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第526夜「布屋敷の水槽」
 真っ暗な布屋敷の一室に、縁が天井まで届くほどの巨大な水槽が設えられている。なかに魚群がいることは水音でわかるが、部屋にある灯りといえば、緑色に光る小さなスイッチが一つきりで、その灯りも、スイッチの位置を教える以上の役割を果たそうとしないので、水槽の中身はまったく見えない。水のにおいと黒々とした重量に窒息しそうである。
 【空間を頁のようにめくってしまえばよい】
 かつて庭園で、観葉植物の世話をしていたときに聞いたことばが頭をよぎる。その軽やかなイメージによって落ち着こうとする。
by warabannshi | 2011-10-28 04:19 | 夢日記 | Comments(0)
第525夜「嫉妬」
 名前の知らない友人と二人で、嫉妬に狂った女性に追いかけられている。下田か弓ヶ浜らしい護岸された海沿いの道を、まるでスケート選手のようにアスファルトを滑走して逃げている。時速六〇キロくらいは出ているのではないかと思うが、女性はぴったりと私たちの背後につき、水を、真っ黒いすぼめた口からさかんに吹きかける。
「どうして水なんだろう?」
 私は隣を走る友人に聞く。
「海沿いだからじゃないか」
 私たちはさっそく次のT字路を、陸のほうに向かって曲がる。女性は相変わらず追いかけてくるが、もう水は吐かない。予想はあたったが、事態は依然として好転していない。そこで二手に分かれることになる。私はつかの間の友人と惜別する。
 山道を走っていると東屋があり、私はそこに逃げ込む。東屋のなかは茶室が設えられており、黒人女性が一人、なにをするでもなく座っている。
「Can I stay here?」
 黒人女性はまったくの無表情でうなづく。私は一安心するが、何か面白いことを言って彼女を笑わせなければここから追い出されるのではないかと不安になる。そこでZen Buddhistの滝打ちの話をすることにする。彼らは滝に打たれることでなにかを悟ろうとするが、悟るのは、滝打ちがあまり意味のないことだ、という笑い話である。
「Many droplets like drizzle choke off disciplinant」
 HaHaHaと笑おうとしたとき、すでに私の肺は水で満たされている。
by warabannshi | 2011-10-24 00:30 | 夢日記 | Comments(0)
第524夜「治療」
 一人の物静かな狂人を預かることになって数日、自分のほうがおかしくなってきたので、診療内科に行く。
「その患者さんが着た日のことを詳しく話してください」
 ポニーテールの小柄な女医さんが言う。
「母が彼を連れてきたんです。彼は二段ベッドの下で眠ることになりました。その夜、二時頃に目が覚めて以来、不眠症気味なんです。記憶力も高まった気がします」
 私たちは屋上に行く。五十羽ほどの灰色の鳩が、病棟のあちらこちらでせわしなく歩いている。
「鳩はいま屋上に何匹いる?」
 そう問うのは女医さんではなくSさんである。
「屋上の段差の数は…」
「段差の数じゃなくて、鳩の数だよ」
 私の体は突然、痙攣を始める。うつ伏せに倒れながら、私は叫ぶ。
「鳩が、鳩が、何かメッセージを!」
 奔流のように視野から流れ込む暗号。Sさんは完全に落ち着いて、私の左手首を脈をとるように掴む。
「浮き輪があるね。海で溺れないようにする、あの浮き輪だ。しかし、浮き輪とは何だろう? なぜそれは存在しているのだろう? そう問われた道元はこうやった」
 私の左の手の平は、コンクリートを二回、叩く。すると、気分が嘘のように軽くなる。
by warabannshi | 2011-10-20 15:49 | 夢日記 | Comments(0)
第523夜「アウトロー」
 何かの決起大会の会場にいる。先日、口論の末に上官の顎を割って軍隊から逃げ出してきた私は、このまま行方をくらまし、アウトローへの道を突き進む腹積もりである。しかし、アウトローとはどういうものなのか? イメージが掴みにくいので、こうやって非合法な政治集会で、蝟集するアウトローたちを観察している。
 演説者が立つステージに、今度は坊主頭の巨漢があがる。携えているフォークギターを鳴らして歌い出す。
「僕たちは教室の仏壇に向けて青空を手向けた」
 ダメなブルーハーツのようだ。
 背後では高さ679メートルの自由落下系の絶叫マシンが動いている。ふと、ここが遊園地であることを思い出す。
「君には華美な格好を10000日間、禁じたはずだが…」
 振り返ると、私が顎を割った上官の上官がいる。
「華美、ではないと思うのですけれど」
