<   2008年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧
(無題)
I am not interested in "abnormality","normally".
But I am interested in an order.
by warabannshi | 2008-06-30 20:08 | Comments(0)
亀山ゼミ 個人発表レジュメ 2008/6/23発表分 【4.『「世間体」の構造』考察】
「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)
井上 忠司 / / 講談社
ISBN : 406159852X




 「世間」においては、不特定多数の構成員が共有している暗黙のルールに違反することではなく、むしろ、暗黙のルールに違反しているのではないかという疑惑そのものが重視されることが仮定された。そのとき、さまざまな場所で行われる即席審判としての「世間」は、しかし「世間」に参照して彼を責めるという自己言及的な構造をもつこととなり、矛盾に陥る。
 この矛盾点を違った側面から考察するために、まずフランスの哲学者ミシェル・フーコー(*1)の知見を導入しよう。フーコーは『外の思考』のなかで、エピメニデスのパラドックスの解決策として言説の主体(enunciation)と言説(enonce)の間に階層構造を導入する。つまり、フーコーは「私は嘘つきだ」という言説があるとき、それを述べている言説の主体を分離させ、言説の主体を言説よりも上位の審級におく。先ほどの例で言えば、「クレタ人は嘘つきだ」という言説よりも、それを言うクレタ人の方が上位の集合に属するということだ。
 これを踏まえると、「彼は世間から外れている、と世間が言う」とき、まず同定しなければならないのは言説の主体(enunciation)としての世間という単位-ユニットであることになる。
 井上は「世間」を「準拠集団」(reference group)とみなす。(*2)
 「準拠集団」は「所属集団」(membership group)と対比的な概念である。私たちは家族、親族、学校、職場、団体などの複数のレベルの集団に所属しているが、同一の集団のメンバーの個々人が所属する集団を態度や行動の基準にする度合は一様ではない。個人の態度や行動の基準となるのは主観的に帰属している集団であり、これが「準拠集団」となる。
 「世間」とは主観的に帰属する集団であり、動的な「ウチ」と「ソト」によって区別されると井上は主張する。そのさいに井上は土井健郎の『「甘え」の構造』(*3)を援用する。土井によると、日本人にとってウチとソトを区別する目安は〈甘え〉にもとづく遠慮の有無であり、遠慮がはたらく人間関係(B)を中間帯として、そのウチがわには遠慮がないミウチの世界(A)があり、そのソトがわには遠慮をはたらかせる必要がないタニンの世界(C)が位置する同心円構造をとる。ミウチの世界(A)には甘えによって構成員のあいだに距離がないので無遠慮であり、タニンの世界(C)は距離があっても、その距離を意識する必要がないので無遠慮となる。このようなミウチとタニンの中間帯(B)を、土井は「義理」の世界と呼ぶ。この「義理」の世界を、井上は「世間」とする。
 ただし井上も述べているとおり、土井は「世間」という語を一度も用いていないし、「準拠集団」の概念を使うこともない。また、「ウチ」と「ソト」を考察する部分は『「甘え」の構造』全体の二〇分の一程度に留まるため、いま、あらためて社会学的に準拠集団がどのように扱われてきたかを整理しよう。

(*1)Michel Foucault,1926-1984。
外の思考―ブランショ・バタイユ・クロソウスキー (1978年)
ミシェル フーコー / / 朝日出版社
ISBN : B000J8PZ58

