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「宮沢賢治の病跡学的研究―〈まことのことば〉をめぐって」(第3章)
 宮沢賢治の諸作品を、ヤスパース-ラカンの精神病論と併読することで、“異常な”賢治を、“正常な”私たちが理解・共感できるとはどういうことなのかを探る話。いわゆる“患者”はある固定された症状の単位として考えられるけれど、賢治、そして私たちは同時に複数の症状を生きているのではないか。いや、症状を生きるというより、症状の形成過程を生きるという方が正しい。「要素現象」を複数もつことは病気においては不可能だけれど、人間においては不可能であるとは言えない(「要素」とはあくまでも症状の要素であり、人間の要素ではないから)。
 賢治の場合、その要素現象は「世界」、「あんまりひどいげんじつ(トシの死)」、「法華経」と名付けられうるものであった。そして要素現象を展開するメカニズムこそが、「まこと」「ほんたう」などで示される真正性だった。そのため、私たちにも彼の「体系的妄想」は理解・共感されやすい。
 それでは、賢治はその作品史の最後に、いったいどのような状態に至ったのか。それを考えるには、賢治童話の代名詞ともいえる「銀河鉄道の夜」が良い素材となる。同作は、賢治の死の直前まで、およそ9年間かけて改稿が繰り返されている作品で、三次稿→最終稿で非常に大きな改変が加えられている。つまり、最終稿において初めて加えられた、「一、午后の授業」、「二、活版所」、「三、家」、そしてカムパネルらの溺死という箇所(cf.銀河鉄道の夜・原稿の変遷http://t.co/EsVi9q5Q)に注目することで、賢治が死の直前において主題歌していたことを明らかにする。

 「銀河鉄道の夜」の初期形、いわゆる「ブルカニロ博士編」は、作品が「ケンタウル祭の夜」から始まり、「ジョバンニの切符」の終末部分が大きく変り、最終稿と結末が異なっている。カムパネルラの溺死は、語られていない。 http://t.co/U6BtUU2R
 「銀河鉄道の夜」の最終形で加えられた三つの章は、いずれもジョバンニが銀河鉄道に乗る前(夢に入る前)にある。さらに四章、五章、六章には、削除された箇所が多々ある。そして、最後にカムパネルラの溺死が告げられる。 http://t.co/A43KxfEq
 最終稿の追加箇所としては、ジョバンニの溺死の方につい注目してしまうけれど、新しい作品の冒頭が、「ではみなさんは、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか」という先生の台詞で始まることにまずは注目したい。
 自筆原稿を見ると、じつはこの台詞の「では」は、新しく書き加えられたものだとわかる。また、次の「さういふふうに川だと云はれたり、〔…〕このぼんやりと白いものが、ぼんたうは」は、「あのぼんやりと白くがかる、銀河が」が、部分的手入れののちにいったんすべて消された後に置き換えられたものであることがわかる。
 ※入沢康夫監修・解説『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』 には、「銀河鉄道の夜」の生原稿83葉がカラー写真で収録されている。Amazonを含め、一般書店では発売されていない。岩手の賢治関係の施設・土産店などに置かれている限定品。1700円。
 冒頭の先生の台詞の推敲で際立つのは、「では」と「さういふふうに」という二つの語句。いずれも、先生の授業がこの第一行によってはじまったのではなくて、第一行の〈その前〉があることを示す。賢治は、なぜ、ここをもって第一行としたのか? この問いを考えるうえで、再び、要素現象の話に戻る。
 くり返すとおり、これまで「要素現象」の性質を、〈引用元のない引用〉(http://t.co/42PlOvhr)として、〈何もないところから引用して、その引用先として世界を作る現象として〉位置づけてきた。賢治は、この〈引用元としての世界〉に、真正の回路でアクセスすることを求める。しかし、〈引用元〉は、「世界」や「トシの死」や「法華経」という語に置換することができても、それ自体を書きようがない。〈引用元〉は、要素現象として対象化することができない。対象化されるのは、あくまでも、「世界」や「トシの死」などの代替物の方だ。
 〈引用元=誕生〉の不思議は、これまでも童話作品において、風によって運ばれてきた物語を聴く、という形で示されてきた。「銀河鉄道の夜」の最終形の冒頭もまた、この不思議を扱っている。そして、この不思議を際立たせるのが、やはり最終稿によって加えられた、カムパネルラの溺死である。

