◆塩谷賢「科学哲学」講義@法政大学 #3 :09年10月5日
「運命や神はあるのか?」このような問いかけが無視できなくなって、運命や神がいるかいないかわからなくなってきときに、デカルト(René Descartes, 1596-1650)がやったのが、「真理そのものを見る」という試みです。絶対確実なものを見ようとしたときに行われたのが、方法論的懐疑です。「見ている私が見ている」。「われ思うゆえにわれありcogito ergo sum / Je pense, donc je suis」 という判断を持ち出してきた。
 その一方で「見る」という比喩を直接的に採用したのが、「現象学(Phanomenologie)」です。つまりデカルトはあるに言ってしまったんだよね。Sumはラテン語におけるbe動詞ですから。 be動詞に行かないで「見る」ということにとどまったのが、現象学です。
(p.1)

ところで、私が世界を知覚するにあたっての五感というのは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる……と、それぞれ全く性質が違います。とりわけその中でも、「見る」は性質が違う。見るためには光が要ります。光のエネルギーは対象のものではありません。それは借りものです。もちろん量子力学的に考えればそうは言えないのですが、日常的に考えれば、「見る」ことによって見られた対象は全く変わらないわけです。だから「見る」を、行為だとはなかなか思えない。「聞く」はどうでしょうか。今こうやって指を鳴らした音が聞こえた。何が聞こえたんでしょうか。空気の振動、音波ですね。それらはやがて消えてしまう。空気の振動、音波から、その音源を知ることはできるし、音源は消えないかもしれないけれど、聞かれている音そのものは消えてしまう。「嗅ぐ」はどうでしょうか。粘膜における化学物質の反応だよね。嗅がれている化学物質はなくなってしまいます。美しい女性の残り香、しかしその女性はもうそこにはいない。「聞く」の音源の例と同じように、化学物質のたまり場としての果物があるけれど、その果物は、嗅がれて消えてしまう匂いそのものではない。「味わう」はどうでしょう。これは明らかだよね、味わわれた食べ物は、食べたらなくなってしまうもの。「触れる」は微妙ですね。そっと触るか、ぎゅっと触るかで、全然違う。形を保ったまま、位置を動かさないまま、触るというのと、触ることによって形を変えたり位置を動かしたりするのは、違う。そこに「触れる」ということの不思議さとは怪しさがあります。
(p.4)

 見る・考えるという行為において変化するのは、私なんですよ。難しいのはその変わり方を追っていくことができないということです。物質的な変化だったら、その変わり方を追うはそんなに難しいことではありません。その変化を邪魔するものもわかります。どういう条件があるか。類似するような変化はないか。そういうことをチェックするほかの道具があるわけですね。ところが、見る・考えるとしての行為によって私が変わっていくのだとしたら、それが行為の内部でどのような変更をこうむるのか、それは簡単に解析することはできません。そのために私たちは違う方法を使わなければなりません。
(p.9)

 世界観というのは、ただ見ているだけの結果、受動的なもののまとまりでは全然ない。むしろ、世界観というのは、考えているという個々の行為をダイレクトに見ることができないから、それを知るために、結果として出てきたものの間を解析しながら、全体を窺っていくというときの素材であり、またその素材をつなげる仕方でもあるわけです。
 世界観を持つというのは世界がそのように見えているというだけではなくて、世界をそのように見るという枠を自分で作るということでもあるんです。だから世界観というのはただ単に眺めているものではなくて、ある種の構造化・整序化を求めるものなんです。それが科学との問題にどう関わってくるのかといえば、私たちが生活しているときに、ある仕事にたずさわっているときに、現に私が世界とコンタクトとしている。そういったときに、行為の原型が幾つかあるはずです。私たちはそこから取り出してくるんですよ。何事かを。科学者は科学者自身の世界観を、技法の中から取り出すんですよ。
(p.10)

 行為としての「見る」ということは何なのか。何が変わるのか。そういうことを考えるときには、「誰が見ているのか」「誰のどこが変わっているのか」「どういう立場で、何を始点にして、誰が考えているのか」そういう前提がどんどん暗黙のうちに隠れてしまうわけですね。誰が見ている何を見ている、ということが常に問題なるわけです。
(p.15)

◆塩谷賢「科学哲学」講義@法政大学 #3 :09年10月5日

--- 既出 ---
◆塩谷賢「科学哲学」講義@法政大学 #1 :09年9月21日
◆塩谷賢「科学哲学」講義@法政大学 #2 :09年9月28日
by warabannshi | 2010-03-02 12:10 | 塩谷賢発言集
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