(*1)
冷凍小エビの一匹になっていて、本格的な中華鍋で炒められる。
小エビにとっては中華鍋は巨大で見渡すことができず、仲間たちは熱でぴんぴん跳ねはじめる。
いつのまにか、炒めている料理人になっている。
でも、料理人は自分が炒めているのが小エビではなく、そぼろだと思い込んでいる。
そんな仏話的光景。
(*2)
完全にランダムにひらがなが浮き出てくる9×9の升目を考える。
その升目のなかに、「わたしはいのちしらずにかえってきた(私は命知らずに帰ってきた)」を恣意的に入れる。
わ
た
しはいの
ち
し
らずにか
え
つ
てきた
→わあいかんなにらり
たしりなひせてへしし
しはいのしらそりれひ
せばすちあんばっは
ひひいしはいてひみ
はははらずにかはは
はなてひりこえこは
かみんらせのつここ
きぱあごとたしてきた
このとき、恣意的に入れた「わたしはいのちしらずにかえってきた」と上から四行目横列にまったく偶然に現れた「せばすちあんばつは(セバスチャン・バッハ)」は、どこか異なるか? それとも何らかの意味内容を持っているという点で同じなのか?
――という問題が黒板に書かれている。
前の【数学】の時間に答えは出たから、模範解答はあるらしいのだけれど、前回の授業に欠席していたために答えを知らない。
妙に太っているデカルトが教壇に立って「デュイデュイウィノコフスキー、デュイデュイウィノコフスキー」と一生懸命にくり返すが、フランス語だから、何を言ってるんだかわからない。
授業がわからないので、カーテンを被り、窓の外から富士山の山頂を眺める。
御来光を望む人たちが数百人、列をなして山頂へと向かっている。
いつの間にか、授業は【生物】になっていて、ペリカンの獰猛性についてのビデオが流れている。
(13:50~16:44)