P.11~P.16


(*2)
 「私は、「世間体」を社会心理学的に考察するにさいして、この「準拠集団」という概念を広義に解釈し、うまく適用することが、もっとも生産的であると考えている。「世間」についてもしかりであり、のちにのべるように、「体面・体裁」というばあいの「はじ」についてもまた、しかりである。(……)人はいったい、どこから「世間」と呼び、どこまでを「世間」と呼ぶのだろうか。そのテリトリーを規定するものは、客観的に存在するところの基準ではけっしてない。それはきまって、私たち個々人の主観のがわにあるからだ。「世間」はいきおい、漠然とした、あいまいなものとならざるをえないだろう。きびしくいえば、個人の数だけ「世間」があるということにすら、なりかねない。にもかかわらず、準拠集団としての「世間」に着目するとき、そこにはおのずから、「世間」は一定の構造をもっていることが知られるのである。」(p.97-99 強調原文)
(*3)
「甘え」の構造 [増補普及版]
土居 健郎 / / 弘文堂
ISBN : 4335651295
by warabannshi | 2008-06-29 23:36 | Comments(0)
第164夜 「ウデウデの実、再び」
 昔、英語塾として通っていたアパートの一室で仔猫を探している。
 仔猫はなかなか見つからず、腕は、いつのまにか、ものすごい数に増えている。
 片方の肩だけで、二、三百本は生えている。
 両腕で、だいたい五百本になるはずだが、じつは左右の腕がつながっているかもしれないので、(その場合は、左右の腕を別々にカウントするわけにはいかない)、不明。
 カイワレダイコンみたいな細さの腕が、自分の意志とは関係なくわらわらとしている。
 これは以前に食べたウデウデの実のフラッシュバックだな、とすぐに気がつく。
 棘皮動物、あるいは『ハンター×ハンター』のプフ(=『寄生獣』の寄生獣)っぽく、無数の腕をゆらゆらさせながら、悪役のようにアパートの一室をぐるぐる歩き回る。
 吠えようか、と思うが、吠えない。
 もしかしたら、発光ダイオードのように、暗闇にすると腕についている手のひらが光るのではないか、と思うが、試さない。
「ほら、掴まえておきましたよ」
 いつのまにか、マキャベリ(チェーザレ・ボルジア?)がそばにいる。
 彼の手には、虫取り網が握られていて、その網のなかには仔猫が入っている。
 かわいい仔猫を昆虫のようにあつかうマキャベリ(チェーザレ・ボルジア?)に、言いようのない反発を覚える。
 しかし、うちの無数の腕の一本が変形して、彼が生まれ出たのではなかったか?


[メモ書き]
 カブトムシとグンタイアリの比較。
 グンタイアリはゾウを倒せるが、一匹だとカブトムシは倒せない。
 だとしたら、グンタイアリは何匹からグンタイアリなのか?
by warabannshi | 2008-06-29 10:47 | 夢日記 | Comments(0)
亀山ゼミ 個人発表レジュメ 2008/6/23発表分 【3.『「世間」とは何か』考察】
「世間」とは何か (講談社現代新書)
阿部 謹也 / / 講談社





