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第633夜「九品仏」
 家がいつの間に小洒落た平屋のビストロに改装されている。「九品仏」という店名らしい。料理九品のフルコースが看板のようである。テラス席が妙に広くて、黒い材木がしとしとと濡れている。店の中は森閑としていて、客は入っていない。奥の方から黒いローブを羽織った、足の短い若い女性が出て来る。私は先方を知らないが、先方は私を知っているらしく、「ランチのときは人手が足りなくて…」とぼやきながら、テーブルクロスを設えた席に案内してくれ、ビーフストロガノフを出してくれる。
 スプーンでストロガノフを掬って食べながら、店のどこかから頻りにふいごか何かを動かしている様な物音が聞こえてることに気づく。
「レトロな造りですが、暖房の音ですか?」
 空になった膳を下げながら、厨房の奥で何かを下ごしらえしている女性に聞く。
「なにを言っているの。お祖母さんの人工呼吸器でしょう」
 私は驚いて、近くの引き戸を開ける。名前の知らない巨大な老人が透明な酸素マスクをつけて寝床からこちらを見ている。老人は苦しそうな龍った声で二、三語を発するが、ごうごうと大袈裟な音がする人工呼吸器で掻き消されてしまう。ふと、私は先ほどの女性と婚姻関係にあることを思い出す。
by warabannshi | 2013-11-12 02:43 | 夢日記 | Comments(0)
講義資料「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」 vol.3
《Cパート》
● なぜ私たちは「かけがえのないもの」を食べられないのか? ―「食べてしまいたいほど、好き」
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 私たちが、食べるもののルーツに非常にこだわる例をもう一つあげたいと思います。『サザエさん』の4コマのなかに、飼っていたニワトリをしめて作った鳥鍋を、磯野家の面々がお通夜のように囲む 、というエピソードがあります。昭和30(1950)年代、ニワトリはペットとして愛玩するものではなく、食用、卵用であったはずなのに、です。
 私たちは、そのものの固有性をはっきりと認識しているものを食べるときに、得も言われぬ抵抗を感じます。私はいまはペットを飼っていませんが、小学生のときにはミシシッピアカミミガメを2匹飼っていました。可愛がっている、というよりは、縁日で手に入れたそれを惰性で世話している、という感じでした。ずいぶん大きくなって、「地震が来たときの非常食だね」と親戚に笑われていたのですが、そう言われるたびに、私はこのカメを食べることができるだろうか、普段から世話をしている“まさにそのカメ”の肉を口にしたときにどんな抵抗があるかだろうかと、いろいろ想像しました。
 私たちが固有性を強く認めるものを食べるのに抵抗を感じるのは、別に対象が生き物であるときに限られません。生き物でなくても、固有性が強いと食べにくくなります。子供の頃、来場記念でもらったキャンディーを、何となく食べるきっかけを見いだせないままべとべとにしてしまった、などの思い出がある人は少なくないのではないでしょうか。

