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探索準備05 応用哲学会 第1回研究大会 予習
応用哲学会第一回年次研究大会開催のおしらせ
日時:2009年4月25日(土)26日(日)
場所:京都大学文学研究科校舎(旧称: 新館)


 そういうことで、22:50新宿発の夜行バスに乗って、京都に行って来ます。
 25日(土)には農工大で専攻している領域に重なる部分が多いプログラムがあるので大いに期待。
「生物多様性とは何か:代用物(surrogate)としての種」 中尾央
「生態学の根本的諸問題」 小野山敬一
「応用哲学としての環境倫理学 ―環境プラグマティズムを越えて―」 蔵田信夫


(詳細は明日夜、あるいは明後日夜につづく…)
by warabannshi | 2009-04-24 20:27 | メモ | Comments(3)
「言葉への通路・私への通路」谷川俊太郎
 いや、だから僕は一篇の詩っていうものをそんなに全体的なものだって見ていないんですよ。つまり一篇の詩で何かを書ききるっていのうは無理だと思っているんですよね。それはもちろん理想としてはそういうことになりうるのかもしれないけれど、何か、いろいろな層があるわけでしょう。外側の現実にしろ、自分自身が持っている内面であるにしろ。だから、その層を、できるだけ、いろんなフェイズを押さえていきたいと思うから、たとえばいろいろな角度からの断片を並べるとかさ、それからいろんな書き分け方をするっていうふうになってるってわけね。だから、僕は一篇の詩を批評してもらうのはもちろん、それはそれでちっとも構わないんだけれど、自分の気持ちとしては、僕がやっている仕事を総合して見てもらわないと、自分が本当は何をやっているのかわかってもらえないという意識はすごくあるんですよね。〔「彼のプログラム」を〕三人称で書いていって、三人称で書いていくおかげで内面ももちろん書けるけれども、外側の行動みたいなものばっかり書いちゃって、それで何かを書ききれないっていうふうには思わないんですよね。それに、その時にそういうふうに書けたものだけでいいと。で、まあ極端に言えば一行ですごい真理を言うってことだって常に可能なわけだから。ただ、僕はそういうものはあんまり目指してはいませんけど。僕がいろんな書き方で、たとえば『わらべうた』も書くし、『日本語のカタログ』も書くし、『詩めくり』も書く、みたいなのは結局、常に自分の隅々まで押さえたいというふうな欲求からそうなってるんじゃないかなあ。僕がある書き方をずっと続けていくと結局飽きて、他の書き方になるっていうのも、何かそれだけじゃ結局捉え切れていないや、もっと違うやり方をやらないと捉えきれない、と常に思っちゃうからなんですよね。
谷川俊太郎インタヴュー「言葉への通路・私への通路」 『現代詩手帳 1985年2月号』(思潮社) p.141

by warabannshi | 2009-04-20 20:44 | Comments(0)
第242夜 「仕事を探す 下北沢、国立」
 仕事を探すために外に出ている。
 リクルートに勤めている友人Nが、私の家からずっと南にある駅の求人情報をくれたので、東西にしか走っていない井の頭線から南へ向かう電車へと乗り継ぐために、「下北沢」に来ている。

