講義資料「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」 vol.1
2013年10月2日(水) ジェネラル・レクチャー@聖心女子大学
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 「私たちは何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」という、ちょっと変わったタイトルは、次の作品の題名から借用しました。フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの《私たちはどこから来たのか、何者か、どこにいくのか》(1897-98)です。
 ゴーギャンのこの作品は、19世紀末に描かれました。無線通信が遠い都市を結び、映像による記録が行われるようになり、進化論の衝撃がまだ咀嚼しきれていない時代です。無線通信は、空間を瞬時に越える連絡を可能としました。映像は編集されることで、一度も現在でなかった過去を記録する産業を(つまり映画産業を)生み出し、進化論は、人間が宇宙の中心でもなんでもないことを示す天動説以来のラディカルな仮説として人々の旧来の価値観に変更を迫りました。《私たちはどこから来たのか、何者か、どこにいくのか》という題名は、変容のスピードが激化する世界に人間が生きはじめるようになった最初の時代に生まれた問いです。
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 唯物論と信仰のあいだで人々が揺らいでいたゴーギャンの時代から、およそ120年後、私たちは言語や国境を瞬時に越えることができるインターネットと、食べ続けなければ生きていくことができない身体とのあいだで、揺らいでいます。そんな私たちを考える上で、「私たちは、何を食べてきたのか、何を食べているのか、何を食べていくのか」という問いかけはそのヒントとなると私は考えています。
 講義は大きく3つのパートに分かれています。
 まず、「伝統食」がここ150年くらいで作られた経緯から、先進国でいつでも手に入る豊富な食材の裏側までを紹介するAパート。ここでは私たちが当然と思っていることが、実は偶然と努力と、作為の結果であることを示します。
 次に、急増する人口を養うために導入されるであろう、3Dプリンタによる食品の印刷を紹介して、印刷された食物へ感じる抵抗感、ナチス政権下で行われた「アイントプフの日曜日」などを紹介するBパート。ここでは、食べるものの由来を知ることで、食べる側の態度が変わる・変えさせられる私たちのある種の傾向を示します。
 そして、「食べてしまいたいほど好き/好きであるが故に食べられない」という背反と、「栄養補給のような食事/その一方でなされる大量の食品廃棄」という病理に焦点をあてるCパート。「私たちは何を食べたがっているのか?」という問いに、「賜りもの」という位置づけを行います。


《Aパート》
●私たちは何を食べてきたのか? ― 「伝統料理」「民族を代表する料理」の新しさ
 さて、まずはタイトルのそれぞれの問いを考察していきたいと思います。「私たちは何を食べてきたのか」。その問いには、多くの場合「私たちは伝統的に○○を食べてきた」という答えが用意されています。しかし、あえてもう一歩、「私たちは“いつから”○○を食べてきたのか」と問うと、じつはその伝統は、たかだか100年ほど前に作られたものでしかないかもしれません。
 例えば、イタリア料理に欠かせないトマト。イタリア人はずっとトマトを食べていたようなイメージがあります。しかし、トマトは、もともとイタリア半島に自生していたではありません。500年ほど前にメキシコへ上陸したスペイン人がその種を持ち帰ったのが最初です。しかもトマトは当初、ベラドンナ、ヒヨス、マンドラゴラなど、毒性で知られる植物との類似から危険視され、ほとんど受け入れられませんでした。17世紀に栽培が始まったときにも、その鮮やかな色のため、菜園、庭、バルコニーに観賞用として植えられ、食用ではありませんでした。そして、18世紀頃、品種改良を経て現在のトマトとなったのです。ルネサンスの巨匠たち、ラファエロやミケランジェロは、トマト料理を口にしたことはなかったわけです。
 さらにトマトソースとなると、話がまた変わってきます。ナポリを中心としてトマトソース作りが始まったのは17世紀末からで、19世紀初頭に、行商人がトマトソースを売って歩くようになった記録が現れます。ブォンヴィチーノ公イッポリト・カヴァルカンティは、『理論的・実践的料理』(1839年)で「トマト入りヴェルミチェッリ」のレシピを記載していますが、これが文献上に初めて現れる「トマトソースをかけられたパスタ」だそうです。
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 ここで考えたいのは、いわゆる伝統料理、民族を代表する料理とはいったい何か、ということです。そうしたものは意外と歴史が浅かったり、上流階級の食べ物だったものが100年ほど前、19世紀後半から20世紀前半に庶民に普及したものだったりします。
 パスタは、イタリア半島で古くから食べられています。しかし、パスタは現在そうであるよりずっと“ご馳走”でした。小麦は、貧しい農民が気安く食べられるものではなかったからです。それが改善されたのは20世紀初頭以降、工業化によってイタリアの経済状況の改善してからです。また、パスタがごった煮ではなく、レシピのある料理として整理されたのは19世紀後半、「イタリア料理の父」たるペレグリーノ・アルトゥージ(1820-1911)によってでした。この背景には、ナショナリズムによって”国民食”が求められたという事情があります。そもそも「イタリア料理」はイタリアができてから現れた概念です。そして、イタリア王国が建国されたのは、1861年。アルトゥージが、「イタリア料理」という概念を初めて体系立ててまとめた本、『料理の科学と美味しく食べる技法』を出版したのは、1891年のことでした。同書は、さまざまな地方料理のレシピを厳選したもので、まさに“料理の国民統合”の足掛かりとなったといえるでしょう。アルトゥージに明確な政治的意図はなかったようですが、彼の父親が青年イタリア党のマッッィーニ派だったことや、彼が近代イタリアの担い手となるブルジョワに属していたということが、その料理書の構成・内容に密かに影響しているのではないかと、『パスタでたどるイタリア史』(2011年)の池上俊一さんは指摘しています。また、カトリックの、特にマリア信仰の強いイタリア半島において、「母(マンマ)の作る料理」というイメージの強いパスタを食べることは、「イタリア人は自分がイタリア人であることを自覚する」ための重要な紐帯となりました 。

