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第201夜 「ノー・モア・トラブル・ホテル・パペット」
 小学校の教員になって、林間学校の付添いに来ている。
 小学校低学年を引率しているはずなのに、泊まる施設はそれなりに豪華な高層ホテル。(ハウステンボスに隣接しているような…。けれど、ここは名古屋か、大阪。)
 露天風呂が屋上にあって、そこまで生徒たちを連れていかなければならない。
 六基のエレベーターがある、エレベーターホールでは、そのうちの一基だけが人間用で、残りの五基のなかでは、それぞれパペット(西洋風あやつり人形)が踊っているという話を事前に聞いている。
 さすが、贅沢なホテルだ!
 けれど、どれが人間用なのか、エレベーターを実際に呼んでみないとわからない。
 生徒たちが興奮して、あやつり人形を壊しては一大事なので、慎重にボタンを押す。
 一台目:「気を付け」の姿勢をとっている男女。南欧風の格好をしているが、パペットではない。そういうフリージング・パフォーマー。
 二台目:等身大パペットが数体、民族音楽(ケルト?)に合わせて、ゆっくりしたダンスを踊っている。数人、乗客も一緒に乗っていて、ダンスに合わせて踊っている。そう、パペットのダンスには引き込まれてしまうのだ。さらに、そのパペットは3Dホログラフ。乗客は、虚空に合わせて踊っているということだ。気の毒に。
 三台目~五台目:踊っている乗客のなかに、踊っている彼女Fの姿を見つける。
「なにやってんの?!」とうち。けれどFは無心に踊り続けている。Fが踊ってるのなら、なんとなくホログラフの等身大パペットたちと一緒に踊ることにも正統性が付与されたような錯覚におちいる。

 屋上の露天風呂。
 生徒たちがみんな眼鏡をそこらへんに放り投げて湯船に入るので、散らばった眼鏡を拾い集める。ほとんどがブラスチック製で、3D映画を観るための偏光眼鏡も混ざっている。
 湯船のなかでも、あいかわらず眼鏡をかけてる生徒がいる。
「いいか、プラスチック製の眼鏡は湯船に入れたら度が狂っちゃうから外して入ってくれ」
 そう言うと、ちゃんと外してくれる。
 聞き分けの良い生徒で助かる。
 ふり向くと、屋上の柵から身を乗りだしている生徒がいる。
 飛び降りか! 必死で、なぜか生徒が上半身だけ着ているTシャツを捕まえる。
「落ちたらどうするの?!」
「先生は、面倒がきらいなの?」と生徒。
「大嫌いです。ノー・モア・トラブル。うちが面倒なことを起こすときもあるけれど」

 なんとか林間学校も終わり、徒歩で小学校まで帰ることに。
 いくつもの陸橋が交叉している、初台近くの甲州街道みたいな区画に数十人の生徒と来る。車は一台も走っていないので、風景の灰色が際立つ。
●不意に、リフレイン。「落ちたらどうするの?!」
  必死で、なぜか生徒が上半身だけ着ているTシャツを捕まえる。
  「先生は、面倒がきらいなの?」と生徒。
  「大嫌いです。ノー・モア・トラブル。うちが面倒なことを起こすときもあるけれど」
「いま先生が裸なのは、その実例?」
 屋上から飛び降りようとしていた生徒が、自分に言う。気がつくと、うちの下半身だけが裸。露出狂状態。
「これは、『裸の大将放浪記』の真似だよ」
 そう言いながら、道ばたに畳んでおいてある自分のズボンをはく。
 ふと見上げると、陸橋のうえでUターンしようとした養護学校のマイクロバスが、曲がりきれずに、陸橋から落ちる。
 大惨事か! と思いきや、ジャッキー・チェン映画のカースタントのように着地。そのまま、何ごともなかったかのように走り出す。
「おおおおおおお……」
 どよめくうちと生徒達。いつの間にか、区画はスーツ姿のサラリーマンや野次馬でいっぱいになって、みんなが拍手を始める。うちも夢中で拍手する。
 そして、波が引いていくように、野次馬たちは去り、さて、引率の続きをしよう、と思って生徒たちを見返ると、飛び降りようとした彼も含めて生徒たちは一人もいない。
 慌てて周囲を見回すと、うちの周りは黄色と黒のだんだら模様のロープで囲われていて、【立ち入り禁止】の注意書き。これが夢の終わる場所か、と無人の交差点で確信する。
 