 しかし、とはいえ、この抵抗は、食べるものの固有性が、親密さやあるいは愛情の根拠となったときに最大となります。絵本『あらしのよるに』では、ある嵐の夜、ヤギとオオカミが同じ山小屋に避難して、お互いが互いを同類と思い込んで夜通し語りあい、意気投合します。翌日、2匹は、「あらしのよるに」を合言葉にして、小屋の前で再会することを約束します。オオカミはヤギを食べるのか? その結果はわからないまま、絵本は終わります(映画版はその後の物語も描かれています)
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 これと同じことを考えるうえで、テレビ番組「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」で放送された、苺に語りかけられた男の兄弟の話と、ケーキに話しかけられた女の子の対比は示唆的です。留守番をまかされた兄弟は、テーブルの上にあった苺から話しかけられます。そして苺と仲良くなった兄弟は、好物であるところのその苺を食べることができませんでした。一方、同じシチュエーションでケーキに話しかけられた女の子は、仲良くなったそのケーキをぺろりと食べてしまいました。そして、彼女は空っぽのお皿に「またお母さんに買ってきてもらってね」と呟いていました。
 この例から考える限り、私たちが食べるうえで抵抗感を覚える対象が持つ性質とは、私たちが対象に抱く親密さよりも、その対象が固有であること、かけがえのないものであることのようです。なぜか。理由の一つは、食べることのかけがえのないものの喪失と結びつくからです。そして、もう一つは、あまりにも固有性の強いものを食べると、食べた者の固有性が侵食されるからです。
 対象を食べることによって私たち自身の固有性が侵食されうるからこそ、「食べてしまいたいほど好き」という奇妙で苛烈な感情も生まれえます。
 森見登美彦『有頂天家族』では、毎年、大晦日に狸鍋を囲むという伝統を持つ「金曜倶楽部」のメンバーの1人で妖艶な美女・弁天と、下鴨神社・糺の森に暮らす狸の1匹(1人)である下鴨矢三郎との、次のようなやり取りは示唆的です。天狗に一目惚れされて連れ去られた彼女は、神通力を与えられ、多くの人心を操ることに長ずる一方、自暴自棄で刹那的な振る舞いも見せています。
「何をそんなに切ながっているんです?」
「私に食べられるあなたが可哀想なの」
「食わなければ良いのではないですか?」
「でも、いつかきっと私は貴方を食べてしまうわ。食べちゃいたいほど好きなのだもの。でも、好きなものを食べたら…、そうしたら好きなものがなくなってしまうんだもの」
(アニメ版5話「金曜倶楽部」より)
 また同作品に登場する淀川教授の行動も今回の話と重なります。彼は狸一般を愛していると公言していますが、金曜倶楽部のメンバーでもあります。「狸が好きだと言う事と、食う事とは矛盾しない。貴方の様に渋々喰っていたんではしょうがないが、僕はいつも喜んで食う。旨い旨いと食うてやるのが礼儀と言う物です」(同上より)という自説を持つ彼は、彼自身がかつて怪我の手当をしたことがある狸(代替不能な“まさにその狸”)に対しては同じ姿勢を貫くことができず、宴の席から“その狸”の入った檻を奪って逃げることになります。
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● 私たちは何を食べたがっているのか? ―それがまさに「賜りもの」であるかのようにふるまうこと
 忌避される食べ物とは、それを食べることによって生じる変容がネガティヴだと感じられるものであり、食べることに抵抗を感じる食べ物とは、それを食べることによって生じる喪失と変容がラディカルなものだと、ひとまず整理することができます。それでは、私たちは何を食べたがっているのでしょうか。
 ここで、人類が数万年前から食事に際して行ってきたことを思い返してみましょう。それはつまり、眼前にある採取された食べ物、収穫された食べ物を、超越的な何かからの「賜りもの」であると見なして行われる様々な儀礼です。

 例えば、手食文化があげられます。現在、手食人口は25億人余りで、手食を是とする代表的なヒンドゥー教やイスラム教においては、神から与えられたものを食具で扱うことは不謹慎とされています。手食文化は、アフリカ、中近東、インド、東南アジア、オセアニアなどに広がっていますが、どの地域でも、右手が清浄、左手は不浄とされており、食事には必ず右手を使う必要があります。現在ではフォークなどのカトラリーを用いるキリスト圏でも、中世は共通の皿とナイフで料理を取り分けたあとは、手食するのがが一般的でした。フォークが普及しはじめるのは、18世紀以降のことです。
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 箸を用いる文化圏に含まれる日本も、「食べる」ことと、「賜る」ことは密接な関係を持ちます。食前食後の挨拶はもちろんですが(1人で食事をするときも「いただきます」と言うのは、キリスト教徒が1人だからといって食前の祈りを欠かさないのと構造は同じでしょう)、柳田國男は、日本語の「食べる」という言葉は、タバル、タブの受身の形であるタバハル、つまり「たまわる」(給わる)、「いただく」ということからの派生語であると位置づけています。これは具体的には、収穫物を神棚や仏壇の祖型のような場所へ供え、その後で、それを「お下がり」として頂戴するという儀礼の名残であると考えられます。これも日本に限ったことではなく、英語のration(割り当て)という言葉は、古代ギリシアの犠牲牛の分配に由来するなど、その名残は世界中にあります。また、太宰治が嫌いなものとして描いていますが、戦後までの日本の少なからぬ家庭では、食事中はみだりに口をきかず、厳かな宗教儀式のように粛々と食べていたようです。

