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第6夜 「母の眼球/父との将棋」
 とにかく、何かのレース中なのはわかっている。
 そうでなければ、こんな山の中の黴臭い小屋、というか休憩所にいるわけがない。
 十二日十三泊という長丁場で、数十人の若者たちがゴールを目指して競争している。
 どこにゴールがあるのかは、知らない。
 たぶん、誰も、知らない。
 けれど、親切なことにアスファルトで舗装された道が小屋の前からは続いている。
 山道とは思えないほどキレイに舗装されている。ヒビも入っていないし、黒光りしている。
 この舗装された道を進めば、ゴールまでたどり着ける。
 ……そう思わせるのが、主催者のネライだ。
 今日の昼すぎだって、二股に分かれた山道で、地図をロクに調べないで、左の舗装されている道を進んでいった第一集団が、まとめて道に迷った。というか、まったく逆の方向に進んでいった。
 途中で地図と照らし合わせた誰かが道の間違いに気がつき、全員で慌てていま来たコースを引き返したけれど、二位だった女の子は最下位グループにまで転落してしまった。挽回は、もうムリだろう。
 うちはその一部始終を、静止画像も入ったVTRで見ていた。
 VTR?
 この黴臭い小屋に、テレビなんて上等なものがあっただろうか?
 いや、ある。ちゃんと、赤い小型テレビがある。
 ムダにかわいいデザイン。
 というのも、ここは廃業したプチホテルだったらしいのだ。
 部屋の隅に付いている小さな洗面台からは湯も出るし、歯ブラシまでコップに入っている。
 ついでなので、歯を磨く。
 歯肉が腫れていることに気がつく。

 一晩眠ると、だいぶ体も軽くなった。
「ちょっといい?」
 母親が部屋に入ってくる。
 まさか、母親までレースに参加していたとは知らなかった。
 いや、べつにレースに参加していなくても、ホテルに泊まる客はいるだろう。
「眼にゴミが入ったみたいで…」
 母親の左眼球を明かりを点けて覗き込んでみると、たしかに、
 眼球の下、白目のところにまつ毛が刺さっている。
 まつ毛が眼球から生えているのではない。
 毛の先端が、眼球に刺さっているのだ。毛根は関係ない。
 棘抜きを持っていればベストなのだけれど、そんな繊細なものはキットの中にない。
 仕方ないので、指先で引き抜こうとする。
 一回目は失敗。
 二回目で、硬い針のようなまつ毛をつまみ出す。
 途端に、ボロボロと透明な液が眼球の傷口から溢れだす。
 でも、うちは慌てない。
 べつに眼球が萎んでしまっても、液が出ただけならやがて回復するはずだ。


 その日も陽のあるうちは、山を駆け回って、岩肌をよじ登ったり、崖を滑り降りたりした。
 腕も足の筋肉も強ばっている。体が重い。
 また、打ち捨てられたプチホテルを見つけて、休むためにそこに這いずりこむ。
 壁にもたれかけて呼吸を整えていると、正面の三つ並んだドアの、左と真ん中のドアから、何かが床をするするすと這ってこっちに迫ってくる。
 左のドアからは延長コード、真ん中のドアからは掃除機のプラグが伸びてくる。
 どちらも、それぞれの部屋の中に隠れている超能力者が操っているのだ。
 二人とも、中学生の双子の女の子だということはわかっている。
 このコードに巻き付かれて縛られたらオシマイだ。
 平気で感電死とかさせられそうな予感がする。
 平成生まれは何をするかわからない。
 とっさに、掃除機のプラグを、延長コードのコンセントに差し込む。
 バチッ! と、ショートした音が聞こえたと思ったら、
「あーあ……」
 と、失望したような溜息が、それぞれの部屋から洩れてきた。