 原稿の推移(http://t.co/EsVi9q5Q)第81葉の、級友マルソがかけ寄ってささやいた「カムパネルラが川へはいったよ」という報告は、「水へはい」、「落ちた」が消されたあとにあり、「カムパネルラが見えないんだ」も「見えなかったんだ」の消去の後にある。死についての時制。また、第82葉の「ジョバンニはすぐそこらの波の間から、「ぼくずゐぷん泳いだぞ。」と云ひながらカムパネルラが出てくるやうな気もしたり」も、「みんなはまだ、どこかの波の間から、「ぼくずゐぶん泳いだぞ。」と云ひながら〔…〕気がして仕方ないらしいのでした」と想像する主体が変更されている。
 いずれせよ、カムパネルラの死がどのように伝えられるか、あるいは誰が想像するかについて、集中的な推敲がなされている。しかし、カムパネルラの死という事態は、「青森挽歌」におけるトシの死ほど過剰な意味づけがなされていない。なぜか。ジョバンニはカムパネルラとの通信に成功しているからだ。「青森挽歌」においては、賢治は死んだトシとの通信に失敗していた。その裏返しのように、「ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかいないといふやうな気がしてしかたなかったのです」という確信をえている。「銀河鉄道」では、むしろ〈死〉によって〈誕生〉がうかがわれている。
 逆に過剰な意味づけがなされているのは、それまで要素現象=〈存在しない引用元〉を症状へと展開するメカニズムであった、真正性である。「ほんたうの幸福」をめぐるジョバンニとカムパネルラの対話、そしてセロのような声の大人は一貫して推敲の対象となり続け、「ほんたう」は不明なものとして残る。

 ここに、要素現象を展開させるメカニズムの名前であった「ほんたう」が、要素現象そのものとなる新しい位相がある(「ほんたう」の意味不明さについての考察の萌芽はすでに「学者アラムハラドの見た着物」にあった)。賢治は、言うなれば、レベルの違う2つの症状を展開している。
 70年代のラカンが精神病論としてジョイスを扱うとき、いくつもの要素現象(=〈引用先〉)が可能となる「サントーム」、中心がないのに中心が無数にあるように見える「ボロメオの結び目」を提起したのは、まさに賢治のように、“病気でない人間”の話にならないからではないか。ラカンにおいては要素現象はシニフィアンのレベルで一元化されているが、それはやはり患者の治療のためと考えるのが妥当で、“病気でない人間”の「ふつうの精神病(psychose ordinaire)」(cf. http://t.co/3P5Qc8dp)を考えるうえでは、一人の人間における要素現象(〈存在しない引用元〉)の複数性を考える必要がある。このとき、精神病論において(あるいは、病跡学において)病気と人間は別のものとして切り離され、人間の精神の振れ幅をより深く理解する枠組みを示唆しはじめるのではないだろうか。
by warabannshi | 2012-07-31 19:29 | 論文・レジュメ | Comments(0)
「宮沢賢治の病跡学的研究―〈まことのことば〉をめぐって」(第2章)
 宮沢賢治の諸作品や書簡を、ヤスパース-ラカンの精神病論の「要素現象(phénomènes élémentaires, elementares Phänomen)」を手がかりにして読むことの続き。
 賢治はストリンドベリやシュレーバーほど、明確にパラノイアではない。“症状の形成過程”。核となる症状が一つ、確固としてあれば、病気としてきれいに検出することができるが、症状を生み出す「要素現象」が一つであるとは限らない。また、要素現象が症状になるまでのメカニズムは、単一であるとは思えない。ヤスパースは因果関係、ラカンはシニフィアンとして一元的に書いているけれど、それはヤスパースもラカンも精神科医で、患者を治すことが先決だったから。ヤスパースの場合は存在論的にある圧倒的な力が症状へと分化していくのを止めることによって。ラカンの場合は解釈者に転移を起こさせることで、症状を和らげる。
 ※ラカンの場合は、「分化した症状(=体系的妄想)」がまず先にあり、そのあとで要素現象の圧倒的な力が、理論的な要請物として、“再”発見される。結局のところ、力については、「なにかがあるのは(生き生きとした体系的妄想があるのは)わかっているけれど、どこから来たのかはわからない」まま。
 でも、賢治、そして私たちの多くは、むしろ複数の要素現象(とそこから生まれる体系的妄想)のあいだのダイナミクスを生きているのではないか。たまたま要素現象が一つに限定される(あるいはとりわけ鮮烈な一つがある)ことにより、“ハンドルの遊び”がなくなることで、症状となるのではないか。くり返すとおり、賢治が何らかの精神疾患を抱えていたと診断する病跡学の先行研究をふまえると、“異常な”賢治が創作活動をなしえたことよりも、むしろ“正常な”私たちが、“異常な”賢治の作品を理解し、共感できる、ということこそが、より一層、多くを考える材料になるように思う。

