探索記録19 「まぐれだとしても」
「これは積極的に捉えられることだと思うんだけれど、オータ君の文章には悪意がないよね。オータ君の文章を読んでると、言葉を使って第三者を攻撃しよう、って意図があまり、というか、ほとんど感じられない。――そこは評価できるポイントだと思うんだけれど、でもここであえて言っておきたいのは、言葉をあまり無自覚に使いすぎてはいないかってことなんだ。つまり、無自覚に発した言葉によって、第三者を傷つけてはいないかってこと。言葉っていうのは必然的にいろんな意味。社会的、文化的、政治的な意味を引き寄せるものだから……。
 たとえば、オレがここ最近で一番あり得ないって思ったのは、……アラカワシュウジ、だっけ? 半月くらい前に、芸大に来た建築家、オータ君が聴講に行ったっていう、……荒川修作か。その荒川修作のあとで、オータ君が、掲示板に書き込んだ記事のタイトル、覚えてる? 『開放された自閉症児』、って、書いてたよね。オレはあれはあり得ないと思ったね。オータ君は他意なしに、荒川修作のもっとも適した表現として、『開放された自閉症児』って言葉を使ったんだろうけど、じゃあ、それを見た『開放されてない自閉症児』の親はどう思うか、ってことだよ。もしくは、君が自閉症児の父親だった場合、自閉症児の息子を持っていた場合、果たして『開放された自閉症児』っていう表現をすることができたかどうか。あるいは、君が車椅子に乗っているとして、『翼を持った車椅子の少年』っていうフレーズを聞いたときに、どう感じるか、ってことだよ。
 言葉っていうのは十分人を傷つけうるものだってことを、たとえ、オータ君がそんな気がまったくないとしても、言葉は相手を傷つけうるものだってことを、いまの四〇〇倍くらい意識したほうがいいと思う」
 金曜日の夜六時ごろ、早稲田の文学部キャンパスの食堂で苺ジャムのケーキと沖縄そばを食べながら友人・Sが言っていたことが、その夜からいまにかけて、キーボードを打とうとするたびに頭に浮かんできて反復されている。それはSの「言葉は相手を傷つけうるものだってことを、いまの四〇〇倍くらい意識したほうがいいと思う」という言葉に意識が固着してしまっているというよりも、むしろ、Sがくり返し使っていた、「言葉が人を傷つける」という表現そのものに違和感を感じて、それがなかなか解消されないからなのだろう。
「え、じゃあ、オータ君は言葉で傷つけられたことないの?」
 やっぱり沖縄そばを食べている友人・Mが言う。というか、Sの沖縄そばはもともとMのだ。「炭水化物をできるかぎり摂らないようにしている」Mは沖縄そばのそばをSに手伝ってもらっていて、けれどそのお昼ご飯はエビ入りポテトサラダとおむすびだった。
「いや、言葉で傷つけるっていう、慣用表現があることはわかるよ。
 でも、実感がまったくともなわない表現だな、って思う。
 傷つける、っていう動詞は、こうやって直接的に皮膚を傷つけることじゃん。(とりあえず、スパゲッティー・カルボナーラを食べるのに使っていたフォークを逆手に持って腕、手首からひじにかけての腕を引っかいてみた)。言葉っていうのは徹底的に抽象的なものでしょ? だから、なんていうのか、言葉で悲しくなる、怒る、ってことはありうるけれど、それで、言葉で傷つくっていうのが悲しくなる、怒る、っていうのの強調表現だっていうのはわかるけど、ただそれだけなんだよね。そういう意味で、皮膚感覚と、言語っていうのがうちの中で、もう、ぜんぜん乖離してるのかもしれない」
「もしかしたら、人からすごいネガティブな言葉をかけられた経験が少ないのかもしれないね。経験の総量が」
「そもそも、言語システムに対する感覚、というか距離感っていうのは全部後天的に決定されるわけ?」
「……というか、どっからこの話になったんだっけ?」
 思い出そうとしてみたけれど、思い出せない。三日前の金曜日のあの瞬間は、たしかに思い出せて、それで元の話題に戻っていったのだけれど、今では元の話題が何であったかも忘れてしまった。けれど、交わされた言葉を書き出しながら思い出していたのは、今月の1日、芸大の第三講義室で聴いた荒川修作の声だった。(荒川修作が来たのは、茂木健一郎というクオリア(質感)という概念を提案した脳科学者の講義で、彼のブログに荒川修作の講演が録音されたmp3があるから、時間がある人は聞いてみてください)。講壇の正面に置かれた、簡素なプラスチックの黒いイスに足を組んで座った彼の声は、奇妙に低音で、よく通り、響きとしては人の声というよりコントラバスのような管楽器の音に近い感じで、隣の女の子はノートを丹念にとっていたけれど、うちはとてもノートをとれるような雰囲気ではなかった。「言葉に傷つけられる」という表現は、やっぱり過剰表現というか、倒錯したもののだと思うけれど、言葉を皮膚感覚で知覚した(この表現も、おかしいか)のは、荒川修作の声が初めてのように思う。じっさい、教室で聞いているときも、上腕三頭筋の筋肉がぴくぴく痙攣を始めたり、さらに上野公園まで荒川修作を追いかけていって話を聞いたときは、(もちろん一人で追いかけていったわけではなく、七、八人くらい本物の芸大生らしき人たちも話を聞くために彼についていったからそれに混じった。結局荒川修作はブランコがある広場みたいなところで立ち止まり、後についてきた学生に追加でいま手がけている制作品について話してくれた)、姿勢がめちゃくちゃに崩れてしまって、妙な猫背になってしまい、なんというか、猿人みたいな姿勢になっていたように思う。「まるで猿人みたいだ」とか思いながら、荒川修作の声を受けていて、けれど、こういう姿勢でなければ荒川修作の声を声として受けることはできないのだから仕方ない。「意識を言葉に固着させるな」とつぶやくように言った荒川修作の言葉には、最初から最後まで、留保されている情報がほとんど何もなく、ほのめかし、迂回、誘惑といった隠喩的な作用とは無縁に、直線的な意味作用に奉仕されていた。しかしそれは、「言葉は差異の体系である」と唱えるレヴィ=ストロース以降の構造学者の完成し、閉ざされた言語観とは異なり、実践、行為のうちに直接的に開かれている。その声に賭けられているものは限りなく大きく、言葉に賭けられているものは限りなくゼロに近い。