 事実、私が着ているのは白い無地のワイシャツにGパンだ。
「察しが悪いな。“ほとぼりが冷めるまで出歩くな”ってことだよ」
 軍服を着た脊の低い老人は、酸素吸入器代わりに、熱帯魚の飼育に使う泡をぶくぶくだす石を口に含んでおり、口の端から垂れたチューブがたまらなく異様である。
by warabannshi | 2011-10-20 11:38 | 夢日記 | Comments(0)
第522夜「逃走」
 すでに用済みになって海洋上に破棄された、大型帆船の船倉にいる。人の通ることのできる廊下は「ロの字」型になっていて、真ん中になにがあるのかはわからない。空洞にでもなっていて、階下のダンスホールでピアノなどを弾いたときに反響できるように何かしらの工夫がしてあるのかもしない。
 その船内の「ロの字」型の廊下で、何か大きなものに追われている。「それ」は廊下に通じる調理室から出てきて、私を食うつもりである。船内は不思議と明るく、一番長い廊下の曲がり角まで見通すことができるが、目があったときにはすでに逃げられない間合いに入ってしまっているであろうことが直観的にわかっている。私は、だから曲がり角のところで息を潜め、常に「それ」と自分が対角線の位置にあるように努める。「それ」が急に方向転換してもいいように、または、気配で私を罠にかけようとしているかどうかを窺うために、聴力に細心の注意を傾けながら。
 どれほど、この休みない逃走を続けているのか判らない。もしかしたら、「それ」は私の精神力や脚力を鍛えるために私を追い回しているのかもしれないと思う。しかし、それは甘っちょろい考えだろう。私はあっという間に「それ」に組敷かれ、頚椎を折られるに違いない。
 カーペットの擦り切れた曲がり角で、何百、何千回目かの幾何学的な努力を払いつつ、ふと私は気がつく。
 「それ」が調理室にから廊下に出てきたら、「それ」が調理室からもっとも隔たったところにいる瞬間を見計らって、私が調理室に入り、扉を閉めてしまえばいいのではないか?
 私はさっそくそのアイディアを実行に移す。「それ」がもぞもぞと曲がり角の向こうに消え、次の曲がり角も曲がり、十分に時間が経ったとき、私は駆け出し、調理室に飛び込む。銀色に輝く、手入れの行き届いた調理器具が並んでいる。と思う間もなく、私は背後からものすごい力で押し倒される。「それ」だ。「それ」が一匹だと誰が決めたのだろう。一匹ではなく、二匹いたのだ。鈍い後悔が全身を巡り、床に組み伏せられた格好のまま首の許すかぎり振り向く。洗いたての米のように透き通った白い毛の大蜘蛛が、巨大な顎を開いている。
by warabannshi | 2011-10-13 03:50 | 夢日記 | Comments(0)
第521夜「寺」
 どういう由縁があるのか知らないが、本尊の名前が「ニート師」という、人をくった寺の本堂にいる。螺鈿細工を施された太い柱が立ち並び、本尊は奥で、鈍い山吹色に光り輝いている。ご利益を求める群集が畳敷きの床のそこら中に坐り、経文を持って、住職の登場をいまかいまかと待ちかねている。私の手元にも、経文がある。尋常小学校の国語読本のような、糸綴じの和本である。ぱらぱらと捲ると、版画で挿絵がはさまれていて、いよいよレトロな感じ。それがたまらなく胡散臭い。
 やがて豪奢な法衣を身につけた、まだ三十代ほどの眼鏡の住職が現れる。手には巻物を持っている。
「では、いまから読み上げた名前の順に、登壇してください。ストロベリー・フィールズ・フォーエバー、イエロー・サブマリン、ノルウェイの森、……」
 ビートルズの曲名が次々に読み上げられていき、息を潜める人だかりから何人かがぱらぱらと立ち上がる。彼らは俗名を捨て、曲になった者たちだ。上気した面持ちで、金色のニート師の洞窟のなかに入っていく。
「それでは、私たちは彼らが戻るまで読経して待ちましょう」
 私は経文に眼を落とす。内容は、車引きたちが土手で凧あげをしているうちに喧嘩をはじめたというもの。隠喩なのかなんなのかわからない。
by warabannshi | 2011-10-12 07:08 | 夢日記 | Comments(0)
第520夜「浮気」
 どういうわけか、彼女Fの立ち会っているその場で、友人Oに「よかったら付き合ってくれる?」と告白している。友人Oに告白するのはこれが二度目なので、蕎麦でも注文するかのような気安さである。「いいけど…」と先方もとくに拘りを見せない。
 彼女Fのほうをうかがうと、Fは怒りを通り越してか何なのか、もの凄い無表情で私の顔を見ている。しまった、と思うが、しかしそもそもこのようにOに告白をさせたのはFであるような気もする。偽りではないにせよ、真摯ではない告白を私が進んで、それもあろうことかFの眼前でするなど、他に考えようがない。
 
