「宮沢賢治と精神分析―奇妙さと隣り合うために―」【前編】
1.はじめに

 宮沢賢治がどのような精神疾患をわずらっていたのか診断する、というアプローチは、福島章らをはじめとした多くの先行研究にすでに多くみられる。そうであるならば、今日、宮沢賢治に関する病跡学的な研究は、〈宮沢賢治はどのような精神疾患をわずらっていたのか〉とあらためて問うよりも、〈賢治が精神疾患をわずらっていたとすれば、精神疾患とはいったい何か〉と問い直すほうが、より新しい発見を見出せるのではないか。先行研究が示す通り、宮沢賢治の“異常さ”は彼の創造性と強く関連している。賢治の精神疾患(躁うつ病、緊張病親和者、てんかん…)の特性と、創作活動や社会活動との因果関係は、すでに精緻な裏付けをもつ指摘がなされている※1。そこで本論は、賢治の“異常さ”の質を分析するのではなく、賢治作品を通じて“異常さ”の幅を広げることを目的としたい。つまり、宮沢賢治が何らかの精神疾患を抱えていて、その“異常さ”を原因の一つとして諸作品を創作したのであるとしたら、なぜ、ひとまず“正常”であるところの私たちは、その作品で示される価値や感情に対する共感が可能なのか、という問いを問う。そのことは、宮沢賢治と私たち自身の精神を理解する新しい枠組みを示唆してくれるはずである。
※1 杉林稔、高宜良「緊張病親和者としての宮沢賢治」日本病跡学雑,63,2002年

2. 宮沢賢治の作品の特徴としての、真正性への希求

2-1.宮沢賢治の受容のされ方

 宮沢賢治に関する研究本は、彼の生誕100周年を迎えた1996年をピークとして、現在も多くの量が刊行され続けている。2011年の東日本大震災の後には「雨ニモマケズ」(1933)が国内メディア、海外のチャリティーイベントでくり返し朗誦された。賢治の作品が熱を持って受容されたのは最近十数年のことに限らない。吉田司『宮沢賢治殺人事件』(1997) は、賢治の作品が日中戦時下において戦意高揚に用いられていたことを指摘している。例えば、1941年、賢治の「雨ニモマケズ」が満州建国大学のセリヨデキンによって、満州建国の理想を表すものとして朗読されている。
 一般的にそう思われている通り、賢治の作品において戦争は肯定されていない。しかし、事実として賢治の作品は祖国と生死をともにする精神を鼓舞するものとして機能したのである。賢治の作品の何が、私たちを高揚させうるのか。先の、「雨ニモマケズ」の「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」という祈念だろうか。それとも、「農民芸術概論綱要」(1926)の、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という断言だろうか。それらは、賢治の思想を表したものとして、“思想家としての賢治”を語るうえで外せないものとなっている。
 しかし、賢治は思想家なのだろうか。戦中、90年代、震災後のどの時期においても、賢治の作品の大がかりな受容が起こる時には、賢治は少なからず思想家として捉えられている節がある。しかし、千葉一幹『賢治を探せ』(2003) は、賢治を、思想家としてではなく、創作者として扱うべきだと主張する。なぜなら先の「農民芸術概論綱要」をはじめ、賢治の思想的宣言はじつのところ、国柱会の創始者・田中智学と、当時ベストセラーであった『文明の没落』、『土に還る』を書いた作家・室伏高信にそのほとんど依っているからだ。例えば、田中智学『世界統一の天業』(1904)の「世界の平和よりは、先づ一身の幸福をといふが、一身の幸福にも根がなくてはつまるまい、世界に平和の常なければ、一身の安寧幸福は根底より成り立たない。姑息の幸福は一種の禍である。禍の上に立って、その禍を自覚しないのは、眞に危険の大なるものである」という一節に、先の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という断言のルーツを見ることは難しくない。また、室伏高信の『文明の没落』や『土に帰る』は、羅須地人協会での農耕生活の実践などに大きな影響を与えている。賢治に思想家としてのオリジナリティはほとんどない。