 私たちが賢治を理解・共感できるのはなぜか、という問いを考えるうえでの仮説が、「賢治の要素現象は彼においては「世界」と呼ばれ、それ症状の形成へと展開させるメカニズムが「まこと」「ほんたう」などの真実性であった」。事実、賢治が真実性を語るとき、そこには異様な美しさと緊張がある。
 前にも紹介した、「書簡154」http://t.co/kxbTs26tの、「夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり。善なり善にあらず人類最大の幸福、人類最大の不幸」で終わる混乱した独白。同時期に書かれた童話「貝の火」の火の魅惑。
 「貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流ながれたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して…」、この宝石のモチーフは生涯見られる。真実性の魅惑と緊張が凝縮されているのが、「書簡165」http://t.co/b5dg1zcHのこの部分。「私は殆んど狂人にもなりさうなこの発作を機械的にその本当の名称で呼び出し手を合せます。人間の世界の修羅の成仏。そして悦びにみちて頁を繰ります。本当にしっかりやませうよ」。
 この緊張は、「何かがあるのはわかっているけれど、それがどこから来たのかはわからない」というあり方で賢治の書簡でくり返される。また、賢治の作品の多くが、どこかから飛来してきたものとして扱われる(cf.「鹿踊りのはじまり」、「氷河鼠の毛皮」、『注文の多い料理店』「序文」)。
 「誕生がわからない」という緊張が症状として表れる場合、緊張を和らげるために媒介項(他の原理)を導入が行われる。例えば、解釈など。解釈者に転移を起こさせて、症状を緩和させることもある。しかし、賢治の場合はこの媒介項を拒絶する。当然だ。賢治は症状を形成している最中なのだから。賢治はあくまでも「それがどこから来たのか」の真正性を考え続けた。彼の作品にはこの問いが鮮明に表れる。要素現象(〈引用元〉)が「世界」なので、この問いを問うための回路としては、自然科学と法華経(宗教的価値)が選ばれることとなる。

 しかし、1922年12月、賢治のもとに新しい要素現象が到来する。最大の理解者であった妹トシの死である。「青森挽歌」(http://t.co/MEwOUgRq)の内容は題名の通り、死んだトシの哀悼である。注目すべきは、その最後の部分、二重括弧の中の言葉に地の文の言葉が反論している。心象スケッチ集『春と修羅』(http://t.co/IuMOo9HP)では括弧が頻繁に用いられているが、その多くが、挿入される語り手の所感(cf.「春光呪詛」)、風景描写の補足(cf.「丘の眩惑」)。異なる語りが相互に越境しあう関係になっているのはトシの死に関する作品のみ。とりわけ、「あたらしくぎくっとしなければならないほどの/あんまりひどいげんじつ」とされるトシの死をどのように受けとめるかが問われている「青森挽歌」では、それまでは留保されていた、〈そもそも存在しない引用元〉(つまり要素現象としての「世界」)への指示・参照の仕方こそが問題となる。

 愛する者の死における「まこと」とは何か。その最も確実な検証方法は、死んだトシ自身に尋ねることである。「かんがへださなければならないことは/どうしてもかんがへださなければならない/とし子はみんなが死ぬとなづける/そのやりかたを通って行き/それからさきどこへ行ったかわからない/それはおれたちの空間の方向ではかられない/感ぜられない方向を感じやうとするときは/たれだってみんなぐるぐるする」と書かれるとおり、作品の内容は死んだトシの痕跡を探り、死後のトシの姿やトシが今いる場所の情景を描く試みで構成されている。しかし作品の中ほど、賢治はトシから受け取ったという通信を信じきれていない(「私のうけとった通信は/母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ」)。また、この箇所の後の死んだトシの描写も、「わたくしのこんなさびしい考は/みんなよるのためにでるのだ」とされ、「まこと」とは承認されない。
 死後のトシについて思考を巡らそうとする努力とそれを虚しいものと見なしてしまう否定的思考が交互に現れるという形で、心象スケッチは書き続けられ、その最後に二重括弧内の対話が出てくるのである。この問答の内容に注目すると、ここでも「まこと」の様態が演じられていることがわかる。
 「《おいおい あの顔いろは少し青かつたよ》/だまつてゐろ/おれのいもうとの死顔が/まつ青だらうが黒からうが/きさまにどう斯う云はれるか」の箇所では、真実性が死んでいくトシの顔色や眼の色の描写というありふれた正確さとされることが強く否定されている。「《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けっしてひとりをいのってはいけない》/ああ わたくしはけっしてさうしませんでした」では、先述の“事実における対立”とは対照的に“価値においての一致”が表されている。賢治が傾倒した法華経は、まさにこの“一致点”の内実として採用されている。

 「青森挽歌」はこの“価値における一致”で終わる。だが、賢治の作品史をたどれば、最終的にこの“一致”もまた疑問視される。それが、「青森挽歌」の翌年、1924年の秋から冬にかけて初稿が書かれた「銀河鉄道の夜」の最終稿である。
by warabannshi | 2012-07-31 12:22 | 論文・レジュメ | Comments(1)
「宮沢賢治の病跡学的研究―〈まことのことば〉をめぐって」(第1章)
 宮沢賢治に対する病跡学的診断については、「躁うつ病」(福島章他)、「精神分裂病」(津本一郎他)、「てんかん性要因」(老松克博他)、「緊張病」(杉林)などがなされている。ここでは河合博らをはじめとする「分裂病」説を採り、ラカンの精神病(Paranoïa)論を参考にする。
 ラカンの精神病論がヤスパースの大きな影響を受けていることについてはこちら(http://t.co/xLbyn4tl)を参照。『精神病』のセミネールで、ラカンはヤスパースを批判しているが、彼自身が精神分析の診断において重要であるとして何度も言及する「基礎的現象」は、ヤスパース『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』他で「原発性体験」に由来している。原語のphénomène élémentaireとelementares Phänomenを比べると一目瞭然。(cf.松本卓也「「疎外と分離」からみた精神病」臨床精神病理、2012)
 ヤスパースは、精神病の診断には、了解不能な体験が生じているかどうかを重視。そしてこの体験が「(病的)過程(Prozess)」である場合には「要素現象(elementares Phänomen)」があると言う。なにがその要素的(elementar)なのかといえば、「幻覚(…が見える)」や「妄想(…と思う)」のようにはっきりした内容を持たず、無意味で無媒介な体験として与えられるもので、「根源的な力(Urgewalt)をもって精神へと侵入するもの」と言われている。付言すると、根源的というのは、“病気の”根源であって、“人間の”根源ではない。