 どういう経緯があったのかさっぱりわからないけれど、双子の女の子を含めた六人編成のパーティと意気投合して、プチホテルの同じ部屋に泊まることになった。
 同じ部屋、と言っても、左の部屋は物置だし、右のドアは釘で打ち付けられていて開かないので、真ん中の部屋しか使えず、みんなそこに集まっているだけだ。
 三段ベッドが二つあって、ソファと合わせれば、ちょうど七人まで寝ることができる。
「そういえば、お前、将棋かチェス、打てる?」
 話をふっきてたのは、端正な顎ヒゲを生やしたアニキ風の男だった。
 このアニキは、じつは推理小説家で、パーティのメンバーは全員そのことを知っていた。
「YOU KNOW?」
 と、わざわざ英語で訊いてきたのでカチンときて、
「I’m novelist too」
 と答えた。まあ、いまはnovelistと認知されてはいないけれど。
 将棋なら打てるよ、と答えると、どこからともなく将棋盤とコマを持ってきた。
 どうやらプチホテルに備え付けてあったらしい。ムダにサービスが良いホテルだ。
 将棋のコマを盤面に並べていると、どうもおかしい。
 見たこともない名前のコマが混じっている。
 例えば、【亜怜(あれい)】、【前(まえ)】なんてのがある。
 どうやって動かせばいいのかすらわからないし、裏には奇妙な漢字が書かれている。
 読み方すらわからない。
 アニキも困惑したようで、
「とりあえず、使えるコマだけ使おうぜ」
ということになった。
 結果的に、アニキの【歩】が半分くらいしかなくて、
「じゃあ、俺の【歩】は横移動もできるようにしてくればいいよ」
と言ったので、それで了解してさっそく対局を始めた。
 数手指したところで、うちの四間飛車がキマる。
 これはうちが勝ったな、と内心で思っていると、
「あれ、それ二歩だろ」
 アニキの指摘をよく見てみると、たしかに盤面には二つ縦に並んでイチゴが乗っている。
 このイチゴは、【歩】の役目を果たしていたイチゴだ。
「ちょっと待てよ、まじに興ざめだよ」
 ブーイングするアニキの顔は、いつのまにか父親の顔だ。
by warabannshi | 2006-02-24 05:04 | 夢日記 | Comments(0)
探索記録16 「熱狂の七日間/『好き』と、『受け』のこと」
ルイス・ブニュエル 『アンダルシアの犬』
ルネ・クレール 『明日を知った男』
イングマール・ベルイマン 『第七の封印』
ロベール・ブレッソン 『スリ』
パーシー・アドロン 『バグダッド・カフェ』
スパイク・ジョーンズ 『マルコヴィッチの穴』
イエジー・カクレロヴイッチ 『尼僧ヨアンナ』
グリゴーリー・コージンツェフ 『ハムレット』
スタンリー・キューブリック 『フルメタル・ジャケット』
                 『博士の異常な愛情』
テオ・アンゲロプロス 『ユリシーズの瞳』
              『永遠と一日』
              『旅芸人の記録』
アキ・カウリスマキ 『カラマリ・ユニオン』
            『マッチ工場の少女』
            『罪と罰』
            『レヴィ・ド・ボエーム』
            『コンタクト・キラー』
            『浮雲』
ジム・ジャームッシュ 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
              『コーヒー&シガレッツ』
ヴィム・ヴェンダース 『ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ』

 あと、『シャーロック・ホームズの冒険 完全版』を四本借りたから、総計二十六本。あらためて数えてみたら、そんなに本数は観ていないことがわかって、少し驚く。この一週間は、じつは小説をほとんどまったく書いていない。映画を観ていた。いつもは小説を書いている時間を映画に回していたから、てっきり五十本ぐらい観ている気になっていた。(おととしの秋。大学を自主的に休んで、部屋でチャップリンと黒澤明の作品を一週間、昼夜かまわずぶっ続けで観たことがある。そのときはたしか、一週間で三十五本観ていたはずで、その次の一週間は、軽い失語症になっていたはずだ。“はず”という言葉が連発するのは、その期間の記憶が曖昧だからで、一つ一つの情景は白昼夢のように鮮明なのに、編集を間違えたフィルムのようにめちゃくちゃにつながれている)
 今月の十日から、今日までの九日間使えたTHUTAYAの半額クーポンを目一杯使った感はあるけれど、いかんせん、映画を観るのに回せる時間が足りなさすぎた。フェデリコ・フェリーニ監督作品も三本借りてきたのだけれど、結局観ている暇がなくて、再生することもないまま返却ボックスに入れてきてしまった。睡眠時間を削れば、それも観られたとは思うけれど、映画を一本見終わった後でとる数十分の仮眠は、たぶん映画を観ているのと同じだけの意味が充満している時間だという感覚があるから、やっぱり借りすぎなのだ。それでも、こういう借り方、鑑賞の仕方しかできないのには、やっぱり理由がある。

