ゴーゴリ『死せる魂』中村徹訳、「世界文学全集」49巻、新潮社、1963年
 〔自分が書類に書き写した〕百姓たちの名前を眺めやった。いずれもかつてはまさしく百姓として手仕事をしたり、田畑を耕したり、酔っぱらったり、馬車引きをしたり、旦那の目をごまかしたり、そうかと思えば、ただの地道な百姓だったりした連中なのだが、彼はふと奇妙な、自分でもわけのわからぬ感情に支配されてしまった。どの名簿もその一つ一つが何か特殊性をもっているようで、そのために個々の百姓までが独自の性格を得ているように思われたのである。カロボーチカ〔という地主〕に属していた百姓は、そのほとんどが注釈や綽名をいただいていた。プリューシキン〔という地主〕の名簿には字句の簡潔が目立ち、なかには名前と父称の頭文字だけを並べて、あとは点を二つ打っているものもあった。サバケーヴィチ〔という地主〕の目録は、類のない充実ぶりと細かさで驚嘆させ、百姓の性質などにも一つとして書き漏らしはなく、「指物をよくす」とか「物わかりよく、酒を嗜まず」などと書き添えてあった。父はだれ、母はだれ、両親の行状はどう、ということまで詳しく記されてあった、が、ただフェドーエフとかいう男の場合だけは「父親不詳にして下婢カピトリーナより生まれたるも、性善良にして盗癖なし」と書かれてあった。これらの詳細な記入事項は一種特別な新鮮味を与え、さながら百姓どもはつい昨日までも生きていたように思えるのだった。長いこと彼らの名前を目にさらしながら、彼はしんみりした気持ちになっていたが、やがて溜息をつくと、こんなふうに呟いた。――《おい、おっさんたち、ずいぶんぎっしり詰め込まれているね! 一体、お前さんたちは、生涯何をやって通ったんだね! どうやって身すぎ世すぎをしてきたんだい?》そのうちに彼の目はある一つの名前の上にとまった。それは往年、女地主カローボチカに属していた例のピョートル・サヴェーリエフ・ニェウヴジャイ・カルイトという長ったらしい名前だった。彼はまたも呟かずにはいられなくなった、――《こりゃまた、なんて長ったらしい名前なんだ、行いっぱいに広がってやがる。お前は職人だったのかい、それともただの百姓かい。死にざまはどんなだったい? 飲み屋でくたばったのか。それとも道端で寝ているところをうかつな荷馬車にでも轢かれたのかい? ――プロープカ・スチェバン、大工、典型的なる酒嫌い、か。――ああ、こいつだな。スチェバン・プロープカっていうのは。サバケーヴィチが近衛にお誂え向きだなどといったあの勇士だな! きっとお前は斧を腰にぶっこみ、長靴を肩にしょって、県下を隈なくうろつき、一銭二銭のパンや干魚で腹をふさぎ、家へ帰るときは銀貨で百ルーブリずつも財布の中に貯めこんでいったのだろう、あるいは紙幣の一枚くらいはズボンへ縫い込むか、長靴の中へ押し込んでいたかもしれない。だがお前は一体どこで死んだんだ? 大きな儲けをしようとして教会の丸屋根の近くまで上ったんじゃないのかい。そして十字架へでもよじ登ったところを、そこの横木から足を滑らせて地面へ墜落したんだろう。で、そばに居合わせたミヘイ小父とか何とかいうのが首筋をなでて「ちょっ、ワーニャ、へまなことをしやがるな」とでも言って、そのまま今度は自分が縄を体にくくりつけてお前の身代わりに登って行ったんだろう〔以下略〕》

世界文学全集〈第49〉死せる魂・はつ恋・スペードの女王 (1963年)

ゴーゴリ / 新潮社


by warabannshi | 2013-04-06 03:08 | メモ | Comments(0)
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