●いま、そこにある官能-感応と不自由――仮装としての嗜癖
 突然だけれど、個人的にアダルトビデオが好きじゃない。好きじゃないどころか、場合によっては耐えられない。耐えられないのは、セックスシーンがグロテスクに見えるとか不潔だとか、そういうのではなくて、なんとなく退屈で消してしまったり、寝てしまったり、(普通の映画でもつまらなくなるとよく寝る)、面白いところ、興奮しそうなところを探そうと三倍速で流しているうちに早々と事が終わってしまったりして「なんだかなあ」と不毛な気分になるからで、わざわざそんな気分になりたいと思わないから観ない。
 まだよくできたアダルトビデオを観てないだけかもしれないけれど、大概の作品はセックスに過剰な意味づけをしていて、それが余計すぎてうるさい。(うるさいのと退屈なのは両立しないと思うかもしれないけれど、クレッシェンドやシンバルの強打だらけの音楽が単調に聞こえるのと仕組みは同じだと思う)。過剰な意味づけ、というか、セックスに大層な意味を持たせすぎてると言えばいいのか、……例えばそれは、行き詰まったカップルが寝たら仲直りしました、みたいな安易な期待の成就だったり、“女子高生”や“巨乳”という社会化された記号への偏った執着、好奇心だったり、世間的には犯罪と見なされる行為だけれど相手が満足したので免罪されるという快感の圧倒性を誇示することだったり、「セックスが人間の本源的な力を露出させる」というテーゼの反復だったりして組み合わせのバリエーションはそれなりに豊富なのだけれど、その一方で、男が女を押し倒す設定だとか、激しく感じていることを示す表情、動作、「男が女を満足させる」という筋書きの大枠は律儀に守られていて、そういったぜんたいに対してこっちはどういうリアクションをとっていいものか困ってしまう。だからアダルトビデオより犬や猫の一つ一つの動きを見ていた方がよっぽど興奮できる、――と、これだけ言うとまた「ああ、獣姦ね」と一気に誤解する人がいてまいるけれど、動物の官能性についてはまた後で詳しく話すことになるだろうと思う。ひとまず言えるのは、官能とは表面的には静かな、それでいて徹底的に即物的なものだということだ。
 なんというか、アダルトビデオのセックスは抽象に還元されすぎている。アダルトビデオは抽象的すぎると言い換えてもいい。いや、これはアダルトビデオに限ったことではないか。ほとんどの性産業は抽象的すぎる。いや、性産業というくくりで捉えられる内容でもない。もっと茫漠としたセックス周辺の雰囲気全体、あるいはセックスを語る上で使用されるスキーマが色濃く抽象性を帯びている。……と言うと、さらにわけがわからなくなるだろうか。
 アダルトビデオや青年誌に“抽象的”なんて形容は合わないと思えるかもしれないけれど、でもそれらを駆動させている因子は、ポルノやエロという社会的な参照事項から供給される欲情、あるいは「良いペニスはヴァギナを求め、良いヴァギナはペニスを求める」みたいな政治的幻想が多くを占めてはいないだろうか。それはやっぱりセックスの場の具体性に起因するものではなくて、別の場所に賭けられているものなのだ。相手の唾液が思いのほか苦かったとか、背中にいつついたかわからない細かい擦過傷があったことを教えられたみたいな、具体的で現場的な(あるタイプの人から見れば、どうでもいいような)情報はアダルトビデオでは捨象されていて、(日活ロマンポルノの『赤い髪の女』という作品はそこもきちんと撮っているという話を聞いたことがあるけれど、まだ観ていない)、それが描かれていないと「ザツだなあ」という印象が、どうしても拭えない。――あるいは、粗雑な作りであるからこそ受け手は安心して息を抜き、緻密な振舞いの連動から解放されてオルガスムに達しやすくなるのかもしれない。(セックスシーンをビデオに撮って素人物としてネットで公開するのが趣味、という人を知っているけれど、彼は“素人物”という演技の枠組みが外側から与えられることによってリラックスするのだろう。ただし、大味な演技が許されることによってリラックスできるのか、強固な枠組みが与えられることによってリラックスできるのかは曖昧だけれど)
 抽象化、あるいは概念化は、情報演算処理を効率化するために作られたショートカット・ルーティンだという話は前に記事で書いたように思うけれど、それはセックスのスキーマで、あまりに多用されすぎているのではないだろうか。
 だとすれば、小説に可能なのはそのスキーマを小説の振舞いの中で横滑りさせつづけることだろう。官能-感応の無数のバージョンを期待させつつ、そのすべてを事前に使い尽くして無効化し、セックスの現場の外で快楽を保証するものを失笑すること。
 小説で展開される官能-感応は、ゲイでもヘテロでもバイでもなく、不能でも不感症でも漁色家でもニンフォマニアでもなく、オーラルでもアナルでもサド=マゾでもスカトロでもロリコンでも自慰でも痴漢でも凌辱でも乱交でも近親相姦でも獣姦でも死姦でもなく、およそ性器すら問題にされない類のものだ。そう、セックスを鬱血したペニスとヴァギナの結合に還元してしまうならば、性器もまたセックスの現場の外にある。それらはみな、小説の運動が始まる以前において消尽され、仮装以上の機能を果たさない。(逆説的に、これらの嗜癖をカーニヴァルの仮装として走行させることもできるだろう)
 たぶん、人間は快楽を享受することに過度の興味を持ちすぎたのだと思う。あるいは、〈人間であること〉に関心がありすぎる。いままですんなり理解された試しがない言葉をここでも言うと、うちは「女の子の髪とか指先を撫でてるだけでかなり満足する」。そんなの性愛に入らない、ただ単にプラトニックなだけだ、と言われるだろうし、うちもそれがセックスどころか前戯にすら含まれないことを充分承知しているけれど、挿入、ピストン運動、あるいは双方がオルガスムに至るまでの過程と同じくらい、あばら骨を撫でたり横隔膜からの呼吸を聴いたりしながら微かな振動を伝え合っている時間は官能的ではないだろうか? それともこれこそが倒錯の最果てなのだろうか? 過激で倒錯的な性体験をことさらひけらかす人間にもアダルトビデオ同様、うちは退屈してしまうのだけれど、そういう話を本当に面白がって話したり聞いたりする人はどれくらいいるのだろうか?
 セックスの現場で欲望そのものを0から始めること、――それはひどく不自由な試みだろうけれど、その不自由は(あなた)の肉体が存在することの発見であり、そして(あなた)の欲望を起動させた〈彼〉〈彼女〉が、そこに紛れもなく、圧倒的に存在しているということの発見でもある。小説がその発見に、ささやかな呼び水として寄与できれば、もうそれで充分すぎるほどの機能を果たしていると思う。


●松浦理恵子『優しい去勢のために』というエッセイ集は、これと意味内容はほとんど同じだけれど、もっと語る方法自体が緻密になった素晴らしい作品です。ぜひ、本屋で買いましょう。ブックオフ、古本屋はだめです。彼女の才能にふさわしい印税を。
by warabannshi | 2006-08-19 22:28
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