 いつのまにか、「下北沢」はすっかり変わってしまった。
 駅の周りの雑然とした街並みは、巨大な駅ビルのなかにすっぽりと移しかえられて、キッチュなショッピング・モールと大差ないことになっている。池袋のナンジャタウンを薄味にしたような感じ。「横浜」や「桜木町」、「聖蹟桜ヶ丘」には、こういう迷路のようにデザインされた屋内商店街が、ありそうな気がする。しかし。迷路としてデザインされた迷路ではだめなのだ。
 こうなってしまっては、「下北沢」もおしまいだ。
 しかし、そこの角の狭いけれど質素な立ち食い蕎麦屋では、五歳くらいのときに祖父といっしょに温かい蕎麦(梅味)を食べた記憶が、まちがいなくある。
 また、「下北沢」駅ビルの屋上では、あんパンを専門に売っている屋台があるはずだ。
 なぜ、一度も来たはずのない「下北沢」駅に、ないはずの記憶があるのか、どこになにがあるかわかるのか?
 わからずに走り出すと(面接の時刻に間に合わないので)、マイセンのカツサンド屋があり、ここには【第44夜】でも、リクルートスーツを着て訪れたことがあることが知られる。駅ビルの外には、巨大な真四角の、野菜の集荷センターを見ることもでき、そこで白菜やキャベツをバイクで運ぶアルバイトをしていたこともあることも知られる。
 もしかしたら、ここには、いくつもの駅ビルが集合され、部分的には重なっているのかもしれない。逆に考えると、他の駅ビルから、通路さえ見つければ、一瞬のうちに、この「下北沢」の駅ビルに来ることもできるのだ。
 むしろ、じつは駅ビルは、ただ一つしかなく、「下北沢」や吉祥寺(パイプオルガンのある駅)、“E.T.(エンターテイメント・ティーチャー)”がいるあれらの建造物は、ただ一つの駅ビルが異なる場所で現れたから、異なる場所のように思えるのかもしれない。
 駅のコンコースに向かって走っていたはずなのに、いつのまにか野菜集荷センターと「下北沢」駅ビルの隙間の、薄暗い道を走っている。薄暗いのは、建物のせいではなく、すでに夕暮れであるから(けれど、この道から二つの他と物は、どちらも光を吸いこむモノリスのようにまっ黒な塊だ)。腕時計を見ると、もう面接には間に合わない時刻になっている。


 国立のとある中学校で、生物科の非常勤講師となるための面接を受けようとしている。
 面接場所となる理科実験室には、ずいぶん朝早くから来ているのだが、まだ私以外は誰も来ていない。
 他の教室では中学生たちを相手にした授業が始まってしまい、所在ない気分になる。
 いつのまにか、理科実験室の机で眠ってしまったらしく、気がつくと、ここでも、授業が始まっている。
 黒板にはヒル反応やカルビン・ベンソン回路が書かれていて、光合成と糖についての授業がなされていることがわかる。なぜか、糖を、“ぬいぐるみの自動車をくっつけた磁石”によって示しているが、わかりやすい。
 これから自分がやることになる授業の参考に、もっと板書を見たいのだが、さっきから眼鏡がない。
 いや、眼鏡なら五、六個、手探りで見つけることができたのだが、私自身の眼鏡がない。
by warabannshi | 2009-04-15 17:22 | 夢日記 | Comments(0)
ラカン断片
 警句-毒舌-悪い冗談、――そういう語り方はまったく完璧な、真実が虚構としてその命令を現すと言うことができるような、本当らしさへと私たちを十分に引き上げてくれます。
  Boutade, ---qui suffit à nous faire relever bien au contraire en ce récit une vraisemblance si parfaite, qu'on peut dire que la vérité y révèle son ordonnance de fiction.
『「盗まれた手紙」についてのセミネール』
Le séminaire sur « La Lettre volée », in "Écrits" p.17



 しかし、お気をつけください。言葉やレッテルを信用しない理由というのがあるのです。私たちが具体的な経験のなかに探すこの真理は、ある高次の法則の真理ではありません。もし私たちが探している真理が解放をうながす真理であるなら、私たちは、私たちのテーマを隠している一点に、それを探すことになります。それはひとつの個別的な真理なのです。
 Mais attention, il y a lieu de ne pas se fier aux mots et aux étiquettes. Cette vérité que nous cherchons dans une expérience concrète n'est pas celle d'une loi supérieure. Si la vérité que nous cherchons est une vérité libératrice, c'est une vérité pue nous allons chercher à un point de recel de notre sujet. C'est une vérité particuliére.
『精神分析の倫理』「快楽と現実」
"L'éthique de la psychanalyse" p.32



