは世界から何かを引用しているのではなく、何もないところから引用して、その引用先として世界を作る。…この順番は逆ではない。先の齋藤の言う「世界にふれる想像力」とは、“引用元としての世界”を作る想像力だ。そして、賢治は、この“引用元”が「まこと」であることに、異常にこだわるのである。


* * *

 賢治を“思想家”ではなく“創作者”として捉えるとき、彼がどのように「世界」の有りようにこだわり続けたかが焦点となる。そのキーワードとなるのが、「まことの」、「ほんたうの」という真正性に関する語彙であった。
 賢治作品のなかで、「まことの」、「ほんたうの」という真正性に関る語彙が表れるとき、そこには極めて高揚した気分と魅惑されている調子がある。その気分と調子は、「ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」(「銀河鉄道の夜」)のような自己犠牲だけではなく、いわゆる道徳性とまったく切り離されても、やはり真実性は魅惑の対象となる。前にも紹介した、保阪嘉内あての「書簡154」http://t.co/kxbTs26tの最後では、「夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり」と断じる。また、「復活の前」(1918)http://t.co/VPlGudMuの、異様な混乱のあとの、「私は馬鹿です、だからいつでも自分のしてゐるのが一番正しく真実だと思ってゐます、真理だなんとよそよそしくも考へたものです」という独白。賢治を駆り立てつづけたのは、この真正性であった。その表れがもっとも端的なのは、後に詳細に検討する、賢治の改稿癖である。生前、刊行されたのは『春と修羅』、『注文の多い料理店』の2冊のみ。「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」、「銀河鉄道の夜」など、現在広く読まれている賢治の童話作品は、すべて推敲途中のものなのだということを、強調したい。

 それでは、賢治は、何の真正性をこそ希求したのか? ここで話は、先ほどの〈私たちは世界から何かを引用しているのではなく、何もないところから引用して、その引用先として世界を作る〉に戻る。賢治は、この〈引用元としての世界〉に、真正の回路でアクセスすることを求める。
 言い換えれば、〈世界〉は引用によってしか表れないが、その引用の仕方に賢治は疑問符をつける。その引用の仕方が、デフォルトの回路(例えば、自然科学や法華経)のコピーでよいのか? と自問する。例えば、童話「銀河鉄道の夜」第四稿の冒頭で、天の川とは何かと先生に聞かれて絶句するジョバンニを思い出すと良い。望遠鏡で天の川を見ると何に見えるか、という先生の問いに、「やっぱり星だとジョバンニは思ひましたがこんどもすぐに答えへることができませんでした」というくだりには、自然科学という〈世界〉へのアクセス方法を無謬の(まことの)ものとして採用することへの疑念が表れている。

 もちろん賢治は“デフォルトの回路”のすべてを否定しているわけではない。例えば、「やまなし」(1923)http://t.co/4QQrxFOcは、「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈」という形をとることで、回路の真正性への疑念に対して中立的。あと、「グスコーブドリの伝記」http://t.co/DJW7WeUwは、“デフォルトの回路”としての価値をほぼ疑いなく採用している。(ただし、同作の最終稿では、ブドリの自己犠牲的な行動への価値評価に関する記述は削除され、空の色や方策になったことなど事実の記述に留められている)
 「学者アラムハラドの見た着物」http://t.co/q3FSfKnAで、アラムハラドが彼の塾の学童たちに人間の本質を問うとき、その本質は二足歩行や言葉を話すである、といった通俗自然科学の答えを認めない。ここでは、自然科学という〈世界〉へのアクセス方法を真実とすることの否定がアラムハラドを通して語られている。そして、饑饉がやむなら足を切っても惜しくないという大臣の子の宣言にアラムハラドは涙し、正義を愛することこそが、人間の本質であると説く。
 しかし、そんな老師に対して、塾内で最も年少のセララバアドは、「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います」と答える。セララバアドのこの答に対して、しばし瞑目したアラムハラドは、「うん。そうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ」と答え、「決して今の二つを忘れてはいけない。それはおまえたちをまもる。それはいつもおまえたちを教える。決して忘れてはいけない」と念を押す。「二つ」と述べられていることからもわかるとおり、アラムハラド=賢治は正義という価値による〈世界〉へのアクセスを、自然科学と同じように否定はしていない。

 いずれにせよ重要なのは、〈世界〉へのデフォルトのアクセス方法を採ることの是非について問い続けることをこそ「決して忘れてはいけない」としたアラムハラド=賢治の作品を内在的に読むうえでは、読み手が賢治の〈世界〉に対するアクセス方法を真似することもまた、否定されるということであり、さらに言えば、病跡学が“病気”を実体的なものとして〈世界〉へのアクセス方法にするならば、それもまた否定されるということだ。賢治を内在的に読むとすれば、“病気”を固定して検出すのではなく、ひとつの分類法として、それをヒントとして、人間の精神のバラエティの幅を測定する立場とならざるをえないのである。
by warabannshi | 2012-07-30 20:56 | 論文・レジュメ
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