要素現象の特徴:
1.先立つ心的体験から推論されえない(原発性)
2.患者にとって直接的に体験される(無媒介性)
3.意味の分からない体験としてあらわれる(無意味性)
4.圧倒的な力を帯びた異質な体験として現れる(圧倒性)
5.後の症状進展に対する基礎となる(基礎性)


 ラカンは体系的妄想が「要素現象(phénomène élémentaire)」という謎のシニフィアン(その明確な意味を知りえないが何かを指示していることはわかる「読めない外国語」のようなもの)が突然到来することによって発症することを強調する。(cf.「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的な問題」1957)突然到来した謎のシニフィアンは「一つの葉脈が植物全体へと発展=再生産されるような力」を孕み、そこから体系的妄想が生まれると考える。

 前に言及した〈引用元のない引用〉(http://t.co/42PlOvhr)の性質が、この要素現象、「読めない外国語」。何もないところから引用して、その引用先として世界を作る。…これはじつのところ、症状として形成されないだけで、私たちが普段に行っていることではないだろうか。

 賢治はこの〈引用〉というプロセスに初期から自覚的だった。賢治が、最初に採った表現形式は、短歌。もともと短歌は「歌枕」という語があるように、古歌という先行作品を踏まえて成立する表現形式だった。(この旧派桂園派の短歌に対して、革新運動を行ったのが、写実主義を標榜した正岡子規たち)
 賢治の賢治の短歌群は、盛岡中学の先輩・石川啄木の叙情性の高いのものとは異質の叙景歌ばかり。それではアララギ派に近いのかといえば、決定的に違う。アララギ派が風景の観察として短歌を読むのに対して、賢治は観察した風景に逆に見られる(吹き込まれる)という内容の歌ばかり詠む。例えば歌稿A〔明治45年4月〕(http://t.co/YDeF3KUI)にくり返し表れる、誰かに見られているという感覚(「ブリキ鑵がはらだたしげにわれをにらむつめたき冬の夕暮のこと」など)に、自己関連づけを伴う妄想を読み取ることができる。
 短歌制作期の賢治においては、了解不能なものは不安の源泉であり(「うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり」)、闖入するもの(「書簡157」http://t.co/6MllbTrD)であった。が、そのいくつかは次第に恩恵として、彼のなかで捉え直されていく。
 『注文の多い料理店』「序文」(http://t.co/b6rQQ365)では、「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということ」を「虹や月あかりからもらってきた」と言い、あまつさえそれを「すきとおったほんとうのたべもの」とさえ表現する。この揺れをどのように解釈すればよいのだろうか。

 しかし、この賢治の了解不可能なものに対する態度の変遷を、揺れ、と考えるのは、そもそも「内容が固定された、核となる症状がある」ということが前提とされているからだ。もちろん、症状があるということを前提にしないと治療者は何もできないのだが、自分の目的は賢治の治療ではないので、ここではむしろ賢治は「内容が固定された症状」を形成するその過程にあったと位置づける。それでは病跡学的手法はそもそも使えないのではないか? しかし症状の根源であるところの「要素現象」には、症状そのもののメカニズムが書き込まれているわけではない。症状の形成過程にこそ注目する。
 この症状を形成させるメカニズムこそが、賢治の場合は「まこと」「ほんたう」として語られる真実性。要素現象(〈引用〉)につけられる名前は、「世界」。…これは、シュレーバーに置き換えれば、要素現象としての「神」と、メカニズムとして「創造」になる(だからシュレーバーは女性化する)。
by warabannshi | 2012-07-31 02:25 | 論文・レジュメ | Comments(0)
「宮沢賢治の病跡学的研究―〈まことのことば〉をめぐって」(はじめに)
 宮沢賢治を病跡学的に研究しようとしたとき、賢治がどういう精神疾患にかかっていたのかを診断する、というアプローチは、福島章らをはじめとした先行研究がすでに多くある。そうなると、「宮沢賢治は精神病だった」というより、「賢治が精神病だとすれば、精神病とはいったい何か?」と問い直すことが、もっとも有益な研究方針だといえるだろう。先行研究が示す通り、宮沢賢治の“異常さ”は彼の創造性と強く関連している。しかし、「賢治は病気(躁うつ病、緊張病親和者、てんかん…)であったから、あのような素晴らしい作品ができた」という因果関係を指摘できないので、賢治作品を通じて“異常さ”の幅を広げることを本論の目的の一つとしたい。つまり、宮沢賢治が何らかの精神疾患を抱えていて、その“異常さ”を原因の一つとして諸作品を作ったのだとしたら、なぜ(ひとまず“正常”であるところの)私たちは、その作品で示される価値や感情に対する共感が可能なのか、という問いが、この研究方針には伏流している。