by warabannshi | 2008-09-29 12:35 | 夢日記 | Comments(0)
探索記録27「白昼夢の記録」
 フランスの画家、サルバドール・ダリ((Salvador Dalí, 1904-1989)の、『記憶の固執』(1931)という作品では、くにゃくにゃに柔らかくなった金色の時計が、二つ、岩砂漠の枝とテーブルにひっかかっている。ちょっと忘れられない絵画なので知っている人も多いと思う。うち自身は、『記憶の固執』を、初めて見たのはいつか覚えていないけれど(たしか、テレビで見たのだ。原画を見たわけではない)、時計が即物的に融解しているのだと思って「なんて熱い絵だ!」と勘違いしたのを覚えている。
 この、『記憶の固執』はダリの巻きこまれた白昼夢が画題だと言われている。
 ダリは白昼夢を見てすぐに帰ってくるために、椅子に座って、垂れ下げた手にスプーンを持ち、白昼夢に入ったとたんにスプーンを落とすように工夫した。そのスプーンが床に落ちた音で我に返り、「記憶の固執」のキャンバスに向かった。というエピソードが映像付きでうちは記憶している。(だから、やっぱり、『記憶の固執』の初見はテレビ番組を通してだったのだ)
 そのとおり。白昼夢は面白い。白昼夢を題材にした作品が、例えば絵画などの場合はシュール・レアリズムとしてカテゴリー分けされるのが不思議でならない。白昼夢が現実離れしているから「ふつうじゃない」と言うのなら、例えばギリシャ神話を題材にしたゴヤ(1746-1828)の、『我が子を食らうサトゥルヌス』(1819-23)なんかは完全に「ふつうじゃない」。
 白昼夢は、ふつう流通しない。それはそうだ、白昼夢はたぶん多くの人が日常のなかでふとかいま見るものだし、睡眠時に生理学的な幻覚を一回も見たことがない人は、むしろめずらしいだろう。
 ただ、白昼夢や夢の面白さが伝わりにくいのは、白昼夢や夢を「誰でも見ることができる」からではなくて、“この”白昼夢や“この”夢を「もはや誰も見ることができない」ところにある。“この”白昼夢や“この”夢”には、再現性が、まったくないのだ。再現性がないということは、流通のために自らを省みることもできない。接頭詞re-が付きようがないから、re-presentation(表象)の次元ですらない。“この”白昼夢や“この”夢を、反省することもできない。「うっかり夢のなかで大量殺人を犯してしまったから、オールナイトでスプラッタ映画を観るのはとうぶんやめにしよう」という反省ができるじゃないか? それは夢ではなくて現実の領域の反省だから、次元が違う。反省という作業の次元を同じにするなら、「うっかり夢のなかで大量殺人を犯してしまったから、次は止めのなかの自分から銃を取り上げることにしよう」という文章になるはずで、やはりその試みは成功しない。
 だから、“この”白昼夢や“この”夢を再現することは原理的に不可能なのだけれど、それを了解しても、“この”白昼夢や“この”夢を作品にしたいという衝動は依然として衰えることがない。おそらく、ダリをはじめとしたシュール・レアリストの一群もそんなこと(“この”白昼夢や“この”夢”を再現することは原理的に不可能)は承知していたことだろう。それでも、“この”白昼夢や“この”夢に偏執するのはなぜかといえば、「不可能なものに憧れていくのが芸術という営為だ」からではまったくなくて、“この”白昼夢や“この”夢の「圧倒的な面白さをもう一度、細部にわたって再び体験したい。再び体験できないわけがない」と、ある一群は信じきっているからのように思える。

(追記)
 白昼夢、夢とリアリティを考察する上では、脳科学的な知見ももちろんながら、デイヴィッド・ルイスの様相実在論も興味深い。
 つまり、
「因果的に独立した無数の世界が存在し、それぞれの世界は我々の世界と同様に本物であるが、我々の世界とは何らかの違いがあり、さらに反事実的条件文(ex.「もし私があのとき得点していたならば、私のチームは勝っていただろう」、「もし今日が正月なら、私は全身の毛を剃らなくてはならない」)のうちの特定のものを真とし、それ以外を偽とするものが何であるかを説明するために我々の世界内の対象について言及することが必要である」
「全ての可能世界は同等に現実的であって、我々が生きる世界が他の世界より現実的であるということはない」
(wikipedia「デイヴィド・ルイス」より)