 わたしはつねに真理を語ります。すべてではありません。なぜなら真理のすべてを語ること、それはできないことだからです。真理のすべてを語ること、それは素材的に、不可能です。つまり、そのためには、言語が不足しているのです。真理が現実界に由来するのも、まさにこの不可能によっています。
  Je dis toujours la vérité: pas toute, parce que toute la dire, on n'y arrive pas. La dire toute, c'est impossible, materiellement: les mots y manquent. C'est meme par cet impossible que la vérité tient au réel.
『テレヴィジオン』
"Autres Ecrits" p.509




 ジャック・ラカンの誕生日(1901/04/13)に関連して、ここ半年くらいで気に入った断片を並べました。
 ラカンの名前を初めて知ったのはいまから五年前のはずで、精神分析に興味を持ち始めたのはそこからさらに二年後のことで、そのときはまだyoutubeもニコニコ動画も普及していなかったから、こうやって数十年前のラカンの肉声が当時の映像付きで配信されているのをいま試聴すると、時間の感覚が層状にめくれあがっていくような感覚に取り憑かれます。
 ラカンのテキストを読んでいると、なぜか仏典の(正確には法華経の「如来寿量品 第十六」)一節一節を思い出す、というのは、三年前からの一貫した感想で、それが気のせいなのか気のせいでないのかを、この夏、ワークショップの場をお借りして考察させていただけることになりました。詳細は後日アップしたいと思います。

by warabannshi | 2009-04-13 12:31 | Comments(0)
第241夜 「ジェノサイド・パーク」
 「ジェノサイド・パーク」という動物園に、少年と一緒に来ている。少年は、どう考えても爬虫類、あるいは恐竜から進化したとしか思えないウロコの肌。そのウロコの肌の少年と、毛のない哺乳類の肌の私は、同性愛の恋人同士。
 恐竜人類の少年の名前はナランチャだが、『ジョジョ Ⅴ』の登場人物とは、何の関係もない。
「ねえ、『ボーイ』と言ってよ」
 そうナランチャは言う。彼は少年だから「ボーイ(boy)」と言うことには何の抵抗もないけれど、その甘えが何かの罠であることが察せられるので(例えば、ナランチャの父親が、私(太田)がナランチャを「boy」と馴れ馴れしく呼ぶことをこっそりと聴いている)、あいまいに濁す。
 動物園には、ベンチの代わりに、白いぱりぱりのシーツが敷かれた寝台がところどころに置かれている。
 動物園を二人で歩いていると、肉食獣のゾーンに着く。
 ものすごい腐肉臭が漂っている。肉食獣の食べ残しが腐っているのか、あるいは餌がそもそも腐肉なのか、どちらかわからない。臭いのせいで吐きそうになるが、boyは平気な様子でずんずん奥へと進んでいく。
 爬虫類、あるいは恐竜から進化した人々には、そもそも鼻の穴がないのかもしれない。
by warabannshi | 2009-04-12 11:09 | 夢日記 | Comments(0)
探索整理02 『精神分析の倫理』「快楽と現実」読書会 復習

精神分析の倫理 上

ジャック・ラカン / 岩波書店


 邦訳『精神分析の倫理 上・下』は、1959年から1960年にかけて毎週(?)火曜日に行われていたジャック・ラカン(1901-1981)の講義録で、ラカンの娘婿で弟子のジャック=アラン・ミレールの編纂による『セミネール(講義録)』だと第7巻に対応している。ちなみに原書は、
 Jacques Lacan『L'éthique de la psychanalyse』Seuil,1986
 この記事の引用文は、読書会の訳文に準じており、ページ数は原文のものを使っています。

 『精神分析の倫理』というタイトルの通り、フロイト(1856-1939)の晩年に集中した文明論や宗教論(『トーテムとタブー』(1913)、『快楽原則の彼岸』(1920)、『文化への不満』(1939)、『人間モーゼと一神教』(1939)など)に一貫して読みとることができる、ある倫理的次元について敷衍している。つまり、責務の感情(sentiment d'obligation)、死の欲動(instinct de mort)、神の問題をめぐるフロイトの考察を、精神分析から、伝統的な倫理観への、巨大な問いかけとして整理している。じっさいのところ、精神分析の登場は二〇世紀の文化史における一大事件であり、アリストテレス以来、西欧では二千年間ほど知的に流行していた目的因的な世界観は、ダーウィンの適応進化説とフロイトの精神分析とによって、作用因的な世界観へと、文字どおり、完全にひっくり返されたのだから、その逆転の余波は、『草稿』が書かれて五十年ほど経ったラカンの講義においても、そこからさらに五十年が経った今日においても、そこはかとないミスマッチな感覚として日常生活の至るところで不意に現れる。