 それでは、目の前の食べ物は誰からの賜りものなのか。多くの答えがあると思います。しかし、誰からの賜りものであるにせよ、賜りものを食べるには、私たちは「まさに賜りものであると見なしてふるまう」ことを求められます。賜りものとしての食べ物は、最初から「賜りもの」としてあるわけではないからです。食前・食後に挨拶や祈りを含めた様々な儀礼は、眼前の食べ物が「まさに賜りものであると見なしてふるまう」ということにおいて一貫しています。
 「食べ物を、まさに賜りものであると見なしてふるまう」儀礼は食事の場面に限定されるものではありません。ミレーの「落ち穂拾い」はよく知られている作品ですが、この作品に描かれている3人の女性は、この畑の小作人でも、まして持ち主でもなく、日々の糧に事欠く貧者(おそらくは寡婦)です。この絵の題材は、旧約聖書の「レビ記」、「申命記」でくり返し言及される、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者、孤児、寡婦のために残しておかねばならない」という律法にあります。ミレーの絵と旧約聖書の律法からは、「賜りもの」としての収穫物の位置づけ、つまり私的に所有することができないものとしての位置づけを認めることができるでしょう。
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 私たちは常に、「賜りもの」を口にすること、祝福されたものを口にすることを願い続けてきました。そして、自分が食べるもののルーツを祝うのは、私たち自身です。一般的にそう思われているように、食前食後の挨拶や食卓での礼儀作法とは、道徳に関わる話ではありません。それら、「食べ物を、まさに賜りものであると見なしてふるまう」行為とは、私たちをネガティヴに変容させかねない超越的な力に対する防衛に関わる話なのです。このことは、食品廃棄率が世界一の日本に住む私たちにとって、吟味する余地がある事柄だと思えます。


●参考資料他
〈食〉に関する資料諸々。「★」はジェネラル・レクチャーで直接、参照したもの。
[文献]
★網野善彦・石井進(2000)『米・百姓・天皇制―日本史の虚像のゆくえ』大和書房
・石毛直道監修(1998-99)「講座食の文化」全7巻、農村漁村文化協会
 第一巻『人類の食文化』吉田集而編集
 第二巻『日本の食事文化』熊倉功夫編集
 第三巻『調理とたべもの』杉田浩一編集
 第四巻『家庭の食事空間』山口昌伴編集
 第五巻『食の情報化』井上忠司編集
 第六巻『食の思想と行動』豊川裕之編集
 第七巻『食のゆくえ』田村眞八郎編集
★池上甲一他(2008)『食の共同体―動員から連帯へ』ナカニシヤ出版
★池上俊一(2011)『パスタでたどるイタリア史』岩波書店(岩波ジュニア新書)
★大平健(2003)『食の精神病理』光文社(光文社新書)
・河上睦子「食文化から見る日本の近代化 福沢諭吉と森鴎外の西洋食論」、石塚正英他編著『戦争と近代』社会評論社、2011年。
★木村裕一[文], あべ弘士[絵] (1994)『あらしのよるに』講談社
★クラウス・エーダー、寿福真美[訳](1988=1992)『自然の社会化―エコロジー的理性批判』法政大学出版(叢書・ウニベルシタス)
★近藤弘(1976)『日本人の味覚』中央公論新社(中公新書)
・桜澤如一(1941)『戦争に勝つ食物』大日本法令出版
・鯖田豊之(1988)『肉食文化と米食文化』中央公論新社(中公文庫)
・デボラ・ラプトン、(1999)『食べることの社会学 食・身体・自己』新曜社
★原田信男(2010)『日本人は何を食べてきたか』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)
・伏木亨(2006)『おいしさを科学する』筑摩書房(ちくまプリマー新書)
・ブリア=サヴァラン、関根秀雄・戸部松実訳(1967)『美味礼賛』全2冊、岩波書店(岩波文庫)
・辺見庸(1997)『もの食う人びと』角川出版(角川文庫)
・松永澄夫(2003)『「食を料理する」哲学的考察』東信堂
・宮下規久朗(2007)『食べる西洋美術史』光文社(光文社新書)
★宮本常一・塩田鉄雄(1978)『食生活の構造〈シリーズ食文化の発見2〉』柴田書店
★森見登美彦(2007)『有頂天家族』幻冬舎
★長谷川町子『サザエさん〈6巻、19巻〉』、朝日新聞社
★藤原辰史(2012)『ナチスのキッチン』水声社
★柳田国男(1963)『定本柳田国男集〈第19巻〉』筑摩書房
・矢谷慈国・山本博史[編](2002) 『「食」の人間学』ナカニシヤ出版
・レオン・R・カス、工藤政司他訳(1995=2002)『飢えたる魂 食の哲学』法政大学出版
★『GIGAZINE』 2013年5月23日「3Dプリンターで食べ物を印刷へ、既存の食事を置き換える可能性もあり」http://gigazine.net/news/ 20130523-3d-printed-food/ (2013年9月30日アクセス)


