第599夜「アイロン」
 発情期に入った雌猫の長い長い呼び声が、町のどこにいっても離れない。「う」と「や」と「な」が高音域で混ざった、時折「ぎ」も混ざるあの声が、猫の体のどこから出続けるのか。二時間も叫んでいれば、骨と皮だけになってしまいそうだ。雄の蝉はあの小さな体で七日間ほど鳴きつづけるが、猫は十年間は生きつづける。
「猫はこの恥をそそぐことができるのだろうか」
 商店街のクリーニング屋の若い店主が言う。視線は、店の外の小春日和の日光を眺めているが、手は休まず、天井から束になったコードにつながれたスチームアイロンで白いワイシャツの皺を伸ばしている。
「発情期の猫は恥ずかしがっているんですかね」
 私は猫のことよりも、どちらかというとこの若い店主が自分と同じくらいの年齢なのか、それともずっと年下なのか、それとも光の具合でわからないだけで意外と老けているのか、そういうことをはかりかねて変な言葉づかいになってしまう。
(あらゆる動機の根源に、恥を感じ取ってしまうことが、人間の一つの特性だよ。その恥は、根源的な、生き恥のようなものだ。そわそわすること、落ち着かないこと、生体の奥底から湧き上がってくるぶつぶつした泡のような苦痛と、本来ならばあるべきと考える静穏とのあいだのずれを、私たちは恥と名付ける。あるいは受難と……)
(でも、猫は自分自身のあるべき静穏なんて、きっと考えたことありませんよ)
(猫が考えたことがなくても、箱型になって日向で眠る猫を知っている私たちは考えるだろう)
 私は不意に目を覚ます。うつらうつらしていて、どこまでが本当のことかわからない。
 クリーニング屋の店主は、とりすました顔で、仕上げたワイシャツをビニール袋に入れ、次のワイシャツに手を伸ばす。水槽では大きな和金が一匹、オオカナダモのあいだを漂っている。表では、しかしやはり猫が助けを呼ぶように長く声をあげていて、どんな雄猫でもいいから、早く交尾に駆けつけないものかと思う。
by warabannshi | 2012-12-21 11:12 | 夢日記 | Comments(0)
<< 第600夜「造物」 第598夜「饂飩屋」 >>



夢日記、読書メモ、レジュメなどの保管場所。
by warabannshi
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
twitter
カテゴリ
全体
翻訳(英→日)
論文・レジュメ
塩谷賢発言集
夢日記
メモ
その他
検索
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2004年 11月
2004年 08月
2001年 12月
記事ランキング