2012年08月02日(木)
福田ゼミでの合同読書会から帰宅。地域再生のコンセプトとして「風土性」を提起するときの、可能性と注意点など、新しい角度から考えられて良かった。以下、ちょっと備忘。
・「青少年のモラル崩壊」が問題視されるが、べつに青少年に限ったことではなく、「壮年、老年層におけるモラル崩壊」(60代以上の暴行・傷害など粗暴犯の数は十数年前に比べて約20倍。高齢者増加数に対する粗暴犯検挙率も、日本は高ランク)も含めて、それを食い止める仕組みが、地域には必要。
・地域社会学は、農村社会学から分岐したもの。家村論の放棄+アメリカ型コミュニティ論の導入(1969 年「コミュニティ-生活の場における人間性の回復-」http://t.co/uFHosRgr)。実質的には、失敗。現代の風土論はこの失敗をふまえる。
・地域論は、それがどのような社会運動、政治運動の文脈を帯びているかに意識的でないと、からめとられる。例えば、和辻風土論は日露戦争後のナショナリズムと親和的。「自然」という語もけっして中立的ではない(cf.J.A.トーマス『近代の再構築―日本政治イデオロギーにおける自然の概念』)。
・風土のモラル、地域社会の規範について論じるときは、「移動」の問題を無視してはならない。外部から来た移住者にとってのモラルと、その土地の定住者にとってのモラルがどのような相互関係を持ちうるか。とりわけ、労働人口ががりがり減っていくこれからの日本において、移民受け入れの話と連接。
・人口減少と、道路や橋や上下水道などのインフラの寿命(http://t.co/0tjZLWNg)から考えても、すべての地域村落を存続させることは、不可能。だからといって、「村が消えたのは自己責任です」「淘汰です」と澄ましていられるほど鉄面皮でもない。でも、不可能。どうする?