第618夜「宣教」
 身長5メートルを優に超す僧侶が、同志の1人の頭を林檎のように握りつぶし、辻に集まった人々から喝采を受ける。その野蛮な歓声の届かない遠く離れた街路で、私は双眼鏡で眺めるのをやめ、そして瞑目する。早く川を渡らなければ。双眼鏡を、荷車に積んだ嚢のなかにしまい、友人を亡くした私を気遣うように目を伏せる同志たちに混ざって、再びその押し手に加わる。早く川を渡らなければ、次にあの場所で人々が汚物を投げつけられ、公開処刑を受けるのは私たち全員だ。あの目立ちたがりの巨僧が異教徒を手づから捕縛したがっているにせよ、彼には酷薄な出し物の後片付けがあるだろうから、少しだけ逃げおおせる可能性はある。私は荷車を押す。あぶらぎったアスファルトに、踏ん張った革靴の底がずりずりと滑る。
 どれほど歩いたことか知らない。長い上り坂と下り坂を3つほど越えた。鼻腔に酸っぱさを感じるような風が時おり吹くようになり、私は川に近づいていることを知る。「ちょっと先に行って、渡れる橋があるかどうか、確認してきます」といい、他の同志たちの返事を待たずに駆け出す。道を走るに従い、不快な刺激臭は目と喉にも達してくる。一刻も早く、立ち去りたい場所から立ち去るために、もっとも近寄りたくない場所へと近づいている。私は笑い出したくなる。しかし、一度笑い始めてしまったら、そのまま気が触れてしまうのではないかという恐れが、私を醒めさせる。
 そして、目の前の川には、見渡す限り橋がない。
 工業地帯を流れる川はどれも、あらゆる種類の廃水が集まる排水路に過ぎないが、それでも川である以上、単なるごみ溜めになる前の名残のようなものがある。橋がその一つだ。しかし、橋はない。川幅はそれほどではないが、泳いで渡るということはまったく考えにくい。川の中ほどで、皮膚は爛れ、目は潰れるだろう。
 とうとう笑い出そうとしたとき、ふと、川縁に立てられているボタンのついた杭を見つける。私はそのボタンを何気なしに押してみる。ごり、と足元で関節の外れるような音がして、川縁に延々と続く柵の一部が外れ、植物組織のように、舗装された道が対岸へと伸びはじめる。そういう仕掛けか。私は後続の同志たちをそのまま川縁で待とうとしたが、以前、突然変異を起こした水棲植物に同士の一人が川に引きずり込まれて喰われたことを思いだし、悲惨な死を遂げた彼女をあらためて悼みながら、川沿いの倉庫の壁に後ずさる。
 オモト、オモト、という叫び声が聞こえる。川の対岸から伸びてくる橋、その先端に、揃いの白い防護服を身に着けた者が数名、そしてぼろぼろの身なりの少女が一人。防護服姿の者たちは、それぞれ手に長い棒を持っている。此岸に橋が圧着されると、彼らはその足元にあった頭陀袋のような塊を棒についた鉤でひっかけて引き摺り歩きはじめる。少女は、オモト、オボド、と叫び続けている。嫌な予感は、嫌な予感として片づけたかったが、それは間違いなく、彼女の父親と母親である。化学的変化の末に、腐った烏賊のようになリ果てた二人に、私は私たちに許された祈りを奉げる。いったいどこでどのような事故に巻き込まれたのか。小声で詠唱を続けながら、革靴のなかにじっとりと汗がたまっていくのを感じる。
by warabannshi | 2013-05-12 06:11 | 夢日記
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