「君は自分が夢日記をつける側の人間だということを自覚したほうがいい。だいたい夢日記は近代の産物だし―」
「そんなことはない。『夢記』の明恵は鎌倉時代の僧侶だよ。サン=ドニ侯爵とフロイトのイメージが強いのでは?」 「―いずれにせよ、夢は、呼吸や、食事と同じように、われわれが毎日するものなわけだよ。その起源を考えようと考えまいと。夢を見終わった後、その光がどこから来るのかについて、ふつうは問わない。それは、なぜ食べるのか、という問いと同じようなもので、少しく、病的だよ」 「でも、健康的と病的とを分かつものはなんだろう。なぜ“健康な人”は“病的なもの”に魅かれうるのか」 「僕、草間弥生を評価する見方が嫌いなんだよ。草間さんが嫌いってことじゃないよ。アール・ブリュット全般について、それを評価する見方が相容れない」 「なぜ」 「作品に見出される価値が、個体の兆戦であって、人類の挑戦ではないから。正直なところ、精神障害を抱えている人が作ったもので、作品として取り扱われているものの99.9%は、10年後に残ってないと思うよ。なぜかといえば、美術史的な抵抗がないから。逆に精神障害を抱えている人の書いたものは個人的には面白くて、それは言語が絵具よりも強い抵抗となっているからだと思う」 「じゃあ例えば、ゴッホはたぶん遠近感がわからなくて、絵画・美術史から“ふつうの視覚”を学ぼうとした人なわけだけれど、ああいうのはいいんだ」 「好きだよ、ゴッホ。最初期の作品とか、ほとんど美大に行きたい予備校生が描いたような、生真面目なものだよね。彼は自分の視野が“ふつう”とは違うことを自覚していたし、それをどのような質の抵抗として位置づければよいかを常に考え続けていた、秀才になりたかった天才だと思う」 「そういえば、村上隆『芸術起業論』か『芸術闘争論』のなかで、生前にまったくの無名であったゴッホが、一気に天才として評価されるようになったきっかけは、〈貧=芸術=正義〉という図式によるところが少なくないと書かれていたけれど、あれはどう思う」 「問題なのは、どういう〈貧〉かということだと思う。封建主義における〈貧〉か、資本主義における〈貧〉かで、その質は変わる。つまり、前者においてはカリスマ的な支配者層が象徴を供給するが、経済的な〈貧〉が固定化される。後者においては、階級は流動的になり、経済的な〈貧〉は固定化はれないが、神がいないために象徴的な〈貧〉が生じる。 ゴッホと同世代の画家に彼とシェアハウスもしていたゴーギャンがいるけれど、彼は、象徴的な〈貧〉を主題にしていたポストモダンな画家だと思う。『私たちはどこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか』という題名が示唆するように。対してゴッホは―」 「伝道師になりたかった人だものね。貧民街で階級格差のなかに身をおいて、結局、伝道活動が苛烈すぎてだめになって、27歳くらいから絵を描きはじめる」 「〈貧〉を2つにはっきりと分けることはできないだろうけれどね」 「気になるのは、現在、経済的貧困と象徴的貧困の2種類の〈貧〉が同時に生じて、“神(神々)もいなければ金もない”という状況が固定化されることで、だから、唯一、自分の記憶より他に、何の参照項も持たない特異なものとしての夢を記録するというメソッドが、象徴的なものの生産へのダイビング・ボードになってくれればと思っている」 「だから、多くの人が〈貧〉に耐えられないと思うのが、君の前提なんだって。」 (以下、略) 「知性的なことをしたいよ」 「いまやっていることは知性的なことじゃないの?」 「“白い知性”と“黒い知性”とのバランスが欠けている」 「それはわかる」 「“黒い知性”が発揮される場がないと、マグマのようにふつふつと沸きあがってくるわけですよ」 「博論は、“黒い知性”にいかに“白い知性”の相貌をさせるか、ということに尽きる」
by warabannshi
| 2013-12-27 12:34
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