 「フロイトの著作とそこから流れてくる精神分析の経験が私たちにもたらす新しいもの」についての、この整理の試みは、まず、アリストテレス(B.C.384-322)の『ニコマコス倫理学』への参照からはじまる。続いて、フロイトの『科学的心理学草稿』(1895)の再読により、フロイトの精神分析の枠組みにおける〈他者〉の表象であり、存在しない最高善としての「もの Das Ding」概念をカント(1724-1804)の『実践理性批判』(1788)から見直す。
 アリストテレス、カント、そして、フロイト。ラカンが『精神分析の倫理』でとりわけ注目するこの三人は、倫理(Ethics)という言葉を、じつはあまり使わない。とくにアリストテレスは倫理という名詞をまったく使わない。(註1) アリストテレスは「政治」(Politike)という語で、カントは「人間学」(Anthropologie)という語で、フロイトは「道徳的次元」(la dimebsion morale)という語で、それぞれ別の「倫理」の輪郭を浮き上がらせる。それぞれ別の倫理、ということは、それぞれの倫理の水準も、当然、異なる。
註1 アリストテレスは体系的な倫理学を書いた最初の人と言われているが、『ニコマコス倫理学』は彼によってそう命名されたのではない。アリストテレスが扱うのは政治(Politike)であり、政治(Politike)と区別された倫理(Ethike)は彼の著作には出てこない。

 今回の読書会では、アリストテレスを扱った。アリストテレスの倫理の水準は「主人」であり、彼が「正しい理法(オルトス ロゴス)」を教える生徒たち、弟子たちのための倫理である。言い換えると、アリストテレスの倫理は、将来、政治(Politike)に携わるポリスの一員に、主人としての徳、ある種の人間的理念の諸条件を示し、審美的ないし享楽的要求に対して、不節制に陥らないような実践=行為のためのある種の制限として働く。
 いずれにしても、アリストテレスが他のすべての倫理とある程度まで共通にもっているあるものがそこで浮き彫りになってきます。つまり、アリストテレスは、ある秩序に準拠しているということです。この秩序は、まず学(science)として――為されねばならないことについての学、ある種の性状(caractere)の規格、すなわちエトス(ἔθος)を定義する、異論の余地なき秩序の学として――示されます。(……)
 エートス(ἦθος)の確立は、生物と非生物つまり非活動的な存在を区別するものとして措定されます。アリストテレスが詩的しているように、みなさんが石を一個空中にどんなに長い間放り投げたとしても、石は〔上昇を描く〕軌道の習慣をつけることはありません。(cf.『ニコ倫』第二巻第一章) それに対して人間は、習慣を身につける。これがエートスです。そして、このエートスをエトスに一致して獲得することが問題となります。
 (p.30)

