「塩谷賢の哲学道場」@哲学塾カント 第2回ノート まとめメモ
2015年3月27日 テーマ:「知ることは力である」とはどういうことなのか?


・「知は力なり」と言ったのはフランシス・ベーコンだけど、これ、賛成する方はどのくらいいます。反対の方。よく分かんない方。うん、正直でよろしい。では、なぜ力だと思うんだろう。その場合の力って何だ。どういう条件では、知が力になるんだろう。
・例えば小学生くらいにこういう話を多分すると、頭のいいやつは学校で偉そうに見えるから知は力ですとか、単純な話になるわけだけど、前回話したジャレド・ダイヤモンドの話の中で、どうしてスペインのピサロがインカ帝国を滅ぼせたのかという話を思い出してください。
・山の中をてくてく歩いていって、食い物もろくにない。人数もせいぜい200人、馬も30頭くらい。インカ帝国の方は2万人くらいいたらしいですが、一発で勝ってしまった。いろんな要因はあるんですけど、一つはインカ帝国のほうは、ピサロたちが何者であるか全く知らなかったんことにあります。
・一方、ピサロ側はある程度の情報は伝聞で知っているわけです。新大陸に行くと、こういうことがあるよね。こういう話があるよね。こういうやつらが居るよねという形で、前もって備えができるわけです。知識にもとづいて準備をすることができる、そういう意味で、知は力だということが、まずできます。
・自然が相手になったときも同じことが言えます。日本語だと「自ずから然り」と書いてますけど、ラテン語だとnaturaです。これには、本性とかいろんな意味があるわけです。本性って何だろうというと、そいつがそいつであるための本質ですよね。
・自然というのは、人間にとって必ずしも良いもんじゃないわけです。食べ物がいつもあるとは限らない。不測の事態ということはいつでも起きる。例えば、漁師の「板子一枚下は地獄」って諺がある。自然っていうのは何が起こるか分かんないわけですよ。なぜか。われわれじゃないんだよ、自然は。
・自然自身が好き勝手やってるわけですよ。人間の思惑に従ってやってるんじゃなくて、そいつ自身の内から湧き出るものによって、そういうふうに振る舞ってる。本性としてね。それは私の本性じゃない。だから自然を知ることで、様々な事態に対処することができるようになる、楽になるわけです。
・相手を知るっていうことは、相手に対処をするための準備ができることです。これはすごいアドバンテージなわけよ。でも相手が分かんない場合もあるわけね。そもそも準備ができるってことは、相手はまだ不在なわけですよ。居ないのにどうして相手を同定できるんだ。まだ居ないのに。
・しかし、相手が不在なのに準備をするっていう形でしか、われわれは準備できないんですよ。そうすると、相手というのは、本当に今ここにある個的な現実(あんまりいい言い方じゃないですけど)ではないわけよね。だって居ないんだもん。だから、名前とかパターンとかを使わざるをえないわけです。
・名前もパターンも「同じもののくり返し」なわけですよね。抽象化して、適宜こういう形をやって、相手が居ない、不在な状況でも使えるようにするわけ。戦争と自然への対処の話をしましたが、交易でもそうですね。物々交換でもいいんですよ。何かと取り換えるためには、何を準備しておけばよいか。
・山の民と海の民が交易をするとき、例えば山の民は衣服になるような繊維を持って来る。海の民は食える魚を用意する。でも前と同じ繊維を持って来るかどうか分からないし、相手が何を欲しがるか分かんないわけね(マグロばっかり食いたいやつかもしれないし、マグロが嫌いかもしれない)。
・そのとき、マグロもタイもイワシも「魚」って言葉で処理しちゃうわけ。「魚」と「繊維」を交換しようって。この一般化を続けていくと、相手が誰でも使える「お金」になる。準備するためには相手を特定しなければならないという条件を、どれだけ緩めていくかっていうことが、我々にはあるわけよ。
・これは真理っていうことの一つの側面でもあるわけですよ。いつでもどこでも正しい。いつでもどこでも正しいから、いつでもどこでも使い、いつでもどこでも何に対しても準備できる。
・そういう形で言うと、名前というのが、非常に引っかかるわけですよ。この名前というのは何なのか。
 名前には、固有名と一般名というのがあります。固有名っていうのは、それしか指さない。今ここに居ないけど、太田和彦って人がいて、この固有名は彼しか指さない。まあ、同姓同名ってこともあるけれど。
・一般名の場合は指すものが幾つもある。でも、指すものが幾つもあるっていうけれど、そこではある種の指し方のパターンとか指されるものの範囲が決まっているわけです。じつは固有名っていったって、ある固有名を有している人がずっと同じかどうかって分からないわけですよ。
・一般名の場合は、その名前を当てはめることができる、ものを集める範囲や同じものと見なせるパターンの範囲っていうのが問題になります。この、言語的な名前が持ってる範囲って、実は極めて独特な形なの。
・名前っていうのは、決して物質的な形で固定されない。例えば、言語を越えても翻訳ができる。犬とdogはだいたい同じものを指します。でも、違いもある。昔はクジラは「勇魚」と言われて魚でしたが、いま私たちはクジラを魚とは見なしません。にもかかわらず、同じように魚と言えてしまう。
・一般名を使うっていうことは、全てを前もって知るわけにはいかない曖昧なものに対処しようとすることです。それはさっき言った、相手の本性(natura)を知ろうとすることでもあります。