 一気に話は飛ぶけれど、今日、来週の月曜日から三週間続く教育実習のために、東武東上線の「池袋」~「志木」間を各駅停車で往復しながら板書ノートを作っていたら、ふと、化学繊維の座席に座って揺れている自分の体が、無数の偶然の集積であるかのような感覚に陥った。感覚に陥った、というか、「自分の体が無数の偶然の集積である」という考え方、捉え方がリアリティをもって現前した、と言えばいいのかわからないけれど、枕木の鳴る規則的のようで不規則な硬質な音と、窓の外の「午後三時すぎから雨になる」と予報されていた群青色の空に、高圧電線の黒い直線が六本、交差しているのを目にしながら、「自分の体がここに存在していることは、驚くべきことではないか?」という問いかけが唐突に現れ、じわじわと広がっていった。
 膝の上に広げられているノートには、中学校理科の「生物の分類」で「五界説」の説明の仕方のメモが走り書きしてあって、メモといっても半年ぐらい前から文章でしかメモが取れなくなった自分のメモは、五日後に教壇で発せられる声を先取りするような話し言葉でこんなことを書いている。

 五界説は、時間が経てば、モネラ界の生物がどんどん原生生物界に移っていって、原生生物界の連中も、植物界とか菌界とか動物界にいっちゃうような錯覚に陥るかもしれないけれど、それはあくまでも錯覚であって、ウソだからね。
 あと、数万年後には、節足動物の先に「超・節足動物」が現れたり、脊椎動物の先に「超・脊椎動物」が現れるかもしれなくて、それが進化なんだ、とか思うかも知れないけれど、それもやっぱり錯覚だからね。五界説はあくまでも、いま、存在している生物種を、組成の複雑さを一つの基軸として分類してみただけのモデルでしかないんだから。(ちなみに、末端にいくほど高度な機能を持っているわけでもないよ。菌界の生物種は動けないことに注意。ただ、仕組みが複雑で適応度が高いだけ)。
 生物のぜんたいは、人間の作った、二界説や五界説、あるいはドメイン説のはるかに先を行っていて、人間の作った分類体系-モデルは、生物のぜんたいに決して追いつくことはできないんだよ。できるのは、可能な限り、生物のぜんたいににじり寄っていくことだけで。
 これから話していくことになると思うけれど、原生生物界から植物界に移っていくときに、“陸上への進出”っていう現象がポイントになるんだけれど、彼らは、新しい生活の空間を求めて、自発的に陸にあがっていったわけではない。五界説のモデルで見ると、まるで彼らが「自発的に陸上進出を果たした」ように見えるけれど、それは時間を逆向きにさかのぼっているからそう見えるだけ。これも、この五界説の図が引き起こしやすい錯覚の一つで、「よくわからないけれど、気がついたら、造卵器と造精器ができていて、この体で生きていけるところを探したら、陸上しかなかった」というのが、進化の場で起こっている現象で、そういう変化はいつでも、いつのまにか起こっているものなんだと思う。
 その変化の理由なんていうのも、当然、人間の後付けでしかないわけで、原核生物(モネラ界)から真核生物(原生生物界~)への進化も、食細胞にミトコンドリアやシアノバクテリアが、なんの拍子に、なんのきっかけで共生をはじめたのかなんてわからないんだよね。食細胞も、ミトコンドリア(好気性細菌)も、それぞれ別個の生物だったわけで、それが突然合体して共生をはじめるなんて、普通はあり得ないことでしょ? なのに、それは起こった。
 さらに、生命の起源まで遡ると、オパーリンって化学者が、電流を原始海水に流し続けて、アミノ酸を作るのに成功して、教科書では「原始の海から声明は生まれた」なんて簡単に紹介しちゃってるけど、でも、アミノ酸は生物ではないでしょ? アミノ酸からDNAの塩基配列が偶然作られる確率は、数億分の一で、その数億分の一がなかったら、いまだに地球に生命は存在しなかったわけで、

 ここまで書いて、さっき言ったような、「自分の体がここに存在していることは、驚くべきことではないか?」という問いが、目の前に投げ出された。その問いに感じる「実感」は、日常生活の中で感じている実感とは異質なもので、なぜなら前者では後者の実感を発生させている具体性は、ほとんど皆無であるからだ。なのに、その問いの強度は、自分の脇腹の筋肉を数分に渡って痙攣させるほどに確かなもので、だからこの問いは、差異の体系としての言語として解析されうる素材ではなく、一つの声として処理されるべき命題なのだろう。言葉に傷つけられている、という状態は、この感覚のネガティブな側面が強調されたものなのだろうか。
by warabannshi | 2006-05-22 20:33 | メモ
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