 エートスとエトスの一致。ある実践=行為と、ある秩序、ある道徳的気風、どんな性状が望ましいかについてのある「学(science)」との一致。そして、この一致を可能にさせるやり方。あるいは一致を望んだときになぜか実践=行為のレベルで常に現れる欠陥。
 このやり方と欠陥を、アリストテレスは実践三段論法(註2)と不節制として語るが、彼の射程はあくまでも余暇を特権的に使うことができる主人に限定されている。
註2 実践三段論法とは、「善の認識(大前提)→善を目指す手段(小前提)→善の行為(結論)」という実践規則のこと。
 一般的によく知られている、推論のための三段論法は以下のようなものである
   大前提:すべての人間は死ぬ。
   小前提:ソクラテスは人間である。
   結論: ゆえにソクラテスは死ぬ。
 これを実践三段論法に書き替えると、たとえばこうなる。
   大前提:健康に良いことはするべきである。 
   小前提:トマトジュースを飲むことは健康に良い。
   結論: ゆえにトマトジュースを飲むべきだ。
 しかし、これでは「ゆえにトマトジュースを飲むべきだ」は出てきても、世の中には飲料としてのトマトジュースが嫌いな人がいるために、結論は「トマトジュースを飲む」という実践にそのまま結びつくとは限らない。
 人間を合理的な存在であると見なすソクラテス-プラトンは、「トマトジュースを飲むべきだとわかったら必ずトマトジュースを飲む」と楽観的であるが、アリストテレスは「トマトジュースを飲むべきだとわかっているのにトマトジュースを飲まない」人々について解明しようとする。
 実践三段論法へのアリストテレスの関心は、分析哲学では「意志の弱さ(アクラシア)」として今日でも議論されている。


 アリストテレスを読むフロイトを、さらに読むラカンは、一致の可能性を精神分析のなかに探し、「ひとつの解放をうながす真理」として語る。そしてその欠陥については、フロイトが『夢判断』以前の1895年の『草稿』以来、快楽原則と現実原則の対立をめぐる考察として、一生涯追究してきたものだ、とラカンは見なす。 
by warabannshi | 2009-04-12 01:17 | メモ | Comments(0)
第240夜 「温泉旅館の無理難題」
 三階建ての、増改築をくりかえして迷路のようになった温泉旅館にいる。
 この巨大な温泉旅館の、いたるところに散らばった、1138個の球状のせんべいと、一つの秘密の壺を探さなければならない。壺は、見つけ次第、破壊することになっている。
「こういうものはたいてい、出入り口近くにあるものだよ」
 迷彩柄のロングコートを着た白髪の老人が語る。
「すべての客室と、すべての廊下と、その屋根裏なんかをすみずみまで探してみたからといって、そこに壺が物理的に存在していなければ、それは壺を探しているとはいえない。目をつぶったまま探すのではなく、まずはつぶった目を開けることが必要だ。ポーの『盗まれた手紙』を読んだことはあるだろう?」
 幸いなことに『盗まれた手紙』は読んだことがある。
「いざとなったら、この旅館ごと吹き飛ばしてしまえばいい」
 これは、もう一人の老人の独白。
 まったくだ。
 秘密の壺は、それを見つけだすことが目的なのではなく、それを破壊することが目的なのだから。
 老人は四人いて、それぞれがサバイバル・ゲームでもしそうな迷彩服を着ている。それとも、彼らが着ているのは軍服だろうか?
 秘密の壺に関しては、このフォーマンセルにまかせれば良いことが察せられる。

 見つけだすのに苦労しているのは、むしろ1138個の球状のせんべいのほうだ。
 せんべいには、それぞれ「1」から「1138」までのシリアル・ナンバーが刻印されており、万葉集の和歌か、あるいは『外郎売り』の一節が、行書で書かれている。
 だからといって、それらの特徴が、散らばった多数の球状のせんべいを見つけだす手がかりには、まったくなっていない。
「外郎売りの早口言葉、全部言える人は順番をそろえて!」
 せんべい担当らしい女の子が、ヒステリックに叫ぶ。
 外郎売りの早口言葉がわかる数人とともに、いままでに集まった幾つものものせんべいを順番に揃えていくが、そもそもシリアルナンバーに従ってそろえればいいのであって、外郎売りの早口言葉を手がかりに並べることはない。
 別の部屋ではせんべいを集めていることを知らずにそれを食べてしまった別の女の子が、三人にはがい締めにされて無理やり陰毛を剃られている。
 1138個、すべての球状のせんべいが揃わなかった場合、どのようなことがおこるのだろうか。
(この温泉旅館の天井が、ひとつ残らず落ちてくるのさ……)
by warabannshi | 2009-04-04 08:46 | 夢日記 | Comments(0)



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