[映像]
★ヴァレンタイン・トゥルン[監督](2011=2013)『もったいない!』T&Kテレフィルム
★ニコラウス・ゲイハルター[監督](2005=2007)『いのちの食べ方』エスパース・サロウ
・マーク・フランシス、ニック・フランシス[監督](2006=2008)『おいしいコーヒーの真実』アップリンク
★フーベルト・ザウパー[監督](2005=2006)『ダーウィンの悪夢』ビターズ・エンド
・リチャード・リンクレイター[監督](2006=2008)『ファーストフード・ネイション』トランスフォーマー
by warabannshi | 2013-11-09 16:58 | 論文・レジュメ | Comments(0)
講義資料「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」 vol.2
《Bパート》
●私たちは何を食べていくのか? ― 3Dプリンタで印刷される、航空部品、模型、食べ物
 不安感と不快感の考察をする前に、もう少し話を続けましょう。「私たちは何を食べていくのか」です。
3Dプリンタという、レイヤーを重ねていくことで複雑な構造物でも作成できる機械があります。ジェットエンジンの製作や、CTスキャンと組み合わせた「手術前の検討用のモデル」の製作といった場面で活用されています。
 そして現在、NASAから約1300万円の資金援助を得て、食べ物を作り出す3Dプリンタの開発がアメリカで進められています。

 1家に1台の3Dプリンタがある未来において、人々はオイルや専用のパウダーを使い、それぞれの体にあった栄養価の食事を取れるようになるでしょう。例えば、年配の男性なら炭水化物は少なめ。スポーツマンは反対に炭水化物が大めでカルシウムが少なめ。妊娠中の女性はオメガ3脂肪酸を十分にとって……といった具合に。
 しかし何より重要なのは、あらゆる生き物から栄養を取ることが可能となる点です。3Dプリンタで現在は食べ物と見なされていない、藻や浮き草、昆虫などを食べることができるようになります。また、30年は保存のきくパウダー状の材料から作られるため、食品廃棄の問題もなくなります。いずれ100億人を超える人口を支えるために、3Dプリンタによる食べ物の印刷は大きな希望を持っていると言えます。もちろん、すべての食べものが、3Dプリンタで印刷されたものに代替されるわけではないでしょう。電子メールが行き渡った現在でも、私たちは旅先から手書きで暑中見舞いを出したりします。しかし、食糧生産が世界規模の貧困と不可避であり、さらに輸送コストがかかる以上、代替は広範囲に及ぶことになるでしょう。
 それらのことが頭ではわかっていても、やはり、3Dプリンタでパウダーを用いて印刷した食べ物を日常的に食べることに、少なくとも私は抵抗があります。
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 なぜでしょうか? 私が「3Dプリンターで食べ物を印刷へ、既存の食事を置き換える可能性もあり」という記事を見たときに、まっさきに思い浮かべたのは『サザエさん』のこの4コマ漫画なのですが、なぜワカメちゃんは嫌がっているのでしょうか。“お節句のご馳走”がサプリメントでは味気ないから? でも、3Dプリンターで作られる食事は常にサプリメントの形をしているわけではありませんし、例えば東京・合羽橋で売られている食品サンプルの造形をプログラムすれば、ちゃんとパスタの形をした食べ物を印刷することも可能でしょう。さらに、現在は蟹や豚骨などの風味を、原材料をまったく使わずに化合物だけで再現することもできます(そもそも味覚は水溶性の化学物質を受容することでおこる感覚なので別に不思議はないのですが)。でも、3Dプリンターで印刷された「海の幸スパゲティ 白ワイン仕立て」を前にすると、やはり戸惑うと思います。たとえ、それがトウモロコシと藻とバッタを原料にしたものでないとしても、です。なぜでしょうか?




