探索記録20 「皮膚-外傷-空漠」
 人間の皮膚はつながっている。当たり前のことのようだけれど、ふだんの生活の中で私たちは、人間の皮膚が、頬から唇、口内へと連続していて、さらには食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肛門へとつながっていることを、または、気管から肺へとつながっていることを、――つまり、“体内”と呼ばれている体の部分の多くが、じつは体表の延長であることを、どれだけ「当たり前のこと」として実感しているのだろうか。(大腸菌、ビフィズス菌やウェルシュ菌などの腸内細菌が、生理的な免疫機構(=抗原抗体反応)の影響を受けずに小腸~大腸で生存できるのは、まさしくそこが体外であるからに他ならない)。体表面に視点を固定して、人間の体の形態をデフォルメしていくと、呼吸器は体表の一つの陥没であり、複雑に折れ曲がった消化器官は一本のチューブとなって体を貫通している、と捉えることが可能となり、さらにデフォルメを進めると、ついに体はドーナツ型のフォルムまで到達し、日常生活の中で充溢した“体内”として漠然としてイメージされていた消化器、呼吸器が、じつは皮膚の延長であり、外傷であり、空漠であることを暴露する。
 ――そんなことを中学生に話しても相手を混乱させるだけであることはわかっているけれど、昨日の深夜、来週の月曜日からはじまる教育実習のための授業・板書ノートを作っているうちに、消化器、呼吸器に関する着想の走り書きは自分の意図から離れてどんどん継ぎ足されていって、いつのまにかノートの二、三割を埋めてしまった。キーボードで書くときには指が勝手に動き出すことはままあるけれど、ボールペンでノートに書いているときに文章が数ページに渡って走り出すことは滅多にない。
「それは、勝手に自分の手が動いてるって思いこみたいだけじゃないの? 書く、って動作によって気持ちが昂ぶっているせいで」
「自動筆記、――ってこと?」
 金曜日の夜、講義が終わったあと、喫文会のメンバー四人と早稲田駅の正面あたりにある「一休」に飲みに行って、やはり「自分の意図を離れて文章が動き出す」という話をしたときに友人・SとMは慎重にそう言った。
「自動筆記、ってわけじゃなくて、――自動筆記っていうのは、どこか外部からの声を聴きとって筆写している状態でしょ? そうじゃなくて、自分の書いた文章を読んでると、次に書く文章はこれしかない、ってラインが見えてくるんだよ。そのラインに沿って文章を書いていくの。もっと言えば、直前に書いた一行に反応して、次の一行を書く、って感じかな」
 と言ったのは、うちだったか、友人・Uだったか忘れたけれど、
「パソコンで原稿を打ってるときには、その直前に書かれた文章を読んでから反応するまでの時間がすごく短いんだけど、鉛筆で書いてると、反応の連鎖に文字が追いつかなくて、だから神に直接書いてるときは、四行ぐらい先までの文章が頭の中にプールされてたりするんだよ」
 と言ったのは間違いなくUで、Uみたいに文章を脳内にプールしておくことがあまり得意ではなく、けれど言語反応速度だけは早いうちは、だからノートで文章を展開することが、ほとんどない。
 それはそれとして、「外傷-空漠をもった人間」という人間観は、高校にいた頃からぼんやりとうちが抱いていたもので、今回、やっと具体的な展開に至るための手掛かりを得た感触がある。教育実習で母校に戻るのをきっかけに手掛かりを得たなんて、どこか物語っぽくて嘘くさいけれど、それはあまり問題ではない。四十六億年という地質学的なタイムスケールで語られる「生物の進化」という文脈の中に人間を位置づけたときに初めてそれとわかる、人間の存在に潜在する膨大な無作為-偶発性の繰り返しをも、消化器、呼吸器という外傷-空漠は隠喩している。※



 蛇足ながら付け加えておくと、百年ほど前、エルンスト・ヘッケルに発生反復説を唱えさせ、それを論文のデータの改竄などによってヒステリー的に弁護・証明しようとさせた衝動もまた、この隠喩を駆動させている衝動と同系のもののように思う。ただ、外傷-空漠のイマージュはくりかえすように、あくまでも隠喩であり、自然科学のフレームとは相容れない。「個体発生は、系統発生を繰り返す」という彼の自説は同時代の化学者・芸術家に多かれ少なかれ影響を与え、宮沢賢治に十界互倶思想の科学的証明を予感させたりもしたが、現在ではヘッケルの理論的な着想の大部分は、間違いだったとされている。最も有名で印象的な、彼の描いた胎児の発達に関する図は、別種の脊椎動物でも胎児の間には類似性があることを強調するために故意にゆがめられており、ヘッケルの持っていた視覚による世界の一挙的把握への渇仰の一端をうかがい知ることができる。
by warabannshi | 2006-05-27 22:50 | メモ
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