 宮沢賢治の作品にみられる“異常さ”に、なぜ“正常な”私たちは共感したり、あるいは熱情を焚きつけられたりするのか。賢治研究本は、ものすごい量が刊行されている。また彼の作品は戦時下において戦意高揚に用いられてもいる(cf.吉田司『宮沢賢治殺人事件』他)。
 賢治の作品の何が、私たちを高揚させうるのか。その思想だろうか? 例えば、宮沢賢治「農民芸術概論綱要」(1926)http://t.co/0kBZWqQwの、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という断言だろうか? それとも、「雨ニモマケズ」(1933)の祈念だろうか?
 千葉一幹『賢治を探せ』(2003)http://t.co/cg61bGmCは、賢治を思想家としてではなく、創作者として扱うべきという「仁義ある賢治論」を唱える。なぜなら先の「要綱」をはじめ、賢治の思想的宣言はほぼ国柱会の創始者・田中智学と作家・室伏高信に依っているからだ。例えば、田中智学『世界統一の天業』(1904)の「世界に平和の常なければ、一身の安寧幸福は根底より成り立たない。姑息の幸福は一種の禍である。禍の上に立って、その禍を自覚しないのは、眞に危険の大なるものである」という一節に、賢治の「綱要」の断言のルーツを見ることは難しくない。大澤信亮『神的批評』(2010) http://t.co/LtIJ5abgの評論「宮澤賢治の暴力」は、戦闘的な日蓮主義者である田中智学によって引き出された賢治の暴力性が、なぜ菜食主義や「よだかの星」のような絶対的非暴力に至ったのかを考察。賢治のもたらす〈高揚〉の一つの答えがある。
 齋藤孝『宮沢賢治という身体―生のスタイル論へ』 (1997)http://t.co/p1yLWwdaは、「世界に深く触れる想像力」を支える諸身体技法の鍛錬者として賢治を捉え、その作品を読む。“思想家”ではなく“創作者”として限定した読み。こちらの方向で〈高揚〉を探るとどうなるか? 例えば、先の賢治の宣言、「世界がぜんたい幸福にならないうちは…」を“作品”として読むとき、その「世界」とはいったい何なのか? 賢治は「みんな」という語もよく道徳的宣言において用いる(「ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」等)。それは、何か?

 賢治にとって「世界」や「みんな」とは何なのか、と問うより、そう言うときに、賢治は何を行っているのか? と問う方が、より具体的に、彼の思考のメカニズムに迫ることになる。「世界」「みんな」と言うとき、賢治は、そして、その語を理解したり共感したりする私たちは、いったい何をしているのか? 判断の留保だ。「かっこに入れる(einklammern)」こと。フッサールの言うところの「エポケー」(http://t.co/NFDY3h2q)と言ってもいい。それでは、なぜ「かっこに入れる(einklammern)」ことは判断を留保することなのか。引用だからだ。かっこに入った言葉(「世界」や「みんな」)は“誰かがそう言っているところのそれ”であり、“それ”を賢治や私たちは引用して=判断を留保して、使っている。多くの場合、自分が引用していることは忘れてられているが。
 それでは、引用元はどこなのか。「世界」や「みんな」についての引用元、そんなものはあるのだろうか。もちろん、ない。だが、引用元がないにもかかわらず、私たちは引用元を“作ろうとする”。賢治の場合、その“作られた引用元”は、法華経であり、自然科学だった。
 私たちは世界から何かを引用しているのではなく、何もないところから引用して、その引用先として世界を作る。…この順番は逆ではない。先の齋藤の言う「世界にふれる想像力」とは、“引用元としての世界”を作る想像力だ。そして、賢治は、この“引用元”が「まこと」であることに、異常にこだわるのである。


