発情期に入った雌猫の長い長い呼び声が、町のどこにいっても離れない。「う」と「や」と「な」が高音域で混ざった、時折「ぎ」も混ざるあの声が、猫の体のどこから出続けるのか。二時間も叫んでいれば、骨と皮だけになってしまいそうだ。雄の蝉はあの小さな体で七日間ほど鳴きつづけるが、猫は十年間は生きつづける。
「猫はこの恥をそそぐことができるのだろうか」
商店街のクリーニング屋の若い店主が言う。視線は、店の外の小春日和の日光を眺めているが、手は休まず、天井から束になったコードにつながれたスチームアイロンで白いワイシャツの皺を伸ばしている。
「発情期の猫は恥ずかしがっているんですかね」
私は猫のことよりも、どちらかというとこの若い店主が自分と同じくらいの年齢なのか、それともずっと年下なのか、それとも光の具合でわからないだけで意外と老けているのか、そういうことをはかりかねて変な言葉づかいになってしまう。
(あらゆる動機の根源に、恥を感じ取ってしまうことが、人間の一つの特性だよ。その恥は、根源的な、生き恥のようなものだ。そわそわすること、落ち着かないこと、生体の奥底から湧き上がってくるぶつぶつした泡のような苦痛と、本来ならばあるべきと考える静穏とのあいだのずれを、私たちは恥と名付ける。あるいは受難と……)
(でも、猫は自分自身のあるべき静穏なんて、きっと考えたことありませんよ)
(猫が考えたことがなくても、箱型になって日向で眠る猫を知っている私たちは考えるだろう)
私は不意に目を覚ます。うつらうつらしていて、どこまでが本当のことかわからない。
クリーニング屋の店主は、とりすました顔で、仕上げたワイシャツをビニール袋に入れ、次のワイシャツに手を伸ばす。水槽では大きな和金が一匹、オオカナダモのあいだを漂っている。表では、しかしやはり猫が助けを呼ぶように長く声をあげていて、どんな雄猫でもいいから、早く交尾に駆けつけないものかと思う。