広い、呆れるほど広い大浴場のL字型の湯船に、5人の友人が浸かっている。まるでその広さに怯えているように5人は大浴場の出入り口付近に固まっている。友人らはもちろん、怯えているようには見えず、湯気を呼吸して快活である。しかし、浴場の隅のひんやりと湿ったタイルに間違って触れてしまったかのような、ひゅっとした収縮が、その快活のなかに細かい粒のように混ざっている。
「Levi'sのボクサーパンツ、お前のそれは、賞味期限切れだ」
タオルを腰に巻いた友人Hが言う。湯船の縁の一段高いところに、サウナ客のように座っている。
「腐るものじゃないだろう」
「いいや、腐るね」
私はかけ湯をして、タイルを踏んで、黙って湯船に入る。ありきたりな挑発というか、からかいもまた、この大浴場が友人Hを通して行っているように感じられる。腹話術師が、自分の声にぴったりな人形を求めるように、大浴場は生きた肉を求めているのである。そう考えた途端に、湯のカルキ臭が、たえ難いほどに鼻をついた。生々しい匂いにむせかえるほどだった。
「もうあがるの?」
友人Sの声が後ろからする。
「のぼせそうだから」
「太田、すぐに湯あたりするんだよ」
湯あたりとのぼせは違う症状を指す言葉だ、と友人Hに振り返って反論したかったが、それより私は外の空気が吸いたい。
「のぼせているのが嫌いですね、太田さんは」
友人Kが畳みかけるように言う。
「そうです。宮沢賢治を聖人視して崇めようとするあらゆるのぼせた努力を無効化するために研究しているようなものですよ」