2-2.キーワードとしての「ほんたう」

 このような背景にも関わらず、賢治の作品を読むとき“思想家としての賢治”のイメージを払拭することはむずかしい。そこには、彼の作品内に頻出する、「ほんたう」、「まことの」などの真正性に関わる語彙が関係している。同時代の他の作家と比べても、賢治作品のなかで、「まことの」、「ほんたうの」という真正性に関わる語彙は明らかに多い。しかもそれらの言葉が表れるとき、作品には極めて高揚した気分と、魅惑されている調子が混在することになる。例えば、彼の代表作ともいえる「銀河鉄道の夜」の終盤のジョバンニの独白。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だってさうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。

 あるいは、賢治が生前に唯一刊行した童話集『注文の多い料理店』に収録されている「鹿踊りのはじまり」の冒頭。
 そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから、夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。

 “思想家としての賢治”というイメージは、彼のこの真正性への強い志向によって裏打ちされているといえる。だが、その気分と調子は、ジョバンニの自己犠牲や、霊感を得る恍惚にとどまるものではない。真正性は、その最初期においては非常に奇妙なものとして、さらにいえば病的なものとして表明される。
 賢治は日記を書かなかったが、多くの書簡が残っている。「書簡154 保阪嘉内あて」(1919年8月20日前後)を読むと、賢治が「まことのことば」、「ほんたうのさいわい」というとき、その真正性が、決して平穏なものではないことがわかる。
幽霊が時々私をあやつって裏の畑の青虫を五疋拾はせる。どこかの人と空虚なはなしをさせる。正に私はきちがいである。諸君よ。諸君よ。
[……中略……]あなたはこんな手紙を読まされて気の毒な人だ。その為に私は大分心持がよくなりました。みだれるな。みだれるな。さあ保阪さん。すべてのものは悪にあらず。善にもあらず。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。すべてはわれにして、われと云はるゝものにしてわれにはあらず総ておのおのなり。われはあきらかなる手足を有てるごとし。いな。たしかにわれは手足をもてり。さまざまの速なる現象去来す。この舞台をわれと名づくるものは名づけよ。名づけられたるが故にはじめの様は異ならず。手足を明に有するが故にわれありや。われ退いて、われを見るにわが手、動けるわが手、重ねられし二つの足をみる。これがわれなりとは誰が証し得るや。触るれば感ず。感ずるものが我なり。感ずるものはいづれぞ。いづちにもなし。いかなるものにも断じてあらず。

見よこのあやしき蜘蛛の姿。あやしき蜘蛛のすがた。

今我にあやしき姿あるが故に人々われを凝視す。しかも凝視するものは人々にあらず。我にあらず。その最中にありて速にペン、ペンと名づくるものを動かすものはもとよりわれにはあらず。われは知らず。知らずといふことをも知らず。おかしからずや、この世界は。この世界はおかしからずや。人あり、紙ありペンあり夢の如きこのけしきを作る。これは実に夢なり。実に実に実に夢なり。而も正しく継続する夢なり。正しく継続すべし。破れんか。夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり。善なり善にあらず人類最大の幸福、人類最大の不幸

 賢治はこの箇所の前に「私は邪道を行く。見よこの邪見者のすがた」とも表明しており、幻聴や譫妄に、恐怖しつつ魅惑されてもいる様子がうかがえる。また、この混乱した手紙の最後では、「夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり」と断じる。
 また、この書簡の前年に、同人誌『アザリア』に発表された初期短編「復活の前」(1918)もまた、対象への憐憫、他方での尋常でない狂暴さという不均衡のあとの、「私は馬鹿です、だからいつでも自分のしてゐるのが一番正しく真実だと思ってゐます、真理だなんとよそよそしくも考へたものです」という真正性の独白で終わる。
 賢治を生涯、駆り立てつづけたのは、この真正性であった。
 この真正性への強い志向がもっとも端的に表れているのは、後に検討する、賢治の改稿癖である。生前、刊行されたのは『春と修羅』(1924)、『注文の多い料理店』(同)の2冊のみであること。「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」、「銀河鉄道の夜」など、現在広く読まれている賢治の童話作品は、すべて推敲途中のものであることを、ここで強調したい。未発表作品ばかりではなく、すでに出版された『春と修羅』も、彼自身の手による書き込みでさらに手が加えられていることも明らかとなっている。
by warabannshi | 2013-02-20 21:20 | 論文・レジュメ | Comments(0)
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