 「好き」という感情の強度は、どこかで、「量の多さ」と結びついているように思う。あるいは、例えば映画を「好き」であるということは、まさに映画を観ている時間、映画について考えている時間、映画について語る時間が、一般の人間よりも圧倒的に多い、次元が違うほど多い、という事実でしか証明できないように思う。ここで、わざわざ証明という言葉を使うのは、「私は映画が好きだ」と第三者に向けて宣言をすることを前提としているからではない。それ以前に、なにより、「映画が好きな私」というセルフイメージを形成する拠り所として、「量の多さ」を位置づけているからだ。
 これは個人的な話だけれど、自分は、何かが「好き」であるという感情に自信がない。映画にしろ、小説にしろ、「好き」であるという感情を、時間-数量的な確認なしに、感じることができない。自分にとって、「好き」であるということは、好きなそれをたくさん観たり聴いたり、隅々まで触ったりつついてみたりすること、そんな働きかけに満たされた時間を長く過ごす、ということに他ならない。
 それは恋愛感情に特に顕著で、自分にとって、「好きな女の子」とは、ほとんどイコールで「長い時間、一緒に過ごした子」なのだ。いままで好きになった女の子は、最短で約二年間の、最長で六年と半年間の、「その子を好きになるために必要な時間」があった。その後、その子と付き合っていた期間というのは、「その子を好きになるために必要な時間」よりも短かったりするのだけれど、それはそれで置いておいて、恋愛を語る上で、世間的には重要と見なされているルックスや仕草、体型、性格の差異みたいなものは、自分の場合、逆にその子に誘引されていく形で、その子に合わせて、逆に好きに“なっていく”。つまり、目の前にいる彼女次第で、好みがあっという間に変わる。「好きなルックス」、「好きな仕草」が、「好きな女の子」から供給されるという逆転現象が平気で起こる。これも、一緒に過ごした時間の量、という要素が、その他の恋愛感情を形成する諸要素に比べてはるかに先行しているからなのだろう。だから、いわゆる倦怠期を察知することが苦手で、高校のとき付き合っていた子に呆れられたことがある。というか、倦怠期がどういうものなのか、いまだに実感としてわからない。わからないといえば、一目惚れという現象も理解しがたいものだけれど、あれは「好きなタイプの女の子」を想像の上で設定して、常に反復しながら確認し、現実にそのイメージと近似的な女の子と出会ったとき、彼女を好きになる、と考えれば納得できる。一目惚れとは、二人称的な幻想が先行して発生する恋愛感情なのだろう。