・相手の本性を名前を通して知ろうとするっていうのは、相手の本性を名前という形で、分類できるものとして、ひとまとまりのものとして知ろうとするということであり、じつはこれは概念というもののかなり大きい側面です。
・前回も言ったとおり、哲学を語るのはラテン語という唯一の言葉だった。特にキリスト教と融合した後は。ギリシャでも、本当のことを言うと、やっぱり自分たちの使っている言葉を特別視したわけね。周りの連中、要するに野蛮人(バルバロイ)っていうのは違う言葉をしゃべるやつらだって意味だから。
・一種類の言葉によって世界を知ろうとするとき、名前はその言葉の体系の中で、まさに一つのものを指すかのように思われるわけです。だから名前をつけること、その概念について知ることが、名付けられた相手の本性を知るというふうになったわけですよ。
・さて本当にそういう形で、相手の本性をつかまえることができるんでしょうか。この相手の本性をつかまえるということは何のためにしてるか。準備して対処するためにしてるんだよね。相手の出方が分かんないときに、どういう準備をするか。
・例えば、デパートにポケットに財布つっこんで行くとするじゃない。何を買うかは決めていないけれど、デパートに行けば必ず品物がある。でも、時期のソ連では、デパートに行っても何もないわけですよね。店員はいるが品物はない。つまり、お金があっても、買い物ができる保証はないわけですよ。
・私たちはお金があればなんとかなるだろうと思っていますが、そんなこともない。さて、ここでわれわれが知るというときに、しかも哲学という知り方をするときによく出てくる問題が現れます。知ったことを、どうやって何に使うんですか、あんたらはと。
・最近、宇宙の始まりの構造はどうなってこうなってという研究をしていると言われるわけですよ。「それが何の役に立つんですか」「それに対して何十億円っていう予算をつけていいんですか」とか。それに対して、ああだこうだとみんないろいろと言い訳するわけね。
・でもその問いは一定の意味を持つように聞こえるわけ。そもそもなんで学問をやって金をもらえるのか。昔は金なんかもらえなかったわけですよ。ギリシャの連中は自分で経営してたから。別にアゴラで議論して金をもらってたんじゃないからね。では、『饗宴』でされているような議論は何のためなのか。
・ひとつは、新しい知識を得るってことが喜ばしいからです。それがあるから、朝日カルチャーセンターとか行くんだよね、基本的には。でも、それは銀行通帳にお金が溜まっていくのを見る楽しさと、どういうふうに違うんでしょう。
・もちろん、お金は即物的だし、知識は即物的じゃないっていう言い方あるかもしれないけど、使うっていう話から考えたら、そこはどっかつながってるんじゃないですかね。
 でも、やっぱり何か知識を特別扱いしたくなるのは、われわれが使っている知識、言葉というやつに影響されていくからです。
・じつのところ、ある言葉が、世界の組織のされ方、つながり方と一致しているという保証はどこにもない。われわれが一致しているだろうと思っているだけですよ。ネルソン・グッドマンのグルーのパラドクス(*)とかが示唆的ですが。
・つまり、われわれの準備の仕方は、準備の仕方のその来歴によってるわけですよ。でもその来歴によってるってことが、個々の相手に対して全部当てはまるっていう保証はどこにもないわけ。
・大体は合ってることは間違いない。でも、それは中島さんがよく言うように、明日世界がないかもしれないって可能性を考えるのが哲学だとすれば、ずっと準備してたからっていって、それがそのままいつでもいけるって保証はない。
・それにもかかわらず、哲学は真理ってことを伝統的にやってきた。だから、知は力なりっていう言葉は、相手がどうであるかということを無視して、こちらがこういうふうに相手を見てること、それが世界の真実、真理であると述べてしまうことができるという意味でも、知は力なんですよ。
・だから、対処するっていう形の「知は(手段としての)力なり」と、そしていま言った「知は(自分/相手を変化・改定させる)力なり」という2つの意味があるわけです。これは両方ともフィードバックのなかに見出すことができます。
・準備をする→相手が来る→対処をする→その結果をふまえて自分の準備の仕方を改定するという一連の流れをフィードバックといいます。フィードフォワードというのもあります。これは相手が来ないまま、これをどんどんつくり上げていく、抽象化をしていく場合です。
・フィードフォワードっていうのは、ある意味で自分の妄想の中を突っ走るわけ。これは「知は(自分/相手を変化・改定させる)力なり」が極端に働いた場合です。フィードフォワードというのは単純に間違ってるわけではないです。相手を待たないからものすごい効率がいいわけ、当たればね。
・フィードバックっていうのは相手っていうのが必ず必要なんですよ。ところが、フィードフォワードは、1人でいいんですよ。知を極めていき、概念でやっていき、ものごとの本性を見るという形で哲学ということに対するある種の完全論的な立場を立つと、どんどん後者に近くなる気がしませんか。
by warabannshi | 2016-01-08 09:06 | 塩谷賢発言集 | Comments(0)
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