 イタリアの話をしましたが、日本の国民食と言えば、お米、ジャポニカ米ですね。日本人はずっと米食を続けてきたようなイメージがあります。しかしこのイメージも、戦時中のコメ配給制によって農山村部にまで米食を普及させるのと併行して作られたものです。網野善彦や、原田信男をはじめとする先行研究が明らかとするように 、列島には、アワやヒエ、芋、豆など、コメではないものを常食とする集団がずっと存在していました。特に、列島を東西に分けたときの東側の味覚文化圏には、ヒエ食が広く定着していました。例えば、岩手県下のヒエの作付面積は、明治15(1882)年では、20,761町歩。昭和15 (1930)年では、14,839町歩です。明治初期から昭和初期にかけてヒエの作付面積は3/4になっていますが、根強く食されていることがわかります。日本人が広くコメを食するようになったのは戦時中以降のことでした。日本人全体が白米をお腹一杯食べられるようになったのは、戦後の高度経済成長期以降のことです 。
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●私たちは何を食べているのか? ―フード・ドキュメンタリーから見える不愉快な世界
 ここからは、現在、先進国に生きている私たちが何を食べているのかについてを、3つのフード・ドキュメンタリー作品から見ていきましょう。内容を不快に感じる人がいるかもしれませんが、あまりえげつなくないものを選んでいます。
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 1つめは、フーベルト・ザウパー監督の『ダーウィンの悪夢』(2005年)です。マクドナルドのフィレオフィッシュ・バーガーの中身は白身魚ですが、私たちが白身魚として口にしているもの、それは何なのでしょう。ふつう、白身魚といえばタラやスズキが思い浮かべられます。しかし、私たちがじっさいに口にしているものは、私たちの抱いているイメージと、異なるものかもしれません。ファミリーレストランなどにおける塩焼き、付け焼き、蒸し物など、外食産業や総菜屋における「白身魚」といわれるもののほとんどが、ナイルパーチという魚です。スズキ科の魚ですが、ナイルパーチの大きさは1.8mにもなります。そして外来種として放流された場合、地域の生態系に壊滅的な打撃を与えます 。

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 2つめは、ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』(2005年)です。ウシは皆さんもご存知の通り、草食動物です。4つの胃を持ち、反芻を行います――野生下では。しかし、とくに合衆国で飼育されている一部のウシは雑食動物といって良いものです。本来は食べないトウモロコシを食べ、成長を早め、肉付きをよくするために、肉骨粉を食べています。私たちは、私たちがそうであるとイメージしているものとはずいぶん違うものを日常的に口にしていると言えます。

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 食べ方はどうでしょう。私たちは大量の食品を廃棄しつづけています。毎年、日本では1,800万トンの食料が、人の口に入らず廃棄されています。一般家庭から毎年廃棄される約1.000万トンの生ゴミのうち、まだ食べられる品質である「食べ残し」は38.8パーセントを占め(2002年)、その中の11パーセントは買ったままの状態で捨てられます。現状のイメージを得るには数値よりも、ヴァレンタイン・トゥルン監督の『もったいない!』(2011年)を観た方が早いかもしれません。

 こういう事情を知ったとき、少なくとも私は得も言われぬ不安を感じたことを覚えています。何となく、私たちが食べているものが“汚れている”ように感じられました。安全管理は徹底されているでしょうし(そう願いたいものです)、少なくとも、私の味覚では、スズキとナイルパーチを、トウモロコシと肉骨粉で育てられたウシと干し草で育てられたウシを識別することは困難です。けれど、嫌だな、と思いました。なぜなのか。
by warabannshi | 2013-11-09 11:56 | 論文・レジュメ
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