念願がかなって、とうとう宇宙旅行に行くことができる。社費が出るということは、小学生向け科学漫画の企画で行くことになったに違いないのだが、気分がうきうきしているのでまったくどうでも良い。搭乗する「宇宙船」は2人乗りで、室内には、社員の人が持たせてくれた「宇宙旅行に必要な装備 30年前といまを比べてみよう!」みたいなポスターがボードに貼りつけられている。
仰向けに寝そべったまま、発射の手続きがとられていくのを聞く。私は何もできることがないので、よきに計らえ、という気分。管制官たちのどんなミスにも気がつくことができない心細さは、飛行機への搭乗と同じだと思う。仰向けになって眺める天井は透き通っていて、これからそこに行く青空が遠く、水面のように広がっている。
秒読みが始まる。
10カウントを聞かせてくれるのはサービスなのだろうか、と失禁しそうな緊張感のなかで思う。
「大気圏外に初めて行った地球生まれの生物であるところのあのベルカは、この10カウントを聴いただろうか?」と、一段落ついたらtwitterでつぶやくための台詞も練っておく。
体中の皮膚が押し剥がされるようなGがかかる。眼球が圧迫されて、視界がゆがむ。目を瞑ったら楽になるかと思ったけれど、とくに変わらないので、自由落下よりも速く視野を過ぎ去っていく雲の断片を見るともなく見る。
ある層を抜けると、奇妙な、まるでリサジュー曲線のようなかたちの雲がそこかしこに浮いている空間に出る。
「宇宙船がつくる雲だよ。大気の流れが、ここはほとんどないから、こうやって雲は何十年も残り続けるんだ」
いつの間にか隣にいる知らない友人が解説してくれる。ポリゴンの骨格だけが残っているような雲は、宇宙船がついた溜息のようである。雲は何らかの規則性のもとに整然と並んでいるらしく、見ていて荘厳な気持ちになる。