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超訳「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」(通称「ローマ講演」)【序】
 ジャック・ラカン『エクリ』所収の、「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」(通称「ローマ講演」)【序】の“超訳”です。公刊されている邦訳は、そのままだと意味がわからない箇所が多いので、何かしらの参考になればと思い(なるのだろうか?)、掲載しました。

 邦訳はこちら。

エクリ 1

ジャック・ラカン / 弘文堂



 英語がわかる方は、ブルース・フィンクの英訳がお勧めです。

Ecrits: The First Complete Edition in English

Jacques Lacan / W W Norton & Co Inc



 冒頭の半角数字は、原著のページ数ではなく、段落に相当しています。注釈は※印で示します。

 


--超訳「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」 【序】--

001.ある精神分析研究所(ラカンの反対側の陣営)が1952年に引用した銘句には、引っかかる点がある。「我々にかかわる事柄については“人間の”という形容辞を付け加える」という部分。「神経生物学」なのに? なぜ人間を別のカテゴリーに入れるのか?

002.これから行う講演(1953年9月26および27日にローマ大学心理学研究所で行われたラカンによる学会報告)は、まずこの講演をとりまく諸々の情勢から始まる。なぜか。この講演は、それらの情勢の痕跡をとどめているからだ。
※1953年1月、ラカンはパリ精神分析協会の会長に選出されるも、内紛により不信任案を出され、6月に辞任。その後、分派のフランス精神分析協会に加入している。ちなみに、サンタンヌ病院でセミネールが開始されたのも、同年。さらに言うと、バタイユの奥さんだったシルヴィアと結婚したのもこの年

003.この講演の主題は、例年の集会での慣例の理論的報告を行うために、私に提案されたものだ。この集会は、「フランス語圏精神分析家会議」という名のもとに由緒あるものとなっていた伝統を継続していた。この会議は、1953年9月にローマで開かれるはずであった。ところが。

004.この集会の準備期間中に、いくつかの重大な意見の相違がフランスの精神分析医のグループに分裂を引き起こした。その分裂は“ある精神分析研究所”設立の際に明らかになった。そして、001の引用をした一派が、彼らとは別な考え方を導入しようとする者(つまり私だ)の発言を妨害してきたのだ

005.しかし、私は妨害に対して、身を引くべきだとは思わなかった。新しいフランス精神分析協会を創設していた私たちにとっては、私たちの教育方針(つまり短時間セッションあり、教育分析の工学的なモデル化なし)に賛同している学生たちに、これからやることの青写真を見せようと思ったからだ。

006.イタリアの精神分析医のグループからは、共感と援助をしてもらった。私たちは、〈世界都市〉のはた迷惑なお客、という扱いも受けなかった。

007.パロール(=話し言葉)について語るという任務は、私にとっては大役である。

008.私が思い出したのは、バチカンの丘(Mons Vaticanus)の語源が「(赤ん坊が)泣く」(vagire)ということだった。この語は、話し言葉の最初のたどたどしさを表している。

009.私の講演は赤ん坊の泣き声以上のものではないかもしれない。が、少なくともこの講演は、精神分析がランガージュのうちに得ている諸々の基礎を刷新する前兆(産声)を聴かせることになるだろう。

010.この講演は、伝統的なスタイル、つまり、過去の研究を寄せ集めてつぎはぎすることで「報告」する、というやり方と縁を切らないわけにはいかない(なんといっても“刷新”するのだから)。そのため、講演は、皆が受け入れている精神分析の基礎を問いに付す、というスタイルをとる。

011.この講演の聴衆が学生であるため、私は学生に向けて話す。つまり、些事によって厳格さをまね、規則と確定性を混同してしまう占い師たちの間で守られているようなさまざまな規則を、放棄する。
※ラカンが辞任したパリ精神分析協会は、序列や形式を重んじる体制派を中心に組織されていた。

012.権威主義的なパリ精神分析協会では、分析家の養成において主体の自律に関してあまりに不当な無視が行われている。

013.そのせいで、分析家の人員が減少した。自分で自分の首をしめているようなものだ。
※ここでラカンが疑問を呈しているのは、分析家の技(art)が、工学系の技術者を育てるようなやり方で養成することができるのか、ということ。それは無理だろう、というのがラカンの立場。例えば、禅僧が修業をするとき、「5年コース」、「150単位取得で悟り」みたいなやり方はおかしい。

