第593夜「暗水」
 段階的に深くなっていく、飛込み型の室内プールで泳いでいる。端が見えないプールには、自分の他には誰もいない。誰かがいるような、水音が、波が、ここには伝わってこない。照明は巨大なプールの底からあえかに射しており、遠く暗い天井に水面の仄かな網目模様を映し出している。うまく潜ることができない。こうやって、あおむけになって浮くことは楽なのに。しかし、水深が5メートルも7メートルもあるこのプールで、潜水を楽しまずにいったい何をするというのか。
 呼子笛が響く。プールの端には、いつの間にか5人の女性の姿がある。高校か大学の女子水泳部なのか。揃いのさえない水着で、ちょっと緊張した面持ちの4人に、1人が何かの競技の説明をしている。呼子笛は、私に向かって吹かれたものではなく、その競技に用いられる合図をやってみた、ということらしい。とはいえ、闖入者扱いされたくなければ、このプールから出ていかないわけにはいかない。おとなしく、水からあがろうと、体を反転させたとき、自分が女であることに気付く。臙脂色の水着は彼女らとおなじだ。いつからだろう。水中深くに沈みにくいもどかしさを感じたときには、すでにこれらの体脂肪が浮力で邪魔をしていたのかもしれない。
「溺れるかもしれないと、肺いっぱいに空気を吸ったら、潜るときに大変ですからね」
 そう、プールの端で先輩らしき1人が言い終わると、4人はめいめい、プールに入る。おっかなびっくり、と言えるほどの慎重さで、こちらに向かって泳ぎはじめる。足の爪先が底につかないのは初めてなのだろう。私は彼女らを安心させるように、肺を空気で半分ほど満たし、潜水する。粘性のある水が、肩をすり抜け、腰のあたりでいったん、体を水面の辺りで引きとめようとするが、それも両脚のひとうねりで振り払う。水は澄んでおり、立体的な遠さのなかで、彼女らがいるのが見える。私は水中で、体を丸めて縮め、近づいてくる彼女らの腹と臍を眺めている。あくまでも室内なので、自分も彼女らも、等しく実験施設の試験体であるかのような、無機質な感覚がある。
 彼女らの思考が水により伝導されるのか、様々なイメージがきれぎれに去来する。――長い黒髪の女の子が布団のなかですすり泣いている。同じ布団に入り、天井を見上げている少しだけ年嵩のもう一人の女の子が、視線を動かさないまま、言う。
「もらい泣きはしないよ。○○は口だけで泣いているから」
 長い黒髪の女の子からの答えは、ない。すすり泣きが、幾分か押し殺されたようになり、しかし、嗚咽がしゃっくりのように目立つようになる。長い黒髪の女の子は、「すべて自分が守った自分」という言葉を核として、何かを言い繕おうとしている。いっそのこと、漫画の文字だけのコマのように、声をなくして言葉だけが暗闇に浮かび上がればいいのに、とも思っている。
 ――あるいは、これは、このプールの水に溶け込んだ以上は、水そのものの記憶なのかもしれない。
by warabannshi | 2012-08-25 06:20 | 夢日記 | Comments(0)
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