という、世界の複数性についての非常に楽しい知見。
 ルイスに関しては、kugyoさんのブログくらいでしか馴染みがないけれど、いずれは相見えることになるような気がする。
by warabannshi | 2008-09-28 13:58 | メモ | Comments(0)
第200夜 「吉祥寺駅のパイプオルガン」
 吉祥寺駅で、どこかに出発していく十人くらいのロケ班に置いていかれて、仕方なしに構内のバールに入ってオニオンスープを食べることにする。オニオンスープは舌を火傷するくらいに熱いので、ほどよく冷めるまで、ぼんやりと構内を行き交う人たちを眺める。
 構内を行き交う人たちのなかには、奇妙にセピア色がかかっているヒトたちもいる。大正時代に撮られた写真のような古び方。
 そういうセピア色のヒトたちは死者なのだと、やはりぼんやりと眺めている。
 セピア色のヒトたちは、このオニオンスープの熱さまで、感じることができるのだろうか?
 そうだとすれば、うちと彼ら/彼女らと、どれほどの違いがあろう?

 不意に、吉祥寺駅のパイプオルガンがものすごい振動で鳴りだす。
 オニオンスープがこぼれるが、すでにまったく熱くない。
 パイプオルガンは、歩いている死者たちを全員昇天させたりするために鳴ったのでは、決してなく、むしろ彼ら/彼女らの姿をいまあるままに維持するために鳴ったのだと知る。


バールで行われていたゲーム:
 十脚くらいの椅子が用意され、それぞれの椅子に「英語」「フランス語」「イタリア語」「タイ語」……、という各国語が書いてある。
 ゲームに参加できるのは、その椅子の個数以下の人数。
 椅子らは円状に並べられ、ゲーム参加者は思い思いの椅子の外に立つ。
 その十脚くらいの椅子は、ロシアンルーレットのように回転する。(『ぼくらの』・ジアースのコクピットのように)
 そして、シャッフルされた椅子に参加者は座り、その椅子に書かれた各国語でしゃべる、というもの。
 ゲーム名は、「太陽がいっぱい」。
by warabannshi | 2008-09-27 11:57 | 夢日記 | Comments(0)
(無題)
 The correct answer is the reverse matter of your thinking now.
 However, it is a big mistake.
(@FF6)
by warabannshi | 2008-09-24 01:22 | Comments(0)
(無題)
 "Now" is introduced as "My" time analogical inference.
 Then "(the) Future"?
by warabannshi | 2008-09-23 10:55 | Comments(0)
第199夜 「感動的な映画。それは私の眼球の危機」
 昼間の、井の頭線の車内。進行方向からすると、車両の奥にいる。
 優先席には若いカップルがいて、ぼろぼろ泣いている。
 うちが題名を知らない映画(白黒の動物もの?)のパンフレットが女性のほうの足の上にあって、彼女の涙が落ちて、点々とにじんでいる。
 映画館で泣くならまだしも、映画が終わったあとで、電車のなかでも泣いているとは!
 どれだけ衝撃的な映画だったんだろう。
 それに、「男性だけ/女性だけが泣いていて、もう一方がちょっと冷めたような感じで連れ合いを眺めている」というよくある構図ではないのだ。両方とも嗚咽している。
 そのカップルの隣では、もう一組の、別のカップルがいて、やはり泣いている。
 優先席の一画だけが、自己啓発セミナー状態。
 うちは、車両のドアについているコンセントに携帯電話をつないでこっそりと充電中なので、その優先席の一画から離れることはできない。
 車両の窓から射し込んでくる陽光は真っ白で、四人分のしゃくり声を聴きながら、この光景が自分の眼球で撮っている、シュールレアリスム映画のワンシーンのように思えてくる。
 その眼球で撮っている映画こそが、四人の若者をいま感涙にむせばせている映画そのものであったら、いったいどういう事態になるだろう?
(なぜ『アンダルシアの犬』では序盤に女性の眼球をカミソリで裂くカットが挿入されているのか?
 それは、ある映画の、まさにその内部で、その映画とまったく同じ映画を撮影しようとする、もう一つのカメラがあってはならないからだ。
 あるゆる映画において、視点、あるいは画面は移動しこそすれ、併走しない。
 それは、あらゆる計算に「=」がただ一つだけ可能であることと同様だ。)
by warabannshi | 2008-09-22 19:55 | 夢日記 | Comments(0)
(無題)
 La force qui contraint à l'appréciation d'un état donné.
by warabannshi | 2008-09-21 12:39 | Comments(0)
第202夜 「布屋敷(じつは網屋敷)のホログラフ」
 布屋敷にいる。
 黒曜石のような質感の、楕円状の台座のうえに寝ている。
 仰向けになったまま見上げる天井は、あるのかないのかわからないくらいに深い。
 いつの間にか、その楕円石を囲って六人の男性が出現している。
 シスの暗黒卿@スターウォーズみたいなローブの男性が六人。
 布屋敷において布を着ているということは、彼らの着ているものは布屋敷そのものと同じもので構成されているのだろうか。そして、彼ら自身も布屋敷という存在に、少なくとも自分よりは近い存在なのだろうか。
 仰向けに寝ている自分の体を貫通して、回転している正多面体が幾つかある。
 色とりどりの、四面体、六面体……。
 それらの多面体はよく見るとホログラフ。黒曜石の台座から立体的に描きだされている。
 これから六人は会議を始めることがわかっている。
 もっとも六人は台座に仰向けに寝ているうちが、多面体のホログラフの一つであるかのように、完全に無視。
 それでも慌てて、黒曜石の台座から飛び降り、この空間から出ようとする。
 メビウスの環のように床は傾斜し、捩れていて、思わず躓くと、壁面や床はじつはアスレチックにあるような強靭な網でできていることがわかる。
 そうか。ここは布屋敷ではなく、網屋敷だったのか!
 けれど何かの拍子に布屋敷から網屋敷に変化したとも考えられるので油断はできない。
by warabannshi | 2008-09-20 08:43 | 夢日記 | Comments(0)
第198夜 「教会の無差別テロリスト。彼らは人類初の(ではない)単独飛行者であるが、国柱ではない」
 九歳ぐらいの、栄養状態の悪い少年。有色人種だが、どこの国の生まれかはわからない。
 ここは少なくとも、スラム街で、どこの国でも同じような困窮のなかにある。街並みそのものは、キューバ映画で観たキューバに似ているかもしれない。コンクリート打ちっ放しの無愛想な四階建てくらいの雑居ビルが、潮風で風化している。ことごとく、ぼろぼろに崩れかかっている。壁面には何ごとかのスローガンが、読めない文字で書いてある。おそらくは土俗宗教の誓言。カーペットを干してある窓もある。
 中近東か、東南アジアのスラム街かとも思うが、アメリカにある移住区かもしれない。
 これから、キリスト教の教会(カトリック? プロテスタント? それ以外?)で無差別テロを行いにいくのだから、占領区なのかもしれない。