● 食べたもののルーツを、人間は考えずにいられない
 やがて普及するであろう、3Dプリンターで印刷された食べ物への抵抗感は、なぜ生まれるのか。「私たちは何を食べてきたのか」、「私たちは何を食べているのか」という問いかけを通して概観してきたことをふまえると、次の仮説を提起できます。それは、「私たちは食べるものに、何らかのルーツを見出したがる傾向がある」ということです。
 ある食材を食べることによって、私たちはその食材を含む、象徴的な食物連鎖に連なることになります。
 私たちは、私たちが伝統的に食べてきたものであると言われると安心感を覚えます。食材が、私たちがイメージしているのとは異なる生態系内での位置を占めていると、不安を抱きます。あるいは私たちが普段食べているものが、果たして食べ物なのか、ゴミなのか、わからなくなるほどの食品廃棄の現場を見ると、混乱します。そして、自分が食べているものがパウダー状に加工される前は何だったのかわからないと、より食材について神経質になります。
 つまり、その“食材”がどのようなルーツ、どのような食物連鎖の、どのあたりに位置しているかがわからないことが、雑食ウシや代用魚に抱かれる忌避感の一つの要因になっているのではないでしょうか。ある“食材”を食べることによって、食べる私たちは“食材”の食物連鎖に連なることになります。それは、物質循環の問題というより、むしろ履歴の問題なのです。

 食べ物が作りだす象徴的なつながりが重視された事例として、第二次世界大戦期のドイツのいくつかの政策があげられます。
 テイラー主義の成功とともに、工場労働の一般化し、それに伴い、働き方が画一化していった20世紀初頭。その波は、建築学や家政学などを通じて台所にまで至りました。そして、その時代は奇しくも、「伝統的な食材を用い、伝統的なレシピで、伝統的な食習慣に則って食事をする」というある種の規範が広まった時代でもあります。イタリアでパスタが「国民食」となったケースを見ましたが、ナチス政権下のドイツでは、もっと強力に「伝統的な食」という規範が推し進めされました。
 1933年の秋、ナチスはドイツの全国の家庭およびレストランに「アイントプフの日曜日」を義務化します。アイントプフは、野菜や肉の煮込みで、ドイツの家庭料理です。食費を節約し、浮いた金額を募金させ、それが冬季の貧民救済に使われました。「家族全員がアイントプフの日を、ドイツ民族の結束を讃える日として感じることができる」というコンセプトは決して便宜上のものではなく、ヒトラーを首相に任命した当時の大統領のパウル・フォン・ヒンデンブルグは、「私はライ麦パンしか食べない。愛国者はライ麦を食べる」と明言していました。
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 ヒンデンブルグの、アーリア人の胃袋は、ドイツ原産の純血種の生物で満たされるべきである、という思想は、「血と土」のスローガンを思い起こさせますが、それと同時に食べ物が作りだす象徴的なつながりの強さをうかがわせます。ドイツには、「人はその食べるところのものだ(Der Mensch ist. was er isst)」という諺がありますが、まさに私たちは食べたものでできています。食べるとは食べたものを消化、吸収し、自分の血肉に同化することですが、それは見方を変えれば、食べたものによって私たちが変容すること、食べたものに食べられていくことでもあります。

