《Bパート》
●私たちは何を食べていくのか? ― 3Dプリンタで印刷される、航空部品、模型、食べ物 不安感と不快感の考察をする前に、もう少し話を続けましょう。「私たちは何を食べていくのか」です。 3Dプリンタという、レイヤーを重ねていくことで複雑な構造物でも作成できる機械があります。ジェットエンジンの製作や、CTスキャンと組み合わせた「手術前の検討用のモデル」の製作といった場面で活用されています。 そして現在、NASAから約1300万円の資金援助を得て、食べ物を作り出す3Dプリンタの開発がアメリカで進められています。 1家に1台の3Dプリンタがある未来において、人々はオイルや専用のパウダーを使い、それぞれの体にあった栄養価の食事を取れるようになるでしょう。例えば、年配の男性なら炭水化物は少なめ。スポーツマンは反対に炭水化物が大めでカルシウムが少なめ。妊娠中の女性はオメガ3脂肪酸を十分にとって……といった具合に。 しかし何より重要なのは、あらゆる生き物から栄養を取ることが可能となる点です。3Dプリンタで現在は食べ物と見なされていない、藻や浮き草、昆虫などを食べることができるようになります。また、30年は保存のきくパウダー状の材料から作られるため、食品廃棄の問題もなくなります。いずれ100億人を超える人口を支えるために、3Dプリンタによる食べ物の印刷は大きな希望を持っていると言えます。もちろん、すべての食べものが、3Dプリンタで印刷されたものに代替されるわけではないでしょう。電子メールが行き渡った現在でも、私たちは旅先から手書きで暑中見舞いを出したりします。しかし、食糧生産が世界規模の貧困と不可避であり、さらに輸送コストがかかる以上、代替は広範囲に及ぶことになるでしょう。 それらのことが頭ではわかっていても、やはり、3Dプリンタでパウダーを用いて印刷した食べ物を日常的に食べることに、少なくとも私は抵抗があります。 なぜでしょうか? 私が「3Dプリンターで食べ物を印刷へ、既存の食事を置き換える可能性もあり」という記事を見たときに、まっさきに思い浮かべたのは『サザエさん』のこの4コマ漫画なのですが、なぜワカメちゃんは嫌がっているのでしょうか。“お節句のご馳走”がサプリメントでは味気ないから? でも、3Dプリンターで作られる食事は常にサプリメントの形をしているわけではありませんし、例えば東京・合羽橋で売られている食品サンプルの造形をプログラムすれば、ちゃんとパスタの形をした食べ物を印刷することも可能でしょう。さらに、現在は蟹や豚骨などの風味を、原材料をまったく使わずに化合物だけで再現することもできます(そもそも味覚は水溶性の化学物質を受容することでおこる感覚なので別に不思議はないのですが)。でも、3Dプリンターで印刷された「海の幸スパゲティ 白ワイン仕立て」を前にすると、やはり戸惑うと思います。たとえ、それがトウモロコシと藻とバッタを原料にしたものでないとしても、です。なぜでしょうか? ● 食べたもののルーツを、人間は考えずにいられない やがて普及するであろう、3Dプリンターで印刷された食べ物への抵抗感は、なぜ生まれるのか。「私たちは何を食べてきたのか」、「私たちは何を食べているのか」という問いかけを通して概観してきたことをふまえると、次の仮説を提起できます。それは、「私たちは食べるものに、何らかのルーツを見出したがる傾向がある」ということです。 ある食材を食べることによって、私たちはその食材を含む、象徴的な食物連鎖に連なることになります。 私たちは、私たちが伝統的に食べてきたものであると言われると安心感を覚えます。食材が、私たちがイメージしているのとは異なる生態系内での位置を占めていると、不安を抱きます。あるいは私たちが普段食べているものが、果たして食べ物なのか、ゴミなのか、わからなくなるほどの食品廃棄の現場を見ると、混乱します。そして、自分が食べているものがパウダー状に加工される前は何だったのかわからないと、より食材について神経質になります。 つまり、その“食材”がどのようなルーツ、どのような食物連鎖の、どのあたりに位置しているかがわからないことが、雑食ウシや代用魚に抱かれる忌避感の一つの要因になっているのではないでしょうか。