 待ち合わせているのは二人。
 一人はジャマイカ人の青年で、もう一人に関してはおぼろげにしか思い出せない。
 ジャマイカ人は低脳に近いから、この無差別テロの段取りをつけたのは、おぼろなもう一人だろう。
 おぼろなもう一人はパナマ帽を被り、麻の白っぽいスーツを着ていたような気がする。知性的であることに間違いはない。藤田和日郎の描くキャラクターに似ている気がする。『からくりサーカス』のパウルマン先生の生徒たち、とか。
 ジャマイカ人が、なにか、苦情をものすごい早口でまくしたてる。
 口調の、異様なリズム感の良さからスラングをかなり交えていることがわかる。
 九歳の少年にわからないのは当たり前だ。
「遅刻は厳禁だ。それが、******であっても」
 麻のスーツ男が、そう言いながら巨大な機関銃を僕に手渡す。
 BAR(ブローニング自動小銃)? でも、全長が二メートルくらいある。
「では、始めよう」
 ジャマイカ人が、柄物のシャツを着て、教会の正門の扉を開ける。
 そして、ゆっくりとしゃがみ込む。
 ジャマイカ人の右肩に、巨大な機関銃のマズルを乗せて、僕は引き金を引く。
 被弾して倒れる老若男女はほとんどが白人だから、ここはやはりアメリカの一地区なのかもしれない。三十人くらいが一回目の掃射で倒れる。すべてがスローモーションなのは、こちらの興奮状態のせいだろう。
 スーツ姿の白人女性がこちらに駆け寄ってくる。彼女の高い鼻を摘んで、正門の階下へと放り投げる。
[女性 30mm, **(ジャマイカ人の青年) 6mm]という、鼻の高さの数値が出る。
 第二掃射のときには、椅子の陰などに隠れている人々の位置がサーモグラフィのようにして把握することができるようになっている。背骨、腎臓などの急所がすでにロックオンされている。
 殺戮が続き、僕は麻のスーツ男に、機関銃から引き剥がされる。
「もう充分、殺したよ」
 そして、自動車のボンネットに貼る初心者マークを手渡される。
 初心者マークを背中の、両肩胛骨のあいだに貼ると、瞬く間に複雑な(質量保存の法則をまったく無視した)機械状の翼になる。
 空中へと飛び上がると、そのまま高度五〇〇メートルくらいにまで達する。
テロップ [彼らは、この時点では自分たちが人類初の単独飛行者であると信じていた。]

