名前の知らないシュメール人の友人と、さわやかなオープン・カフェで久闊を叙している。3月13日に誕生日を迎える彼をまず祝う。
「誕生日もトークショーをするんだ」彼は小説家である。
「バースディ・ライヴだね。
そういえば、前に良いよね、って君が言っていた『坑夫』を読んだよ」
「『坑夫』なんてケチくせえもの、なんで薦めたのかわかんね」
シュメール人の友人は田舎っペ大将みたいなしゃべり方をする。コーヒーも、味噌汁のように音をたてて啜る。
「夏目漱石が執筆中に行っているバックプロパゲーションの過程がよくわかって面白かったよ」と私。
友人のくすぐったそうな表情から、彼は本当は『坑夫』を面白いと思いつつ、なにが面白いのかわからなかったために、仕方なく「ケチくさい」という評価を下したのだということがわかる。
「『家守』は読んだか?」
「うん」嘘である。「でも、どんな話が忘れた」
それから友人による夏目漱石の『家守』の詳細なシノプシスを聴く。途中でこれは夢だと気付き、起きたあとで『家守』を書くために必死に覚えようとするが、すべて忘れる。