ある“食材”を食べることによって、食べる私たちは“食材”の食物連鎖に連なることになります。それは、物質循環の問題というより、むしろ履歴の問題なのです。 食べ物が作りだす象徴的なつながりが重視された事例として、第二次世界大戦期のドイツのいくつかの政策があげられます。 テイラー主義の成功とともに、工場労働の一般化し、それに伴い、働き方が画一化していった20世紀初頭。その波は、建築学や家政学などを通じて台所にまで至りました。そして、その時代は奇しくも、「伝統的な食材を用い、伝統的なレシピで、伝統的な食習慣に則って食事をする」というある種の規範が広まった時代でもあります。イタリアでパスタが「国民食」となったケースを見ましたが、ナチス政権下のドイツでは、もっと強力に「伝統的な食」という規範が推し進めされました。 1933年の秋、ナチスはドイツの全国の家庭およびレストランに「アイントプフの日曜日」を義務化します。アイントプフは、野菜や肉の煮込みで、ドイツの家庭料理です。食費を節約し、浮いた金額を募金させ、それが冬季の貧民救済に使われました。「家族全員がアイントプフの日を、ドイツ民族の結束を讃える日として感じることができる」というコンセプトは決して便宜上のものではなく、ヒトラーを首相に任命した当時の大統領のパウル・フォン・ヒンデンブルグは、「私はライ麦パンしか食べない。愛国者はライ麦を食べる」と明言していました。 ヒンデンブルグの、アーリア人の胃袋は、ドイツ原産の純血種の生物で満たされるべきである、という思想は、「血と土」のスローガンを思い起こさせますが、それと同時に食べ物が作りだす象徴的なつながりの強さをうかがわせます。ドイツには、「人はその食べるところのものだ(Der Mensch ist. was er isst)」という諺がありますが、まさに私たちは食べたものでできています。食べるとは食べたものを消化、吸収し、自分の血肉に同化することですが、それは見方を変えれば、食べたものによって私たちが変容すること、食べたものに食べられていくことでもあります。 別の事例を考えてみましょう。例えば、レストランで海鮮スパゲティを美味しく食べているとします。その横で誰かが同じメニューを、①「まずい」と言い、元の味がわからなくなるくらいにタバスコをかける。②匂いだけ嗅いで顔をしかめ、「こんなものは豚の餌だ」と言われる。③床に落とされて、さらに足で踏まれるなどされると、非常に不愉快になると思います。あなたの食べているスパゲティに何ら味の変化はなく、衛生上、何の問題がないにしても、です。 なぜでしょうか。なぜ私たちは、“ゴミ扱いされたもの”を食べられないのでしょうか。 先ほどのドイツの諺に沿って考えましょう。私たちが“ゴミ扱いされたもの”を食べられないのは、それを食べると私たち自身もまた“ゴミ”になってしまうからではないでしょうか。 食べたものによって私たちが変容するという構図、食べたものに食べられていくという構図は、世界の様々な食文化と関連しています。例えば、マダガスカル人は、敵に出会うと丸くなるハリネズミを食べると憶病になると嫌います。その一方で、一部のロマはハリネズミを、その棘によって外部の穢れから守られている動物として祝い事のときに食べます。北アメリカのチェロキー族はシカを食べると足が速くなると信じて好んで食べ、北アフリカでは小心者でもオオカミやライオンを食べると、大胆不敵な勇者になると考えます。 これらの食文化を未開だと思うでしょうか。私たちがサプリメントやエナジードリンクを飲み、ゼリー飲料で10秒チャージするときに、打ち捨てられたような疎外感と、ほのかな快感(「ああ、私も捨てたものではない…」)を感じるのは、“燃料補給のような食事”によって、私たちが自分自身を“生産力の高い機械”と見立てているからではないでしょうか。 ここに、人類が食べ物に働かせる強力なシンボル化を見出すことができます。シンボル化の能力に媒介されることで、「食べる」という振る舞いは、現実的なものだけでなく、可能性も含み込んだものを自らのうちに取り込む出来事として、拡張されます。
by warabannshi
| 2013-11-09 13:30
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