* * *

 賢治を“思想家”ではなく“創作者”として捉えるとき、彼がどのように「世界」の有りようにこだわり続けたかが焦点となる。そのキーワードとなるのが、「まことの」、「ほんたうの」という真正性に関する語彙であった。
 賢治作品のなかで、「まことの」、「ほんたうの」という真正性に関る語彙が表れるとき、そこには極めて高揚した気分と魅惑されている調子がある。その気分と調子は、「ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」(「銀河鉄道の夜」)のような自己犠牲だけではなく、いわゆる道徳性とまったく切り離されても、やはり真実性は魅惑の対象となる。前にも紹介した、保阪嘉内あての「書簡154」http://t.co/kxbTs26tの最後では、「夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり」と断じる。また、「復活の前」(1918)http://t.co/VPlGudMuの、異様な混乱のあとの、「私は馬鹿です、だからいつでも自分のしてゐるのが一番正しく真実だと思ってゐます、真理だなんとよそよそしくも考へたものです」という独白。賢治を駆り立てつづけたのは、この真正性であった。その表れがもっとも端的なのは、後に詳細に検討する、賢治の改稿癖である。生前、刊行されたのは『春と修羅』、『注文の多い料理店』の2冊のみ。「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」、「銀河鉄道の夜」など、現在広く読まれている賢治の童話作品は、すべて推敲途中のものなのだということを、強調したい。

 それでは、賢治は、何の真正性をこそ希求したのか? ここで話は、先ほどの〈私たちは世界から何かを引用しているのではなく、何もないところから引用して、その引用先として世界を作る〉に戻る。賢治は、この〈引用元としての世界〉に、真正の回路でアクセスすることを求める。
 言い換えれば、〈世界〉は引用によってしか表れないが、その引用の仕方に賢治は疑問符をつける。その引用の仕方が、デフォルトの回路(例えば、自然科学や法華経)のコピーでよいのか? と自問する。例えば、童話「銀河鉄道の夜」第四稿の冒頭で、天の川とは何かと先生に聞かれて絶句するジョバンニを思い出すと良い。望遠鏡で天の川を見ると何に見えるか、という先生の問いに、「やっぱり星だとジョバンニは思ひましたがこんどもすぐに答えへることができませんでした」というくだりには、自然科学という〈世界〉へのアクセス方法を無謬の(まことの)ものとして採用することへの疑念が表れている。

 もちろん賢治は“デフォルトの回路”のすべてを否定しているわけではない。例えば、「やまなし」(1923)http://t.co/4QQrxFOcは、「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈」という形をとることで、回路の真正性への疑念に対して中立的。あと、「グスコーブドリの伝記」http://t.co/DJW7WeUwは、“デフォルトの回路”としての価値をほぼ疑いなく採用している。(ただし、同作の最終稿では、ブドリの自己犠牲的な行動への価値評価に関する記述は削除され、空の色や方策になったことなど事実の記述に留められている)
 「学者アラムハラドの見た着物」http://t.co/q3FSfKnAで、アラムハラドが彼の塾の学童たちに人間の本質を問うとき、その本質は二足歩行や言葉を話すである、といった通俗自然科学の答えを認めない。ここでは、自然科学という〈世界〉へのアクセス方法を真実とすることの否定がアラムハラドを通して語られている。そして、饑饉がやむなら足を切っても惜しくないという大臣の子の宣言にアラムハラドは涙し、正義を愛することこそが、人間の本質であると説く。
 しかし、そんな老師に対して、塾内で最も年少のセララバアドは、「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います」と答える。セララバアドのこの答に対して、しばし瞑目したアラムハラドは、「うん。そうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ」と答え、「決して今の二つを忘れてはいけない。それはおまえたちをまもる。それはいつもおまえたちを教える。決して忘れてはいけない」と念を押す。「二つ」と述べられていることからもわかるとおり、アラムハラド=賢治は正義という価値による〈世界〉へのアクセスを、自然科学と同じように否定はしていない。