 阿部は「世間」と「社会」を区別する。つまり、societyの翻訳語である社会を構成する単位は個人individualであり、社会、個人のいずれも、明治期以降に福沢諭吉ら明六社の同人によって案出された新造語である。明治以前にsocietyに相当するような日本語はなかった。つまり、societyに対応するような具体的状況が、日本にはなく、もともと日本語として馴染まれていた「国」や「藩」において人々は個人としてではなく身分という単位で存在していたからだ。(*1)
 だが、「世間」と「社会」が区別されるとして、この二つの語はどのように使い分けられるのだろうか?
 阿部は長幼の序、贈与・互酬関係を世間の主要な要素として提示するが、それらの要素はHomo sapienceが集団を恒常的に形成するための必須条件であるため世間の要素として限定することはできない。(とれわけ贈与・互酬に関しては普遍的な構造と見なせる。レヴィ=ストロースは他者との関係性に三つの水準を設定した。つまり、財貨サービスの交換、メッセージの交換、娘の交換である。この交換という関係性はすでに成立している段階において概観すれば「等価交換」のように見えるが、そのシステム内部においてはどちらかの「割に合わない交換」である贈与の応酬という形で常に出発することに注意されたい。)
 「世間」という形式において行われる贈与・互酬関係は、社会、共同体において行われるそれとどのように違うのか?
 ここで阿部は「世間」の特徴として、不正を犯した(と見なされている)政治家や財界人の発言を例にあげる。つまり、「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」という発言は翻訳-理解不能であり(欧米文化圏においては、自分が無実であるなら謝罪せず、人々が自分の無実に納得するまでその証明に努めるだろう)、その翻訳-理解不能性によって「世間」と「社会」を区別している。(p.20) この区別の方法には疑問が残るが、ひとまずこれを「世間」の特徴としよう。
 政治家や財界人が、彼が無実である(かもしれない)にもかかわらず、彼らに疑惑を差し向けられることによって「騒ぐ」の世間とは何か?
 すぐに考えられるのは、①集団における暗黙の規範、不特定多数の共通了解の総体が「世間」ではないか、という仮定だ。だが、それでは無実であっても=規範に違反していなくても無実の彼が謝罪しなければならないことの説明ができない。
 次に考えられるのは、②無実の彼が「騒ぐ」世間の構成員に対して犯した罪科とは、集団における暗黙の規範に違反することではなく、構成員に「彼は集団における暗黙の規範に違反したのではないか?」という疑惑を抱かせたこと自体にある、という仮定だ。つまり、「国家の公僕たる政治家や財界人は利権に浴するべきではない」という道徳的-最大公約数的な信条を、構成員の全員が遵守している、というフィクションを揺らがせたことが、彼の過失なのではないか。ただ凝集している群衆massに効率的な社会機能単位として構築するには、群衆を自身の役割を自認し、その役割に責任を負う構成員membersとし、その規範を内面化する規範的フィクション(「大きな物語」)が必要不可欠だが、世間とはその規範的フィクションを維持するための枠-フレームなのではないか。
 仮定②にもとづけば、世間と共同体の違いを以下のように記述することができる。
 世間と共同体はどちらも規範的フィクションを維持する枠-フレームであるが、その枠-フレーム自体をも維持する動的機能がどこかに必要である。
 世間という枠-フレームにおいては構成員たちの相互監視がその機能を担保する。そのため、じっさいに有罪か無罪であるかは置いておいて、監視の網に引っかかること自体が世間に対する過失となる。また、お互いにお互いを監視し続けていては、それぞれの役割を果たすうえであまりに非効率的である。そこで監視という労働のコストを最小限に留めるために、相手と自分を限りなく同質化する。――この基本戦略が、阿部の指摘するもう一つの世間の特徴である構成員の同質性と構成員以外への排他性-差別性へとつながる。
 その一方で共同体におけるフレームにおいては、構成員たちが結ばなければならない契約の更新が枠-フレームを維持する動的機能を担保し、それは儀式への定期的な参加によって象徴的に行われる。共同体communityはキリスト教的文脈では「聖体拝受」と訳される。キリストの血と肉を表す葡萄酒とパンを摂取することで神と一なる関係を結び、同時にその儀式を行う他のキリスト教徒とも合一communionする。(*2) この神のような一つの目標物に向かう融合消失の儀礼を定期的にくり返すことで共同体の枠-フレームは維持され、罪科は、儀礼参加の資格の有無と関係する。
 この仮定②はもっともらしく思える。規範的フィクションを維持するための枠-フレームである「世間」とは、相互監視によってそこかしこで開かれる即席審判である。だが、「世間」は参照される側面をも持つのだ。つまり、審判それ自体が、同時に法の機能をも果たすという自己言及的構造をもつことになり、仮定②はエピメニデスのパラドックス(*3)に陥る。
 ここからさらに論考を続けるためには、準拠集団論を扱った井上の『「世間体」の構造』を見ていかなければならない。


