探索記録34「『クォンタム・ファミリーズ』と他の本、そして「幽霊たちの囁き」と科学哲学について」
 東浩紀『クォンタム・ファミリーズ(量子家族)』を読了しました。SF小説を一気読みすることはめずらしいことではないのですが、ここ半年くらい、そういうことをやっていませんでした。自然科学という(量子力学という、計算機科学という)信仰。そして、私たちは無数の可能性の死骸のもとに立っている、という信仰告白。その白熱。所与(givenness,Gegehenheit,(Begehenheit与えることによりそう))を越えて、ある範囲を進むこと。いまの所与のものとして決まっているサイズの外に出ようとしたらどうなるか、ということ。
 また、【日本のSF作品】の書棚で『クォンタム』の近くにあった円城塔の作品も興味深いものでした。円城の作品は現代詩であるといわれても違和感のないものだと常々思っていたのですが、『鳥有此譚』は、谷川俊太郎の『日本語のカタログ』的な形式を採用していて、つまり、『日本語のカタログ』に収録されている散文詩のように絶え間ない註釈による「制御(control)」がなされていて、それが私自身の方法と近しいと感じたのです。「制御」とはなにか。たとえば夢日記を書いた後で、その記述に「起きているときにそれに沿っているところの考察に基づいた注釈をいれる営為」は、夢を書き留めた記述に「起きているときにそれに沿っているところの日付を入れる営為」と、構造的に同じではないかと私は思います。行為をしているそのまさに最中において、私たちは「制御のための技法」を行使します。つまり、所与のものにしがみつくことで、メイルシュトロームに引きずりこまれることから逃れるのです。その「技法」はいまの所与のものとして決まっているサイズの外に出ようとする営為を補うものです。私たちが「次」に進むときには、個別のものの「頑固さ」が、よかれあしかれ常にかかわってきます。
 「制御のための技法」。抑圧、あるいは打算というかたちではなく、しかも欲しいままにしないこと、ある形式を受け入れること。それを複数の場所で考えること。それは、享奢の八〇年代に生まれ、廃墟の九〇年代に育てられた私たちの世代にとって(そういうことが果たして適切かどうかはわかりませんが、「私たちの……」という言葉遣いでしか通ることのできない理路もまた、あると思います)責任をもって論じるに値するテーマではないかと考えています。私たちは具体的なもののうえに足をおいて、個別のデータに基づいて、全体的なものを書き換えるということはしません。私たちは理論の収束による、当該理論の過剰適応が、ロクな結果を生み出さないということを政治的にも思想的にもよく知っています。収束しないこと、それは私たちが試みる禁欲であり、「巫者」としての務めです。
 それでは、「巫者」たちはなにを聴きとのか。「幽霊」の囁きを。残響音としての、あるいは確率論的な、あるいは鎮魂すべき「幽霊」の囁きを。
 そして「巫者」たちは聴きとった「幽霊」の囁きを翻訳する。しかし翻訳するということは、どういうことなのか。
 チョムスキーは、「翻訳」と「理論」は違う二つではなく、似たようなものだと、バリエーションであると考えました。どちらもデータを与えられたときに、私たちの言語へ移しかえるわけであるから。
 「翻訳」のプロセスにおいて常になされているのは、「yes/no」の判断、「手をあげた」のか、「手があがった」のかの判断、つまり、「解釈の決定」です。天動説と地動説のどちらを採用するか。創造説と進化論のどちらを信じるか。落ちていくリンゴに対して、それが知恵の実の落下なのか、重力場のなかでいちばん短い線を通っていく質量なのか、その解釈を決定すること。――ただし、「量子的に考えて不確定だから、翻訳できません」と言うことはできません。翻訳は、しなければならない。これは命法です。
 「翻訳における解釈の決定」について考えるときには、クワインの「根元的翻訳(radical translate)」と、デイヴィッドソンの「根元的解釈(radical interpretaion)」の違いについても考えておくことが、導線となりえます。二人の立場の違いには以下のように言及することができるでしょう。
 例えばクワインは、「外部世界に関する知識と経験の関係は、それが可能ならば、いかなるものか」という問いをたてます。それに対してデイヴィッドソンは「発話された語(他人のことば)を理解するためにいかなる知識または解釈が必要か。その知識または解釈は、どう構成されているか」という問いをたてます。
 クワインにおいてもデイヴィッドソンにおいても、私たちの立場は、未開社会に調査に来た言語学者として、仮想的におかれえます。使っていいものは、現地人の物理的音声、それから行動、発生時の周囲状況であり、それらを観察し、私たちはそれらを客観的データとして扱います。(このとき、現地人と私たち論理構造は一緒(古典一階述語論理)だとする「善意の原則」が採られます)。
 このとき、クワインは「翻訳をすすめましょう」と言うし、デイヴィッドソンは「理解をしよう努力しましょう」と言うでしょう。両者は似ているようですが、厳密にいうと異なります。つまり、翻訳は必ずしも理解を必要としないという点において。
 わけがわからないものを「理解をする」には、まず意味を想定する必要があります。この場合の「意味」とは「刺激意味」(*1)では、無論ありません。真理条件意味論によってもたらされるところの「意味」。つまり「文Sが真ということは、P(Sの表す命題)である。ただし、Pは述語で表せない(cf.嘘つきパラドックス)」という方式によるところの「意味」です。これは「善意の原則」を、全面的に拡大して、理解をしようとする戦略であり、現代の分析哲学では非常に評判の高いものです。
 しかし、そのとき、「証明の個別性、複数性」というのはどういうことになるのでしょう。
 それぞれの全体のパターンによって理解が生じる、クーンのパラダイム論は、ここでは当てになりません。(もちろんクーンのパラダイム論が無効であるとは思っていませんが) 重要なのは、「幽霊の囁き声」という理解される対象のほうに、理解される内容がある、というそのことなのですから。
 おそらく、ここで「体系、文の集積」とは別様の運動を持ち込まなくてはなりません。
 それについて何か実のあることを言うことはできないのですが、一つのヒントとして、フランス系の科学哲学、エピステモロジーを置くことができます。英米系の科学哲学は、科学を体系、文の集積として考えますが、フランス系のエピステモロジーは、科学を「精神」の活動として考えます。この場合の「精神」は、個人の精神ではなく、時代精神、科学的精神のようなものです。ただし、この「精神」の働きは、私たちの行為に直接浮かび上がるものではありません(科学的精神が働くとき、私たちが合理的にふるまう、ということではない)。
@池袋ジュンク堂4F喫茶店 17:20

(*1)「刺激意味stimulus meaning」とは、ある場面文に対して、現地人・被検者のyes/noを促す刺激のクラスのこと。クワインは「刺激意味」を「意味」とみなす。この「刺激意味」がわけのわからない言語の安定的な部分を取り出して、それとlogicをもって「翻訳可能な中核」を析出する。このとき、わけのわからない言葉を話す現地人が、発話状況に際してある出来事をどう理解しているかということは、勘案されない。
 クワインが「刺激意味」を通して遂行的に伝えるメッセージとは、「翻訳可能な領域」(私たちがどうこうしようと変わらずにあるように思える)と「不確定な部分」(私たちの意図や予断にかかわる)では、変動しやすさがちがうということだ。刺激的な意味は固定されているけれど、それがどのように固定されているかについて言語的に言い表すのはむずかしい。

by warabannshi | 2010-02-14 20:43 | メモ
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