 ――べつに、一目惚れのメカニズムをわざわざ考えたり、納得する必要なんてないじゃないか。そんなことしてなんになる。と、一部の人は思うかもしれないけれど、「好き」、という、人間という存在を語る上で避けては通れない感情ですら、なんというか、“書き換え可能”な人にとっては、一目見ただけで相手に心を惹きつけられてしまうこの現象は、どうしても気にかかってしまうものなのだ。一目惚れ、が、できる人たちというのは、“書き換え不可能”な領域に、すでに恋愛対象のイメージ、というか、ビジョンが設定されているのだろうか。自分にとっては、指紋や生年月日、筋肉組織中の速筋と遅筋の割合、睡眠欲求くらいに“書き換え不可能”な領域に、「好きなタイプの女の子」が書き込まれているとしたら、それはもう本当に、一目惚れする人としない人のそれぞれの世界観は、まったく異質なものになるんじゃないだろうか。
 ちなみに、自分はヒトに一目惚れすることはないけれど、モノに一目惚れすることはある。
 この記事の冒頭で並べた二十二本の映画の中でも、テオ・アンゲロプロスと、アキ・カウリスマキの作品がとくに多いけれど、二人とも、それぞれの撮った作品を一本観て、一発で好きになってしまった監督だ。(アンゲロプロスは『永遠と一日』、カウリスマキは『過去のない男』が、一目惚れのきっかけとなった最初の一本だった)。アンゲロプロスの、無音の緊張感に満ちたロングショットは、「見る」ことと、「聴く」ことの限界と掟(?)をおしえてくれるし、カウリスマキは、人間の無力さを、苦痛も絶望も、諦めすらも附帯しないまま、小さなユーモアすら交えつつ淡々と展開していく。黒澤明、小津安二郎、チャーリー・チャップリン、ジャン=リュック・ゴダール、……言語化できないほどの密度と強度のある情報を、映像と音声から放射してくる監督には、自分はあっけなくまいってしまう。できれば、最初の一本を映画館で観たかった、とさえ思うのは、どこかで、この一目惚れを物語仕立てにすることを願っているからだろうか。「こんなに感動的な出会いだったんだよ!」と、第三者に向かって、あるいは、「好き」という感情に根拠を持つことができない自身に向かって宣言するために。
 物語化、といえば、アンゲロプロスにしても、カウリスマキにしても、それらの良さを自分が内発的に発見したわけではない。二人の監督の名前を知ったのは、映画を月に数十本のペースで観ている大学のゼミの後輩・Hに、「これ、オススメですよ」と言われたのがそもそものきっかけだし、小津も、去年、早稲田の講義に潜っていたときに、高橋世織という、いまは退官してしまった教授が熱烈に小津を誉めたたえていたのが、少なからず印象にあったから、THUTAYA浜田山店の棚の中から彼の作品を選び出したのだ。決して、自分の潜在的な「好き」が先行していたわけではない。……

 「好き」という感情を、人間は物語化の作用なしに抱けるものなのだろうか。いや、「物語化の作用なしに」、なんて言い方は、どこかで物語の存在を保証して、そこから逃げている響きがあるからおかしい。物語化を排した「好き」、なんていうのも、やっぱり物語の産物だ。
 ただ、「好き」という感情が発生している状態がいい。と、いうわけでもない。ただ、「好き」。と言うときも、ただ、という言葉が、「好き」である状態に不自然な透明さをもたらしてくる。あまりにも、その「好き」は光に満ちすぎている。白々しい光に、目が眩みそうだ。まるで、好きである何かの対象よりも、「好き」という概念が先行してしまっている。そうではない。それは「好き」ではない。「好き」は、光に向かってまっすぐに、直線的に上昇していくような感情ではない。見たり聞いたり感じたりする時間に、不規則にあらわれるブランク。不透明さ、澱み。……それらを意識しはじめると、時間がとても微分できるようなものではないことがわかってくる。
 近代から現代にかけての時間感覚は、どこかで、時間が微分可能であることを前提としているように思う。なめらかに連続して、過去に回帰することもなく、いま、という一点において、急激に、なんて言葉すらおこがましいほど一瞬のうちに、なにかが変化することもありえない、時間。けれど、未来に向かってひたすら綿々と、無限に続いていく、時間。――グラフに書けばわかりやすいのだけれど、フォトショップを動かしているあいだにイメージが崩れてしまいそうなので、それぞれの頭の中でイメージして下さい。高校の数学の教科書にのっている、二次曲線、三次曲線の右の端は、無限の彼方へと伸びているはずで、それこそが、その曲線の微分可能性を保証しているものであり、また、現代を生きる人々の多くが持っている時間感覚を基礎づけるものだ。(そもそも、時間をグラフという可視的なもので表現しようとすること自体が、現代の時間感覚の大きな特徴だとも思うけれど、その話はまた次の機会にしたい)。でも、くり返しになるけれど、時間はとても微分できるような代物ではない。過去から未来に向けて、なめらかに進んでいくのではなく、いま横にあるモノから、過去や未来に向けて、さざ波のように広がっていくものだろう。そんな時間を生きていたら、ただ、「好き」。なんて単純な表現はできない。ただ、も、「好き」も、言っている余裕もヒマもない。もう、内から外から至るところから突き上げてくる「好き」を、一身に受けるよりほかない。受け続けるために、もうひたすらに映画を観る。
by warabannshi | 2006-02-20 00:24 | メモ | Comments(0)



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