(*1) 『翻訳語成立事情』柳父章/岩波書店 (1982)第一章、第二章に詳しい。
(*2)「不可触な愛人」早川祐介(2006)
(*3) 新約聖書の偽作「テトスへの手紙」1章12節より。「クレタ人はみんな嘘つきだ、とクレタ人が言った」とき、自己言及するクレタ人の言っていることの真偽は確定できないというもの。
by warabannshi | 2008-06-28 20:41 | Comments(0)
(無題)
Knowledge doesn't come to us by details, but in flashes of light from the in-between.
*
das Zwischen...
l'entre...
*
TRANSLATION IMPOSSIBLE
by warabannshi | 2008-06-28 10:40 | Comments(0)
(無題)
It is so hard to forget what it is worse than useless to remember!
*
I notice myself who says "Othukare-sama-desu" instead of says "hello".
AMAZING.
by warabannshi | 2008-06-26 08:57 | Comments(0)
第163夜 「広背筋」
 広背筋の3D画像。
 背筋が、腰骨の後ろから、つぎつぎと脊柱に沿って肉付けられていく。
 だんだん脊柱が筋肉の収縮で反り返ってくる。
テロップ【背筋は、腹筋から】
 そういう、バスケットボールのCM。井上雄彦監修。

[考察 080724 2:48]
 広背筋を3D画像として外から見ている、ということはどういうことか?
 自分の夢のなかで、自分のものではない広背筋を見ているということだ。
 自分の所有格haveにない、広背筋。けれど、いま、こうやって胡座をかいているうちを支えているうちの広背筋は、ただうちが「うちの広背筋」と名指しているだけで、ほんとうは誰のものでもない広背筋なのではないだろうか?

 揉みほぐそう、広背筋。
by warabannshi | 2008-06-24 15:49 | 夢日記 | Comments(0)
1.
2007.6.3(sun) 16:05
西永福マクドナルド地下1F
大学生らしき弓道着姿の男性4人 先輩後輩の間柄らしい 北川、鈴木は後輩


S「高校のできちゃった婚をひきずって大学生ってすごいですね」
A「でも言っちゃわるいけど、くそまじめ。吉岡がいっくら遅く帰っても、寝ないで待ってるっていうんだもん」
B「どう考えても吉岡にはもったいない」
A「コーラで洗うと妊娠しないらしいよ」
B「嘘だよ。鈴木が身をもって証明したよ」
(鈴木、沈黙)
(しばらく囃し声が交錯)
A「わ、そっち女子トイレだって、女子トイレだって」
K「誰もいませんよ」
A「入るときはいいけど、出るときに鉢合わせたらツライだろ」
B「北川、暑苦しい位置にくるなよ」
K「近い? 近いですか?」
(B、突如席を立つ)
A「暴れんな、暴れんなお前。通り道ふさいでるだろ」
B「いや、ガガンボ」
S「わ、すっげ、気持ち悪い。
 ……うわ、また来た、キモッ!」
A「鈴木、タバコ持ったまま暴れんな!」
B「バスク・ジョンシュウみたい」
K「誰ですか、それ?」
A「鈴木、てめー、怯えすぎ」
S「絶対怯えますよ」
B「鈴木、お前の部屋にあるオタクグッズ全部燃やされるのと、タバコやめんのどっちがいい?」
S「タバコやめますけど、オタクグッズは死守しますから、タバコやめません」
A「オタクグッズってどんくらい燃えるんだろう」
S「理科の実験しないで下さいよ」
B「必勝の精神があれば燃えないものはない」
S「やっぱり燃えるんじゃないんですか」
by warabannshi | 2008-06-23 09:32 | Comments(0)
第162夜 「メフィストフェレス」
 『ファウスト』の歌劇をやっている。
 メフィストフェレス役で出演。
 第一部で、ファウスト博士と契約を結ぶ場面。
 研究室にあるパワーポイントを使ってプレゼンを行い、ファウスト博士役に契約したときのメリットを縷々説明する。
by warabannshi | 2008-06-22 14:13 | 夢日記 | Comments(0)
(無題)
Human don't have the world.
Human don't have the person.
Human don't have the society.
Human don't have himself/herself.
...that's good.
by warabannshi | 2008-06-20 07:28 | Comments(0)



夢日記、読書メモ、レジュメなどの保管場所。
by warabannshi
twitter
カテゴリ
全体
翻訳(英→日)
論文・レジュメ
塩谷賢発言集
夢日記
メモ
その他
検索
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2004年 11月
2004年 08月
2001年 12月
記事ランキング