 いずれにせよ重要なのは、〈世界〉へのデフォルトのアクセス方法を採ることの是非について問い続けることをこそ「決して忘れてはいけない」としたアラムハラド=賢治の作品を内在的に読むうえでは、読み手が賢治の〈世界〉に対するアクセス方法を真似することもまた、否定されるということであり、さらに言えば、病跡学が“病気”を実体的なものとして〈世界〉へのアクセス方法にするならば、それもまた否定されるということだ。賢治を内在的に読むとすれば、“病気”を固定して検出すのではなく、ひとつの分類法として、それをヒントとして、人間の精神のバラエティの幅を測定する立場とならざるをえないのである。
by warabannshi | 2012-07-30 20:56 | 論文・レジュメ | Comments(0)
第590夜「奥歯」
 左下の奥歯が抜けてしまったので、布にくるみ、接いでもらおうと石畳の坂道を走って下りていると、ちょっとしたでっぱりにつまづき、奥歯を落としてしまう。坂道を転がっていく奥歯は、まるでそのように前々から工夫されていたかのように二トントラックのタイヤの下に潜りこむ。トラックはちょっとだけ傾き、何事もなかったかのように石畳の坂道を下っていく。
 私が駆け寄ってみると、私の奥歯は砕けずにあった。しかし、その大きさは握りこぶしほどになっており、いくつかの黒い軽石がエナメル質にめり込んでいた。
 奥歯はいつ、これほどまでに大きくなったのだろう。私は途方に暮れる。私がつまづいて、これを落とした時、そういえば遠近法を無視して、だんだん小さくなってくのが然るべきところを、一定の大きさの白い塊として、視界に在ったように思える。しかし、そう見えたのは単に主観的な、私の注視のせいかもしれず、こうやって壊れた白木細工のようになった奥歯が、たぶんもう二度と口腔内におさまりそうもないという理不尽な出来事を前にしては、何の説得力ももたない。
by warabannshi | 2012-07-15 06:11 | 夢日記 | Comments(0)
第589夜「トマト」
 一人のネグリジェ姿の狂女の腕に抱かれているのは、人の皮をかぶった熟れていないトマトである。
by warabannshi | 2012-07-15 05:56 | 夢日記 | Comments(0)
第588夜「バロック」
 福井県出身の老夫婦に都下を案内している。老夫婦、とりわけ夫のほうは、生半可なことでは感動しないと心に決めているようであり、彼の頭のなかではすでに見物し終えている東京の思い出をいかにくつがえすかが、おそらくは私の手腕に期待されていることなのだろうと二人の前を歩きながら思う。私にこのガイドを頼んだのが誰なのかは知らない。
 渋谷の東急文化村から神泉駅に向かうだらだらとした上り坂を、私が一方的にガレットの話をしながらのぼっていく。空気は乾燥していて、照り返しがきつい。ガレットとクレープの違いについておざなりな質問をされたので、粉が違うんですと説明しかけたところで、坂の上を見ていた老夫婦のそれぞれの両目は大きく見開かれる。
 この頂上にはコナミのスポーツセンターとセントラル病院と高速道路しかないはず、と振り向くと、まるで巨大なデコレーション・ケーキのような石造りの建築物がある。逆光のせいでよくわからないが、輪郭はほぼ立方体で、バロックの渦を巻いた文様がびっしりと彫り込まれた石版が大きく3枚、等間隔でななめに立ててあるあいだに人の出入りするスペースがある。もし私が魚類であれば、鰓にフジツボがびっしり張りついたような忌避感にとらわれるであろう、異様なほど幾何学的なものである。
「さすがにこれほどのものは、福井にはないな…」
 老夫婦の夫が酸欠状態になったように、口を開けて言う。
「暑いですし、そろそろ休憩しましょう。紅茶はいかがですか?」
 私はそれ以外に何も言えない。
by warabannshi | 2012-07-14 21:57 | 夢日記 | Comments(0)
第587夜「人喰い」
 巨大なカエルのような生き物になって、人間の子供を丸呑みしようとしている。六歳ほどの少年は、私の未発達な両手によって、口腔へと、そして食道へと、逆立ちの恰好で押し込まれていく。少年の断末魔の叫び声がくぐもって聞こえる。いや、叫び声なのか、すでに呑んでしまっている三人の子供を消化する蠕動運動の音なのか、よくわからない。私の顔は、私の意図とは関係なしに、ひどく満足げである。私の胃袋は、私の意図を反映してくれているかのように、やや痛む。
by warabannshi | 2012-07-10 03:24 | 夢日記 | Comments(0)
第586夜「人類学:卵の黄身のような」
 固まった卵の黄身のような夢。とろとろした生茹での白身のなかで栄養たっぷりの赤みをおびた黄色い球体がごろりと転がっているような夢のなかで、私は人類学の講義の準備をしている。Japanese、Chinese、Javaneseにつく「-nese」という接尾語に差別的なニュアンスは含まれているかいないか、という内容の回で、音声つきの教科書の下読みをしている。京都からSさんが聴講しにくるようだが、そこまで気の効いた内容にはなりそうにない。京都から東京までの交通費を調べながら、途方に暮れる。
by warabannshi | 2012-07-09 00:36 | 夢日記 | Comments(0)
わらしべvol.2 「夢の記録のための素材集」
 ほんとうの道は、一本の綱の上を通っているのだが、綱が張られているのは高いところではなく、地面すれすれである。それは歩かせるためというよりは、むしろつまずかせるためのもののように見える。
フランツ・カフカ「自選アフォリズム」より

 ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
フランツ・カフカ『変身』より

 Kは聞き耳を立てていた。城は彼を測量士に任じたわけだ。それはKにとって、一方では不都合はことだった。というのは、城では彼についてすべてを承知していることを示しているからだ。力関係をはかった上で、戦いをこころよく受け入れた。だが他方では好都合でもあった。というのはKの考え方によれば、それはKを過小評価していることを意味しており、そもそものはじめからずっと自由だというものだ。さもおうように測量士として認め、それでもって、これからもおとなしくさせていられると思ったら、大まちがいだ。
フランツ・カフカ『城』より





―夢を記録することとは、夢を資源化すること、夢を再び使うことができるようにすることに他ならない。カフカの作品において、夢の使用は二つの側面から扱われる。『変身』において は、再発見の結果としての夢の使用の仕方が。『城』においては、資源化をいつもはぐらかされる夢の使用不可能性が。『変身』と、『城』は、どちらが恐ろしいだろうか。ザムザを毒虫に変える力はまったく不意に働き、彼はそれに抗うことはできない。一方、Kは召喚されている城に永久にたどり着けない。資源化した夢が予期せぬ力をもつことが恐ろしいのか、資源化が決して、あるいは永久に十全に起こらないことが恐ろしいのか。





わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日  宮澤賢治4
宮沢賢治『春と修羅』「序」





―夢を記録することは夢という現象を裏切ることである。記録の精確さは求めようもない。にもかかわらず、記録を行うのはなぜか。直近の動機は、そのまま消え去るままにまかせては申し訳が立たないという夢に対する感情にある。なぜ申し訳が立たないのか。理由は一つ、「それがまだ存在している」からだ。夢の記録は、表象されたものに対応する対象を現実の知覚のなかに発見することではなく、夢を「再発見すること」、夢が「まだ存在していることを確認すること」のためになされる。

―では、夢の実在性とは何か。夢のなかで、何かが存在しているとはどういうことか。とりわけ、私の身体が存在しているとは、どういうことなのか。夢における私の身体は不安定だ。しかし、そもそも私たちの身体はそれほど安定しているだろうか





 黄色い大きな月が向こうに懸かっている。色ばかりで光りがない。夜かと思うとそうでもないらしい。後ろの空には蒼白い光が流れている。日がくれたのか、夜が明けるのか解らない。黄色い月の面を蜻蛉が一匹浮くように飛んだ。黒い影が月の面から消えたら、蜻蛉はどこへ行ったのか見えなくなってしまった。私は見果てもない広い原の真中に立っている。軀がびっしょりぬれて、尻尾の先からぽたぽたと雫が垂れている。件の話は子供の折に聞いたことがあるけれども、自分がその件になろうとは思いもよらなかった。からだが牛で顔だけ人間のあさましい化物に生まれて、こんな所にぼんやり立っている。何の影もない広野の中で、どうしていいか解らない。何故こんなところに置かれたのだか、私を生んだ牛はどこへ行ったのだか、そんな事はまるでわからない。
内田百閒「件」より





―一方に水の入ったグラスがある。もう一方に赤ワインの入ったグラスがある。グラスが異なる限り、両者は交わることがない。これは位置を基準に両者が分かれているからだ。…では、現実と夢は? 両者はどのように分かたれているのか。それぞれを満たしたグラスはつながっているかもしれないではないか。
無数の夢に対して相対的に安定している私の身体のある場所を現実と呼ぶ。夢と現実は、二つのグラスは、どのようにしてかわからないが、つながっている。水の中に赤ワインが、赤ワインの中に水があるようにそれぞれは存在している。水の中に水が、赤ワインの中に赤ワインがあるように存在している。






ズジスワフ・ベクシンスキ「(無題)」





―記録するただなかで記録者に逆らうもの、抵抗するもの、異物をも、記録者は記録しなければならない。異物と対峙することは、異物と同化すること、パラレルであることを意味しない。まさに異物が、自分ではないからこそ成立するコミュニケーションがある。戦士のコミュニケーションは敵対のなかで、拮抗のなかで成立する。純粋に機能として敵対することが夢におけるコミュニケーションの基礎にある。





 デイヴィッド・リンチは複数の映画にまたがって同じアングルを撮ってもいる。一つはL字の室内空間の、Lが反転したГのタテ棒部分が通路でその奥、それもたしか毎回右に折れたところにベットルームがある、そこを通路からベットルームの入口だけが見えるようになっているアングル。[…]もっと顕著なのは、天井と壁の交点あたりから室内を漠然と全景でとらえるアングル。『マルホランド』の件の小人もこのアングルで映されるし、『インランド』の兎人間もこのアングルで映される。実際には天井の高さでは室内の全景を映すのは不可能で、セットとしては天井がなく、天井よりだいぶ高い位置からクレーンを固定させて撮っているのかもしれないが、イメージとしては天井まで浮遊した視線によって室内を漠然と見ているように見える。[…]それらのアングルを私は一人で勝手に「リンチ・アングル」とか「リンチ・ショット」とか名づけて、そのアングルが出てくるだけで喜んでいるのだが、これも映画のストーリーや意味から要請されたアングルというわけではないだろう。つまり異物だ。アングルやライティングやカットつなぎは、現在進行しているフィクションとしての映画の意味を伝える技術として本来はあるが、リンチの場合はそのアングルで撮ることが、異物としてストーリーや意味より先にある。
保坂和志「遠い触覚 『インランド・エンパイアの方へ』」より

 夢の中で、全くの異物があなたが用いた方程式とは別の仕方で自分を構成してみせるとき、この否定の暴力は逆に親近性を証明し、夢のなかの異物によってあらかじめ見られていたかもしれないという、羞恥と快感が、あなたの体を強く揺さぶる。自分の夢のなかで傷つき、死ぬかもしれないという恐怖が、その時、夢を現実に修復するのだ。そして一瞬のちにはテクノロジーがやってきて、それをまた夢に戻していく。
樫村晴香「所有する君を所有する、頭の後ろの自動人形の死について」より
by warabannshi | 2012-07-07 16:43 | 論文・レジュメ | Comments(0)



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