神綴! 遠い現実から、断片による不意の介入! そのとき目と、耳と、口の間で何が生じ、何が脈うっているのだろう。
(遠い現実からの断片は常に透明である。そのため、歩行は常に風を切るようになされなくてはならない)
遠い現実。
真性のプラトニック・ラヴァーにとって、より重要なのは、イデアが「遠くあること」なのか? 「実在すること」なのか?
しかし歩行のただなかで、私たちが足の踵の半透明の角質層を意識しないように、遠い現実からの神綴を読む恍惚にある私たちを、粘土や若草は意識しないだろう。
【「神充(エントゥシアスモス)」はB.C.5-6cの古代ギリシアにおけるディオニュソス信仰の、死と再生の秘儀の体験のこと。集団単位における恍惚を指し、個体におけるエクスタシスとは非なるものである。】