by warabannshi | 2011-10-12 06:47 | 夢日記 | Comments(0)
ジャック・ラカン「論理的時間と予期される確実性の断言」(1945)読書会のまとめ
 ジャック・ラカン「論理的時間と予期される確実性の断言」(1945)の読書会についてのまとめ。すごく面白かったので、以下、興味がない人はすみません。

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 『エクリ』では、論文「論理的時間と予期される確実性の断言」のあとに、論文「転移に関する私見」(1951)が続いている。両者間にはどんな関連があるのかわからなかったけれど、その結びが「時間の緊迫tension temporelle」に関する前後で少しだけわかったように思う。
 論文「論理的時間…」では「三人の囚人の話」が素材になる。どういう話か。少しだけ紹介すると以下の通り。
 刑務所の所長が3人の囚人に次のように伝えた。「君たちのうちの一人を釈放することにした。ここに5枚の円盤がある。そのうち3枚が白、2枚が黒だ。これを君たちの背中に1枚ずつ貼る。何色が貼られたかは見ることができない。君たちは仲間のつけている円盤を見ることはできる。だが、何色が貼ってあるか教えてはならない。その上で、最初に自分の色がわかった者を釈放しよう。ただし、当てずっぽうじゃダメだ」。そして、3人にはそれぞれ白い円盤が貼られた。さて、囚人たちはこの問題をどのように解決しただろうか?

(…… thinking time ……)

 3人の囚人は、“すこしだけ”考えたあとで、一緒に“数歩”前に進み、並んで答えた。「私は白です」なぜわかったのか?「もし私が黒であれば、彼らはこう推論できるはずです。『もし自分も黒であれば、もう一人の仲間は自分が白だとすぐわかるはずで、そうすれば“ただちに”「私は白だ」と言うはずだ』。けれど、言わなかった。『だから私は黒ではない、白だ』と確信した二人は、一緒に「私は白だ」と答えるはずだ。けれど。そうも言わなかった。彼らがそうしなかったのは、私が黒ではなかったからです」このようにして、3人は同時に釈放された。

 以上が、「三人の囚人の話」である。本当にこんなふうになるのか、ということは置いておいて、この「完全な解答」の論理的価値について注目するにとどめておきたい、とラカンは言う。どういうことか。「こうだからこのように行動するはずだ」という予測の話としてこの「三人の囚人の話」を読まない、ということだ。予測の話にすると、「もし囚人の一人がバカだったら」という可能性を許すことになってしまう。ストーリーは決まっている。そのとき、この話から、何を析出することができるか? 〈「私は○○だ」という断定(結論)を下す時間については、事後的にしか説明することができない〉という形式だ。その結論を下す時間は、長さのある時間ではないし、もっといえば、説明のときに無理矢理、時間に対応するものを作っているにすぎない。
 断定を下す時間は、〈前もって作ることができる〉ものではない。自然科学は微分方程式を立てたりして、時間軸のなかでの変化を計画可能なもののように書くけれど、主体においてはそうではない。断定する主体にとって、断定を下す時間は、常に〈突きつけられる〉ものだ。なぜか? 論理空間において主体は不純物だからだ。主体なんてなくしてしまえばいい? そうすると、論理空間において「この場所を話題にします」と言ったり、「これとこれを比較します」と言うことはできない。論理的時間のステップ数を一望することができても、主体がないと、局所的な〈どこか〉を指せない。
 これが「断定の論理logique assertive」に固有の形式である。…だと思う。たぶん。そのはず。そして、その固有の形式とは、「不安の存在論的形式form ontologique de l'angoisse」として位置づけられる。うん、断定しているいまは、たしかに、不安だ。「不安の存在論的形式」をラカンは次のように言い換える。それは、「(間違いが生み出す遅れ)がないようにpour qu'il n'y ait pas」する動機に結びつけられると。またそれは、「(遅れが間違いを生み出す)ことの恐れde peur que」という情動的なものとしても表される。
 まとめると、〈論理的空間において断定を下す主体は、「間違ったせいで遅れないように、そして遅れたせいで間違わないように判断を下す」という不安の形式としてしか表せない〉。そして、この判断を下す主体とは、「私je」以外では表現できない。

