惑星探査を可能にする技術力をつけても、所得格差を解消しきることができないくらいの近未来。
かつて貧困層が最後に売ることができるものといえば、自らの臓器であった。再生医療の進展とともにその蛮習は絶えた(しかし、相変わらず人身売買や、奇形のコレクターは存在している)。
しかし、売ることができるものは、なくなったわけではない。金に困った者が最後に手をつけるもの。それは時間である。
コールドスリープで数十年間の眠りにつき、覚醒したときには、極地における作業か、あるいは数十年後の“人手が必要とされているにも拘わらず慢性的に人手不足の作業”に就くことになる。あるいは生殖細胞のバンクとして機能するかもしれない。
いずれにせよ、長期間のコールドスリープは再試ができない、一か八かの博打である。そして、現在のあらゆる人間関係の“外”に出ることになる。ウラシマ効果として古くから知られる現象である。だから正確にいえば、貧乏人が最後に売ることができるものは、自らの時代なのだといえる。
最近、まことしやかに流れている噂といえば、コールドスリープの最中に、断続的に目覚め、“時間旅行”を楽しむ人々が現れているというものである。血管に多大な負荷をかけ、脳卒中リスクをはねあげる断続覚醒は、もちろん非合法である。「イシキリ」と呼ばれている彼らは、水面を跳ねる小石のように、向こう岸に着くまでにあいだの数日間を楽しむのである。
イシキリは、コールドスリープの解除権限を持つ者に少なからぬ賄賂を渡して可能になるが、そもそも渡せる賄賂がある時点で金には困っていないわけで、さらに賄賂を渡した相手が冬眠時にそのまま逃げてしまうかもしれず、失恋などで捨て鉢になった者の、気の利いた自殺法とでもいうべきものだろう。