紀伊国屋と思しき書店の7階に用事があるので、エレベーターに乗ることにする。ちょうど誂えたように、赤い防火扉のようなエレベーターの乗場ドアが開く。さっそく乗り込み、体がすべて籠のなかに入ったところで、不安にかられる。狭い。床が半畳ほどしかないうえに、この三角柱の天井は、そのまま上の上の階の床と接しているのではないかと訝るほどに高い。深い汚物入れのなかに間違えて落ちてしまった虫は、このような気分になるのだろう。虫ではない私は籠から降りようとする。しかし、よく顔の見えない2人が続けざまに乗り込んできたので、ドアの対角に押し込められる。
2人の隙間から、彼らもまた、7階に行くことが知れる。籠がウインチで巻き上げられる音がする。揺れる籠のなかでじっとしていると、不意に、この籠は落ちるのではないか、という考えが、生々しく呼び起こされる。3人分の体臭をも掻き消すほどの充満したペンキの匂いは、これはこの籠が本来、人ではなく、資材を上げ下ろしするためのものであることを示しているのではないか? 私は直近の階で降りたいが、ボタンを押すために前の2人の体をのけようとすれば、その衝撃で、籠が落ちるかもしれない。エレベーターの籠が落ちたとき、着地の瞬間にジャンプすれば死なない、という噂を思い出す。しかし、コンマ数秒後には、あの深い天井が降ってきて、私と2人を均等に押しつぶすだろう。
私はもし籠が落ちずに7階にたどりついたら、そのときに読む本をしっかりと心に刻んでおく。印象派の画家たちがいかにプラグマティストであったかを示す研究書、竹蜻蛉と鞦韆についての本、そして(その他、忘却)