探索記録27「白昼夢の記録」
 フランスの画家、サルバドール・ダリ((Salvador Dalí, 1904-1989)の、『記憶の固執』(1931)という作品では、くにゃくにゃに柔らかくなった金色の時計が、二つ、岩砂漠の枝とテーブルにひっかかっている。ちょっと忘れられない絵画なので知っている人も多いと思う。うち自身は、『記憶の固執』を、初めて見たのはいつか覚えていないけれど(たしか、テレビで見たのだ。原画を見たわけではない)、時計が即物的に融解しているのだと思って「なんて熱い絵だ!」と勘違いしたのを覚えている。
 この、『記憶の固執』はダリの巻きこまれた白昼夢が画題だと言われている。
 ダリは白昼夢を見てすぐに帰ってくるために、椅子に座って、垂れ下げた手にスプーンを持ち、白昼夢に入ったとたんにスプーンを落とすように工夫した。そのスプーンが床に落ちた音で我に返り、「記憶の固執」のキャンバスに向かった。というエピソードが映像付きでうちは記憶している。(だから、やっぱり、『記憶の固執』の初見はテレビ番組を通してだったのだ)
 そのとおり。白昼夢は面白い。白昼夢を題材にした作品が、例えば絵画などの場合はシュール・レアリズムとしてカテゴリー分けされるのが不思議でならない。白昼夢が現実離れしているから「ふつうじゃない」と言うのなら、例えばギリシャ神話を題材にしたゴヤ(1746-1828)の、『我が子を食らうサトゥルヌス』(1819-23)なんかは完全に「ふつうじゃない」。
 白昼夢は、ふつう流通しない。それはそうだ、白昼夢はたぶん多くの人が日常のなかでふとかいま見るものだし、睡眠時に生理学的な幻覚を一回も見たことがない人は、むしろめずらしいだろう。
 ただ、白昼夢や夢の面白さが伝わりにくいのは、白昼夢や夢を「誰でも見ることができる」からではなくて、“この”白昼夢や“この”夢を「もはや誰も見ることができない」ところにある。“この”白昼夢や“この”夢”には、再現性が、まったくないのだ。再現性がないということは、流通のために自らを省みることもできない。接頭詞re-が付きようがないから、re-presentation(表象)の次元ですらない。“この”白昼夢や“この”夢を、反省することもできない。「うっかり夢のなかで大量殺人を犯してしまったから、オールナイトでスプラッタ映画を観るのはとうぶんやめにしよう」という反省ができるじゃないか? それは夢ではなくて現実の領域の反省だから、次元が違う。反省という作業の次元を同じにするなら、「うっかり夢のなかで大量殺人を犯してしまったから、次は止めのなかの自分から銃を取り上げることにしよう」という文章になるはずで、やはりその試みは成功しない。
 だから、“この”白昼夢や“この”夢を再現することは原理的に不可能なのだけれど、それを了解しても、“この”白昼夢や“この”夢を作品にしたいという衝動は依然として衰えることがない。おそらく、ダリをはじめとしたシュール・レアリストの一群もそんなこと(“この”白昼夢や“この”夢”を再現することは原理的に不可能)は承知していたことだろう。それでも、“この”白昼夢や“この”夢に偏執するのはなぜかといえば、「不可能なものに憧れていくのが芸術という営為だ」からではまったくなくて、“この”白昼夢や“この”夢の「圧倒的な面白さをもう一度、細部にわたって再び体験したい。再び体験できないわけがない」と、ある一群は信じきっているからのように思える。

(追記)
 白昼夢、夢とリアリティを考察する上では、脳科学的な知見ももちろんながら、デイヴィッド・ルイスの様相実在論も興味深い。
 つまり、
「因果的に独立した無数の世界が存在し、それぞれの世界は我々の世界と同様に本物であるが、我々の世界とは何らかの違いがあり、さらに反事実的条件文(ex.「もし私があのとき得点していたならば、私のチームは勝っていただろう」、「もし今日が正月なら、私は全身の毛を剃らなくてはならない」)のうちの特定のものを真とし、それ以外を偽とするものが何であるかを説明するために我々の世界内の対象について言及することが必要である」
「全ての可能世界は同等に現実的であって、我々が生きる世界が他の世界より現実的であるということはない」
(wikipedia「デイヴィド・ルイス」より)

という、世界の複数性についての非常に楽しい知見。
 ルイスに関しては、kugyoさんのブログくらいでしか馴染みがないけれど、いずれは相見えることになるような気がする。
by warabannshi | 2008-09-28 13:58 | メモ | Comments(0)
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