 別の事例を考えてみましょう。例えば、レストランで海鮮スパゲティを美味しく食べているとします。その横で誰かが同じメニューを、①「まずい」と言い、元の味がわからなくなるくらいにタバスコをかける。②匂いだけ嗅いで顔をしかめ、「こんなものは豚の餌だ」と言われる。③床に落とされて、さらに足で踏まれるなどされると、非常に不愉快になると思います。あなたの食べているスパゲティに何ら味の変化はなく、衛生上、何の問題がないにしても、です。
 なぜでしょうか。なぜ私たちは、“ゴミ扱いされたもの”を食べられないのでしょうか。
 先ほどのドイツの諺に沿って考えましょう。私たちが“ゴミ扱いされたもの”を食べられないのは、それを食べると私たち自身もまた“ゴミ”になってしまうからではないでしょうか。
 食べたものによって私たちが変容するという構図、食べたものに食べられていくという構図は、世界の様々な食文化と関連しています。例えば、マダガスカル人は、敵に出会うと丸くなるハリネズミを食べると憶病になると嫌います。その一方で、一部のロマはハリネズミを、その棘によって外部の穢れから守られている動物として祝い事のときに食べます。北アメリカのチェロキー族はシカを食べると足が速くなると信じて好んで食べ、北アフリカでは小心者でもオオカミやライオンを食べると、大胆不敵な勇者になると考えます。
 これらの食文化を未開だと思うでしょうか。私たちがサプリメントやエナジードリンクを飲み、ゼリー飲料で10秒チャージするときに、打ち捨てられたような疎外感と、ほのかな快感(「ああ、私も捨てたものではない…」)を感じるのは、“燃料補給のような食事”によって、私たちが自分自身を“生産力の高い機械”と見立てているからではないでしょうか。
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 ここに、人類が食べ物に働かせる強力なシンボル化を見出すことができます。シンボル化の能力に媒介されることで、「食べる」という振る舞いは、現実的なものだけでなく、可能性も含み込んだものを自らのうちに取り込む出来事として、拡張されます。
by warabannshi | 2013-11-09 13:30 | 論文・レジュメ | Comments(0)
講義資料「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」 vol.1
2013年10月2日(水) ジェネラル・レクチャー@聖心女子大学
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 「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」という、ちょっと変わったタイトルは、次の作品の題名から借用しました。フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの《私たちはどこから来たのか、何者か、どこにいくのか》(1897-98)です。
 ゴーギャンのこの作品は、19世紀末に描かれました。無線通信が遠い都市を結び、映像による記録が行われるようになり、進化論の衝撃がまだ咀嚼しきれていない時代です。無線通信は、空間を瞬時に越える連絡を可能としました。映像は編集されることで、一度も現在でなかった過去を記録する産業を(つまり映画産業を)生み出し、進化論は、人間が宇宙の中心でもなんでもないことを示す天動説以来のラディカルな仮説として人々の旧来の価値観に変更を迫りました。《私たちはどこから来たのか、何者か、どこにいくのか》という題名は、変容のスピードが激化する世界に人間が生きはじめるようになった最初の時代に生まれた問いです。
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 唯物論と信仰のあいだで人々が揺らいでいたゴーギャンの時代から、およそ120年後、私たちは言語や国境を瞬時に越えることができるインターネットと、食べ続けなければ生きていくことができない身体とのあいだで、揺らいでいます。そんな私たちを考える上で、「私たちは、何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」という問いかけはそのヒントとなると私は考えています。
 講義は大きく3つのパートに分かれています。
 まず、「伝統食」がここ150年くらいで作られた経緯から、先進国でいつでも手に入る豊富な食材の裏側までを紹介するAパート。ここでは私たちが当然と思っていることが、実は偶然と努力と、作為の結果であることを示します。
 次に、急増する人口を養うために導入されるであろう、3Dプリンタによる食品の印刷を紹介して、印刷された食物へ感じる抵抗感、ナチス政権下で行われた「アイントプフの日曜日」などを紹介するBパート。ここでは、食べるものの由来を知ることで、食べる側の態度が変わる・変えさせられる私たちのある種の傾向を示します。
 そして、「食べてしまいたいほど好き/好きであるが故に食べられない」という背反と、「栄養補給のような食事/その一方でなされる大量の食品廃棄」という病理に焦点をあてるCパート。「私たちは何を食べたがっているのか?」という問いに、「賜りもの」という位置づけを行います。