 いままで居たスラム街が、島のなかにあったことがわかる。
 圧倒的な気持ちよさのなか、初心者マークだった翼で、あらん限りのスピードを出してその島の上空を旋回する。何度も、何度も。すごいスピードで海鳥にぶつからないように、そこは注意しながら。
テロップ [たしかに、彼らはニュートン第二法則に関して、新しい境地を開いたと言えよう。]
 翼が剥がれかけるので、手で押さえながら、どこかに下りるところはないかとやっと地上を探し出す。
テロップ [けれど、彼らの他にも、飛行者はすでに居たのだ]
 地平線の向こうから、自転車に両翼のついた機械が向かってきて(こちらも、自転車型機械の方に向かっていって)、空中でわずかに衝突する。
 そのまま、僕は近くの原生林へと舞い降りる。
 ジャマイカ人も、麻のスーツの男もいない。
 原生林の向こうには、よく見るとゲートがあり、ふと、ここは「国柱(こくちゅう)」(*1)を供える領域だとわかる。
 数人の人間が、ゲートの向こう側をめざして逃げているが、瞬く間に変形した木々(それらは、もともと国柱だったのだ)に引き裂かれたり、地面に呑まれたりしている。巻き添えにはなりたくないので、マングローブのような根っこの陰に隠れる。
 しかし、国柱だったツル植物がこちらに這いすすんでくる……。

幻覚:
 日本のある山荘で、やはり九歳のまま、白兵戦に臨んでいる。
 相手はひげ面の、三十歳ほどの男性。状況は、二階から自分の存在を知らずに降りてくる相手を、階下の陰で待ち伏せして即死させること。
 手近な武器が要ると思ったので、傘立てからビニール傘を抜き取るが、それを男に見られてしまう。
「ああ、いまのは減点だね。全体重をかければ、九歳だってオトナの首の骨くらい折れる。きっと彼は、ナイフをもって戻ってくるよ」と、麻のスーツの男。
 はたして、男は出刃包丁をもって階下から降りてくる。
 ビニール傘を突き出すが、男に片手でその傘を掴まれる。
 それに合わせて、男のもう片方の手にある出刃包丁に飛びつく。
 その勢いで、彼の腹部を裂くことができればよかったのだが、最初の一撃では出刃包丁を落としたたけ。仕方がないので、彼の右手首を裂くことで失血死させようと、頭のなかで次第をシミュレーションしてみる。


(*1) 国柱とは、“ゲートの内側”の統治を安定させるための生け贄。
by warabannshi | 2008-09-20 03:53 | 夢日記 | Comments(0)
第197夜 「院生部屋の、anbient/anvivalent」
 農工大の院生部屋にいる。BGMにボン・ジョビの「It's my life」。
 「It's my life」の、「ウ、ア。ウ、ア。ウウウ、ア。ウ、ア。ウ、ア。ウウウ、ア。」と、電子音として加工された声がリフレインする間奏が、リフレインしている。この音は、じつは人間の声ではなくて電動ドリルの回転音、「ウィーーーン」を加工したものだというのがもっぱらの噂。
 友人Sと博士課程がどうたらという話をしている。
 Sは博士課程に行くそうで、
「農工大の院生は、みんなどこの博士課程に行くんですかね?」
 といつものように丁寧語で聞く。
「そりゃ、東大の××××専攻でしょ」
「でも、ラマ僧が出て、二人くらい死んだらしいじゃないですか?」
「いや、もう研究は生命とか関係ないから。というか、命がけだから」
 そう言いながら、ラマ僧の事件は知らなかったので、ネットで調べようとする。

 ホワイトボードでは彼女Fが誰かと議論している。
 その議論は、Fが「Ambient(周囲の、空間の)」と「Ambivalent(両義的)」を取り違えているためにおこっている。
 ホワイトボードには「anbient/anvivalent」と書かれている。
 スペルミスを指摘したいが、どう見ても、書かれた文字は自分の筆跡にしか見えない。
by warabannshi | 2008-09-15 06:14 | 夢日記 | Comments(0)



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