014.確かに、フロイトも自らの精神分析の学説を伝えるときは、きわめて組織化された諸形式をとっていた。

015.しかし、いま、リスクに罰を与えることでイニシアティヴを失わせ、衒学的な見解で学生の真剣さを目的にたどり着く前に鈍らせしまう、がっかりするような形式主義に陥っていないか。

016.精神分析の観念は非常に複雑であり、ある判断を公開することで、その能力をさらけだしてしまう危険は、他のどんな分野よりも高い。
※例えば、知ったかぶりして「夢は抑圧された無意識の表れだよ」と言っても、「じゃあ無意識って何?」、「それを無意識と名指せるのはなぜ?」と質問されれば、それが知ったかぶりであることはすぐにばれる。

017.しかし、この精神分析に関する観念の複雑さは、ある主張が根ざすところの原理をほりさげていくことになるだろう。

018.実際、私たちに課される(原理に関する)選択は、新会員の選抜云々などではなく、具体的な研究と、口頭試問のやりとりの吟味を経ることになるだろう。

019.そもそも、精神分析の明確な原理(「経験の共有の原理」)を維持するためにある国際精神分析学会の場で、「意見の違いからパリ精神分析学会から分離するのは、許されないことだ」と言われるのは驚きだ。私たちは、分離するなんて思っていない(私たちが正統なのだから)。

020.「ラカンの場合を除き、学問的な論争による以外いかなる決裂も認めない」という意見は何を言っているのかわからない。「皆がそれぞれの経験に根拠を与えるそれぞれの原理に向かい合えば、私たちのあいだの壁は崩れる」という洞察は鋭い。壁は崩れるだろう、バベルの塔ように!
※つまり、混乱しか生まない、というラカンの皮肉。

021.私たちは、私たちが精神分析に対して行う革新を誇ろうとはしない。
※ローマ講演が行われた1953年から、ラカンは毎週水曜日、サンタンヌ病院でその後20年以上の長きにわたって行われることとなるゼミナールを開始している。本講演で言われる「革新」は、ラカン派の旗揚げの意味もある。

022.その革新は、フロイトが鍛え上げてきた精神分析の理論的概念の用い方の伝統(国際学会が是とするような)を断ち切ることになる。フロイトのその理論的概念はいまだに十分に検討されていないので、誤解されている。伝統から離れることは時期尚早と思われるかもしれない。

023.しかし私は、フロイトの諸概念と、人類学や、最近の哲学の諸問題とを突き合わせて、その諸概念をより明瞭なものとするしかないように思う。そして、もともと精神分析の問題であった事柄を人類学や哲学から取り戻す。
※「人類学」といえばレヴィ・ストロースだが、1953年当時にはまだ『野生の思考』(1962)は未公刊。「最近の哲学」としてラカンが意識していると思われるのは、ハイデッガー。当時、ハイデッガーがどのような仕事をしていたかは年表(http://t.co/7aNkKx5q年表)を参照。

024.現状、フロイトの諸概念は(国際精神分析学会の行っているような)因習的な状況のなかで活力を失っている。フロイトの諸概念をわかりきったものとして使ってはならない。それらがどのような歴史と主観的基礎をもつかを検討することで、諸概念の意味を際立たせること。これが喫緊の課題である。
※概念が「主観的基礎(fondements subjectifs)」を持つ、という視角はラカンにおいて重要。ただし「主観」といっても、個人の恣意性のことではない。例えば「抑圧」という概念は中立的なものではなく、被制性を帯びており、ある方向性をもつが、それを再び見出すのは概念自身である。
※ここでラカンが言うところの「主観」は、アブダクションの意味に近い(はず)。「論理的時間」(1945)でも語られたように、急き立てのなかで生まれた概念(そして、すべての概念は急き立てがなければ生まれえない)は、アブダクションの構造をとる。アブダクション(abduction)とは「ある個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する推論」。例えば、三段論法の方法で説明すると、「ポチは走り回る。犬は走り回る。ポチは犬だ」に相当。わかるとおり、アブダクションは形式的には誤謬(じつはポチは人間かもしれない)。

025.教育者(enseigneur)の役割は、「諸概念がどのような歴史と主観的基礎をもつかを検討し、諸概念の意味を際立たせること」にあり、他のすべてのことはそこにかかっている。分析の経験の値打ちは、まさにこの役割の内にもっともよく書き込まれている。