《Aパート》
●私たちは何を食べてきたのか? ― 「伝統料理」「民族を代表する料理」の新しさ
 さて、まずはタイトルのそれぞれの問いを考察していきたいと思います。「私たちは何を食べてきたのか」。その問いには、多くの場合「私たちは伝統的に○○を食べてきた」という答えが用意されています。しかし、あえてもう一歩、「私たちは“いつから”○○を食べてきたのか」と問うと、じつはその伝統は、たかだか100年ほど前に作られたものでしかないかもしれません。
 例えば、イタリア料理に欠かせないトマト。イタリア人はずっとトマトを食べていたようなイメージがあります。しかし、トマトは、もともとイタリア半島に自生していたではありません。500年ほど前にメキシコへ上陸したスペイン人がその種を持ち帰ったのが最初です。しかもトマトは当初、ベラドンナ、ヒヨス、マンドラゴラなど、毒性で知られる植物との類似から危険視され、ほとんど受け入れられませんでした。17世紀に栽培が始まったときにも、その鮮やかな色のため、菜園、庭、バルコニーに観賞用として植えられ、食用ではありませんでした。そして、18世紀頃、品種改良を経て現在のトマトとなったのです。ルネサンスの巨匠たち、ラファエロやミケランジェロは、トマト料理を口にしたことはなかったわけです。
 さらにトマトソースとなると、話がまた変わってきます。ナポリを中心としてトマトソース作りが始まったのは17世紀末からで、19世紀初頭に、行商人がトマトソースを売って歩くようになった記録が現れます。ブォンヴィチーノ公イッポリト・カヴァルカンティは、『理論的・実践的料理』(1839年)で「トマト入りヴェルミチェッリ」のレシピを記載していますが、これが文献上に初めて現れる「トマトソースをかけられたパスタ」だそうです。
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 ここで考えたいのは、いわゆる伝統料理、民族を代表する料理とはいったい何か、ということです。そうしたものは意外と歴史が浅かったり、上流階級の食べ物だったものが100年ほど前、19世紀後半から20世紀前半に庶民に普及したものだったりします。
 パスタは、イタリア半島で古くから食べられています。しかし、パスタは現在そうであるよりずっと“ご馳走”でした。小麦は、貧しい農民が気安く食べられるものではなかったからです。それが改善されたのは20世紀初頭以降、工業化によってイタリアの経済状況の改善してからです。また、パスタがごった煮ではなく、レシピのある料理として整理されたのは19世紀後半、「イタリア料理の父」たるペレグリーノ・アルトゥージ(1820-1911)によってでした。この背景には、ナショナリズムによって”国民食”が求められたという事情があります。そもそも「イタリア料理」はイタリアができてから現れた概念です。そして、イタリア王国が建国されたのは、1861年。アルトゥージが、「イタリア料理」という概念を初めて体系立ててまとめた本、『料理の科学と美味しく食べる技法』を出版したのは、1891年のことでした。同書は、さまざまな地方料理のレシピを厳選したもので、まさに“料理の国民統合”の足掛かりとなったといえるでしょう。アルトゥージに明確な政治的意図はなかったようですが、彼の父親が青年イタリア党のマッッィーニ派だったことや、彼が近代イタリアの担い手となるブルジョワに属していたということが、その料理書の構成・内容に密かに影響しているのではないかと、『パスタでたどるイタリア史』(2011年)の池上俊一さんは指摘しています。また、カトリックの、特にマリア信仰の強いイタリア半島において、「母(マンマ)の作る料理」というイメージの強いパスタを食べることは、「イタリア人は自分がイタリア人であることを自覚する」ための重要な紐帯となりました 。

