公共コマーシャル。乳白色の膜でコーティングされた針金の、輪っかのような、ばねのような、たわしくらいの大きさのひと塊。それをリビングのテーブルで、ブロンドの髪の白人女性が、愛おしそうに撫でている。泣きはらした目で、台詞。「ずっと…、一緒にいるからね…」。
男性のナレーション。
「しかし、彼女はそうとは知らずに、40人もの娘を閉じ込めていたのです」。
乳白色の針金のたわしは、次の瞬間、バレリーナの白鳥の恰好をしたまったく同じ顔かたちの女児が、40人、手をつないでいる映像に置換される。差分バックアップされた、記憶である。女児たちは手をつないだまま、口々に、「ママー、ここから出して!」、「ここはどこなの?」と言い立てる。しかし、母親の耳にそれらの泣訴はとどかず、母親は乳白色の針金のたわしをリビングのテーブルに置いたまま、レモネードか何かをとりにシステムキッチンに行ってしまう。
黒い背景に白テロップ。
「故人の電子記憶の消去は、必ず行いましょう」
私は、このコマーシャルを見て、居ても立ってもいられず、この母親のところに乗り込んでいく。そして、手にしていたラジオペンチで、針金の束をめちゃくちゃに切断する。切断されたくず鉄の山をみて、私は達成感を得る。しかし、これで針金に封じ込められていた記憶は消えたのか。あるいは、つないがれていた女児たちの腕を、根元から切断してしまったのではないか。そんな不安にふとかられる。