026.「フロイトの諸概念がどのような歴史と主観的基礎をもつかの検討」という役割をおろそかにすれば、(概念の)意味は、固定された意味からしか自らの諸効果を引き出せなくなることで薄れてしまい、技法の規則はレシピ(工学的なマニュアル)へとなりさがり、現実性をもたなくなるだろう。

027.それなのに、いまや分析家は自分の領域についの考え方とやっている行為を、実践において一致させようとは考えもしない。(自分のやっていること、用いる概念の歴史と主観的基礎をまともに検討しようとしない)

028.エピグラフはその気の利いた一例である。“人間的な神経生物学”なんて「科学のお墨付きをもらえば誰が教えても同じ」と言わんばかり。フィールドで何をやっているのか。(そもそも神経生物学はウナギと猿と人間の区別をなくすためのものなのに、「人間のという形容辞を付け加える」とは謎)

029.国際精神分析学会は分析家の養成について、「科学のお墨付きさえもらえば、そのプログラムを誰が教えようと関係ない」という考え方を持っている。これは、運転免許証を発行するだけの自動車教習所が、あるべき自動車の組み立て方(あるべき人間)を指導できると考えているのと同じようなもの。

030.その一方で、フランスの精神分析学会の場合だって、入門者かつぎ(寮などで新入生相手に行われる悪ふざけ)こそしないものの、中身がないのにもったいぶっている。

031.こんな状況でろくに教育も受けられないまま実際の治療をさせるのは消毒もせずに外科手術をさせてるようなものだし、学生・研修生は本当に気の毒だ。(8年間は教育分析をやるべき、というのがラカンの立場。しかしそれだと分析家の数を増やすのに時間がかかりすぎるために国際学会は難渋)

032.ただし、教育におけるある種の圧力を被ってきた学生たちへの先生の気遣いは、それだけだと(気遣いという感情のままに突っ走ると)、学生たちを愚かさのままに留めてしまうだろう。

033.そうかといって、現行の紋切型の制度は、学生たちをいっそう深刻な試験の下におくだけだろう。

034.主観のカモフラージュから目覚めさせる(démystification)方法である精神分析は、その原理を、それ自身に(精神分析家たちのギルドに)当てはめるべきだ。分析家たちは、患者の傍らでの役割、同僚との関係、教育的使命とを通じて、みずからを作り上げる。

035.自分の原理(「主観のカモフラージュから目覚めさせる(démystification)」という精神分析の原理)を自分自身にあてはめるにあたり、フロイトに向けて窓を開くことは、この行為の不透明さのなかで迷子になるのでは、という不安を軽減させるだろう。

036.ともあれ、いままで私が今回の講演がいかに周囲の慌ただしさを受け入れなければならなかったかについて述べてきたのは、そのせいで講演が不十分になることを弁明するためではない。むしろ、この慌ただしさこそが、講演に意味をもたせてくれたのだ。

037.模範的なソフィスムの、論理的即断(précipitation)における慌ただしさの機能を、私は論文「論理的時間」(1945年)に書いておいた。つまり、急き立てが意味を生じさせる(※)。これこそ、「真理(verite)」が見出す、己の超えがたい条件なのだ。
※ラカンは論文「論理的時間と予期される確実性の断言」で、「3人の囚人」(http://t.co/aBY7KVh7)問題が解けるのは、「急き立て」があったからだとしている。無時間的には、「あいつはアホだから動かないのかもしれない」という可能性の前で結論が出せなくなる。時間のなかの「急き立て」によって「真理(vérité)」は現れる。そして、精神分析はそこに関わる。工学的=サイバネティックな「正確性」 ではなく。

038.すべての創造されたもので、緊急性のなかで表れなかったものはない。また、緊急時にパロールにあるものは、表そうとした以上の意味を表してしまう。(ゆえに、すべてのパロール=話し言葉は、自分自身が表そうとしたものを超え出る。余剰が生まれる)

039.人間に対して時機(moment)が来る緊急性においては、偶然(contingent)にならないものはない。このとき、人間はただ一つの理由において、自らの選ぶ部分と自らが捨てる部分と同一視する。この理由は、自らの確信(真理(verite)?)によって先取りされている。

--超訳「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」 【序】 終わり--
by warabannshi | 2012-09-24 00:27 | メモ | Comments(0)



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