 ちょっと意味がわからないかもしれない。あるいは、するっと入る人もいるかもしれない。ただし、後者はキルケゴールやハイデッガーと結びつけて理解してはいまいか、少し吟味する必要がある。ラカンが語っているのは、断定する主体に適応されている論理と時間だ。実存ではない。もっとも、断定する主体において実存と論理はパラレルなものとして言表される。ラカンはこう言う。イマジネールな「私」は、嫉妬として目覚め、他者との競りあうconcurrence主体として定義され、論理的時間と対応する、と。(cf.クラコウに行くユダヤ人のジョーク)
(この場合の、主体と競りあう他者とは何だろう? 鏡像的他者に限られたものではないはずだが…)
 この断定する主体に適応されている論理的時間の知見が、いったいどういう事柄につながるのか? これは予想だけど、「転移transfert,transform」なのではないか。
 時間がなくて、もうこれ以上この思いつきを育てることができないので、以下は本当にメモ。欲望は意味付けの階層を“潰して”しまうから、扱うのが難しい。転移も同様。フロイトは転移を、そこに乗り上げると分析が失敗してしまう妨害として最初に位置づけている。そのとき、〈断定する主体が断定する論理的時間〉が一つのフックになるのではないか。心の動揺として表れる転移の、その動揺が転移が生じさせる対話のなかのある時点を位置づけるにあたって。

 精神分析を離れて、一気に自分の研究に引き寄せて拡張解釈すると、「変容可能性transformativity」の構造を説明するヒントになりそうでもある。「私は○○だ」という表明を支える〈断定〉を、感情の神秘的な固有性のもとにおかないようにする工夫。ただ、〈断定〉が神秘とは別に語られても、以下の問いとは不可分である。つまり、「論理はなぜ現実の時間と重なるのか?」という問い。もちろんここでの論理とは古典的論理ではなく、直観主義論理に近い。話はそれるけれど、直観主義論理の祖、ブラウワー(1881-1966)がウィーンでやっていた講義はヴィトゲンシュタイン(1889-1951)やフッサール(1859-1938)も聴講していたらしいけれど、フロイト(1856-1939)もこの講義を聞いていたのかもしれない、と塩谷さんが話していた。

 論文「論理的時間と予期された確実性の断言」は長らくちんぷんかんぷんだったけれど、少しだけとっかかりが見えた気がする。
by warabannshi | 2011-10-09 19:20 | メモ | Comments(0)
第519夜「企画会議」
 カフェテリアのような、長テーブルとイスがざくざくと並んでいる会議室で、何か企画会議をすることになっている。すでに何人かスタッフが集まっていて、思い思いのテーブルで軽食をとったり、事前のミーティングをしている。広い壁にはいくつもホワイトボードが設えられていて、てかてかと蛍光灯の光を反射している。
 友人Sの姿を見つけたので、コーヒーを二つ持って、隣に座る。彼はスケッチを描いている。曲がり角の向こうから用心深そうにこちらを窺う猫の絵。あらゆる陰影を排して、必要最低限の輪郭だけで構成された見事な線画である。
「うまいね。風景よりも、動物を描くほうが向いているんじゃない?」
 彼の描く風景は、どちらかというと地球というよりナメック星のそれに近い。
「ありがとう。でも載せないよ」
 やがて、「将六(すごろく)」という名のチーフが会議室に入ってくる。黒いジャージ姿の彼は、彼自身は気付いていないかもしれないけれど、まだ高校生である。
by warabannshi | 2011-10-08 09:49 | 夢日記 | Comments(0)



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