どれだけの人が、このことを当然で平凡な事実だと思っているかわからないけれど、目の前にある現実に対して、「なにもしない」のは、紛れもない一つの行為だ。「どう行為していいかわからない」という態度も、もちろん行為なわけだし、これをすればいいと考えることも、これをしてはいけないと考えることも、あの時こうすれば良かったと思い返すことも、こうすれば何をすればいいかなんて忘れるくらい気持ちいいと言うことも、やはり忘れられなかったと言うことも、何とかしてくれと言うことも、もう何もしたくないと言うことも、すべて“行為”であって、決して“行為の代わり”として機能しているわけではない。
――この文章があまりに漠然としたもののように感じられるとしたら、“行為”を“演技”という言葉に置き換えてもう一度、読み直して下さい。舞台の絵に立った俳優のイメージが、なんとなく浮かぶのではないだろうか。いやいや、“行為”ではなく、むしろ“演技”という言葉の方が、これから小説のルールを設定していく上でよりふさわしいかもしれない。それは、言語によって組み立てられている小説というものが、社会や共同体と不可分なものでありながら、けれど社会や共同体が介在しない個人に向かって書かれ、個人によって読まれるものであることをあくまでも目指す性質を持つことと関係している。小説は、介在-媒介なしに個人へと届くことを目指すものだけれど、社会や共同体の価値観を潔癖に排除しようとしても、やはりどうしてもそれは混じり込んでしまうものだし、価値観をまったく無視してしまえば目指すところの個人にすら届かないのが現実だ。だからといって、社会や共同体の価値観をなぞるだけでは、小説の運動そのものが既存の枠組みの中で停止してしまう。つまり、小説が死ぬ。(「小説が死ぬ」というのは比喩ではなくて、既存の枠組みの中に自身を構成しているものの多くが回収されてしまうような小説は、なんというか小説の機能をまっとうしていない。小説という装置に可能なはずの振舞いをなしていない、という意味で、「その小説は死んでいる」)。なので、小説は自らを殺さない程度の、命がけの偽装を選びとり、自らにほどこす。この偽装するための連続した運動――「行為-演技」こそが、前回の記事で考察した「リハーサル-反復」に続く、小説を駆動させている二つ目の因子となる。 話を戻すと、小説もまた、“行為-演技としての小説”であって、“行為-演技の代わりの小説”ではありえない。だから、小説として走行される文章において、言葉がただ単一の意味作用を持つことはもはや不可能となる。自身の存在を証し立てるための直接的な発言は封じられており、他人の助言を受けいれることも、また、他人に助言を与えることもできない。つまり、線的な文によって意志を伝達しあうということが小説には許されていない。意思疎通の道具としての意味作用を禁じられている小説という形式は、基本的に、不利な装置だといえる。小説に与えられている意味作用は“行為-演技”の審級にあり、そのオーダーにおいてのみ初めて充分に機能する。といっても、例えば作品の内部で山や大木やタイガー戦車を「父」の象徴、隠喩として使うことが“行為-演技”なのかといえば、そんなことでは全然なくて、むしろそれらは小説を精度の低い意思疎通の道具へとおとしめ、作品内で多層的に連動している諸機能を低下させる。 明解なわかりやすさから、果てしなく横に逸れ続けること。 ちょっと見方を変えると、小説はそれぞれの読み手の場所における個別の不安を配給する機能を持つ、と言える。不安、という状態は言葉で明確に説明できてしまえばもはや不安ではなく、「不安という感想を生み出す状態」なってしまうわけで、不安を配給するということは、言葉で説明できない不安定な状態のままに気持ちを宙づりにすること、その不自由に耐えることを教えることでもある。社会や共同体から与えられる感想や評価基準へと自らを登録することになぜか躊躇してしまうとき、違和感を感じざるを得ないとき、それぞれの場所で、小説はさりげなく、ささやかに、自らを殺さずに偽装するそのやり方を演じてみせる。 だけど、くり返すとおり、小説は偽装のやり方を、直接語ることができない。だから、自らに賭けられた意味作用を理解できない相手にはそれこそ永遠に理解されないことを引き受けながら、かぎりなく長く、その「行為-演技」の諸様相を現前させる必要がある。それも、自らがせき立てられている存在であるとは決して悟られないように。
by warabannshi
| 2006-08-03 23:07
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