 イタリアの話をしましたが、日本の国民食と言えば、お米、ジャポニカ米ですね。日本人はずっと米食を続けてきたようなイメージがあります。しかしこのイメージも、戦時中のコメ配給制によって農山村部にまで米食を普及させるのと併行して作られたものです。網野善彦や、原田信男をはじめとする先行研究が明らかとするように 、列島には、アワやヒエ、芋、豆など、コメではないものを常食とする集団がずっと存在していました。特に、列島を東西に分けたときの東側の味覚文化圏には、ヒエ食が広く定着していました。例えば、岩手県下のヒエの作付面積は、明治15(1882)年では、20,761町歩。昭和15 (1930)年では、14,839町歩です。明治初期から昭和初期にかけてヒエの作付面積は3/4になっていますが、根強く食されていることがわかります。日本人が広くコメを食するようになったのは戦時中以降のことでした。日本人全体が白米をお腹一杯食べられるようになったのは、戦後の高度経済成長期以降のことです 。
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●私たちは何を食べているのか? ―フード・ドキュメンタリーから見える不愉快な世界
 ここからは、現在、先進国に生きている私たちが何を食べているのかについてを、3つのフード・ドキュメンタリー作品から見ていきましょう。内容を不快に感じる人がいるかもしれませんが、あまりえげつなくないものを選んでいます。
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 1つめは、フーベルト・ザウパー監督の『ダーウィンの悪夢』(2005年)です。マクドナルドのフィレオフィッシュ・バーガーの中身は白身魚ですが、私たちが白身魚として口にしているもの、それは何なのでしょう。ふつう、白身魚といえばタラやスズキが思い浮かべられます。しかし、私たちがじっさいに口にしているものは、私たちの抱いているイメージと、異なるものかもしれません。ファミリーレストランなどにおける塩焼き、付け焼き、蒸し物など、外食産業や総菜屋における「白身魚」といわれるもののほとんどが、ナイルパーチという魚です。スズキ科の魚ですが、ナイルパーチの大きさは1.8mにもなります。そして外来種として放流された場合、地域の生態系に壊滅的な打撃を与えます 。

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 2つめは、ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』(2005年)です。ウシは皆さんもご存知の通り、草食動物です。4つの胃を持ち、反芻を行います――野生下では。しかし、とくに合衆国で飼育されている一部のウシは雑食動物といって良いものです。本来は食べないトウモロコシを食べ、成長を早め、肉付きをよくするために、肉骨粉を食べています。私たちは、私たちがそうであるとイメージしているものとはずいぶん違うものを日常的に口にしていると言えます。

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 食べ方はどうでしょう。私たちは大量の食品を廃棄しつづけています。毎年、日本では1,800万トンの食料が、人の口に入らず廃棄されています。一般家庭から毎年廃棄される約1.000万トンの生ゴミのうち、まだ食べられる品質である「食べ残し」は38.8パーセントを占め(2002年)、その中の11パーセントは買ったままの状態で捨てられます。現状のイメージを得るには数値よりも、ヴァレンタイン・トゥルン監督の『もったいない!』(2011年)を観た方が早いかもしれません。

 こういう事情を知ったとき、少なくとも私は得も言われぬ不安を感じたことを覚えています。何となく、私たちが食べているものが“汚れている”ように感じられました。安全管理は徹底されているでしょうし(そう願いたいものです)、少なくとも、私の味覚では、スズキとナイルパーチを、トウモロコシと肉骨粉で育てられたウシと干し草で育てられたウシを識別することは困難です。けれど、嫌だな、と思いました。なぜなのか。
by warabannshi | 2013-11-09 11:56 | 論文・レジュメ | Comments(0)



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