私はFに向かって熱心にしゃべる。
「夢が消えていく間に、夢を記録しているのではなく、消えてしまった何かをひとまず夢と名づけて、その何かをくり返し記録できるようにしている。
記録もまた、言葉で縁取ることができる輪郭であって、消えてしまった何かそのものではない(消えてしまった“何か”ではなく、“消えてしまった”が問題なのだ)
宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で用いた石炭袋の比喩のように、どおんとあいた穴そのものだ。そして、穴の輪郭とは穴そのものではない。引用符の括弧だけがあり、何も引用がなされていないとしたら、括弧をもって引用とはしないだろう。
知覚は、めずらしく、最初から最後まで能力の問題なので、知覚できないものはどうやっても知覚できない。夢の知覚においてはなおさらだ。夢を見ているとき、眼は閉じられているのだから。夢の光源は何か。モネの作品群を観ていると、それがいつも思い出される。夢の音は何を媒介に伝わるのか」