火星、少なくとも地球ではなく火星だと思いたい、地平線まで続く赤茶けた荒野に垂直に、高さ400メートルほどの黒一色の塔が建っている。その最上階にあたるスペースで、“嘆き”による殺菌実験が行われている。原理は極めて簡単なものであり、複数のステレオからの超音波振動で、細菌、カビの細胞膜を崩壊させ、物理的に死滅させるというものである。どういう趣味がそうさせたのかはわからないが、ベートーヴェンの第九「歓喜に寄せて」の合唱として聞こえるように調整されている。当然ながら人体にも相応の効果があり、兵器としての転用も可能である。つまり被害者は、「歓喜に寄せて」の大合唱のなかで、表皮を爛れさせながら、煉獄の苦痛に悶えて息絶えるのである。悪趣味という以外に何と表現すればよいだろうか。それは歓喜(Freude)ではなく、“嘆き(Klagen)”と呼ばれるにふさわしい代物である。
いや、“嘆き”と呼ばれるにふさわしいものは、この施設で働く者たちである。彼らは一様に白い樹脂製の装甲服(ストーム・トルーパーのような)を身に着けており、個々の顔は見えない。それでもあえて、面にあたる部分を外すと、まるでいままさに歯医者の検診を受けようとしているかのように、口腔を大きく開いている表皮をなくした顔を見ることができる。彼らはじつのところ、常に絶叫しているが、声帯を除去されているために、面をつければまったく取り澄ましたように立ち振る舞う。彼らの音のない絶叫は苦痛によるものではなく、いや苦痛として知覚されているのかもしれないが、ほとんど刺激のない極地での作業が可能であるように前頭葉に手を加えたがための副作用の一つである。
この施設には、「歓喜に寄せて」に聞こえる“嘆き”と、無音の嘆きを叫び続けながら雑役を務める召使たちしかいないのか。そんなことはない。非常に紳士的な者たちもいる。彼らはおとぎ話から抜け出てきたかのような、あるいは手塚治虫の描くキャラクターのような、擬人化された食肉目のフォルムをしている。なぜそういうフォルムをしているのかは知らない。不稔を象徴しているのかもしれない。いずれにせよ、彼女らは人間の成年並みの知性を持っており、“嘆き”のメンテナンスに関わっている。ただ、彼ら、彼女らの寿命は90日程度であり、彼らはその昆虫のような生を薬剤に頼ることなく(もちろん全員ではない)、楽観的に生きる。生まれながらのエピキュリアンたちは書字に長けており、なかには詩文めいた断片を書き遺すものもいるが、やはり声を持たない。